埼玉県秩父市と横瀬町にまたがる大持山(おおもちやま)から武甲山(ぶこうさん)までを縦走して来ました。
武甲山の背後の連なる山並みであり、奥武蔵と呼ばれる山域の中では最も標高の高い一帯です。例年4月の下旬頃になると、稜線上にはアカヤシオツツジが花を咲かせます。
桜に続いて前倒しでの開花を予想しての訪問でしたが、少しばかり速すぎた訪問となりました。
2020年4月19日に旅す。
大持山と小持山は、奥武蔵の盟主武甲山の背後に連なる山です。普段はいかにも奥武蔵らしい、歩く人の姿も疎らな静かな山域でありますが、アカヤシオが咲く4月下旬頃になると、多くの登山者がこの山を訪れます。
アプローチの選択肢はいくつかありますが、その中でも一の鳥居を起点として、武甲山とあわせた周回コースで登られることが多いようです。
しかし時は、前代未聞の緊急事態宣言なるものが発動している最中です。そのため人目の多そうな表参道を避けて、裏側の名栗方面から登って来ました。
アプローチの林道にて、橋が落ちているというごくごく些細な問題こそあったものの、期待した通り人の少ない静かな道を歩くことが出来ました。
そして肝心のアカヤシオの方ですが、こちらは残念ながらフライングで、まだ咲き始める前の状態でありました。
例年ですと、大持山と子持山のアカヤシオが見ごろ迎えるのは4月の下旬頃です。今年は桜の開花からして相当早かったため、アカヤシオ開花も早まるのではないかと予想していたのですが、ハズレでした。
アカヤシオにはフラれてしまったものの、天気はこの上ない快晴でした。奥武蔵の静かなる裏山と、秩父盆地を見下ろすパノラマビューを楽しんだ一日の模様をお届けします。
コース
名郷バス停よりスタートし、妻坂峠を経由して大持山へ登頂。その後、は尾根沿いに子持山から武甲山へと縦走します。下山は浦山口駅へと下る横断コースです。
1.大持山登山 アプローチ編 武甲山の裏口、名郷へ
5時49分 JR分倍河原駅
京王線沿線にお住いの私が奥武蔵方面へ行く方法はさっくり言って二通りです。池袋まで出てから西武線に乗るか、もしくは八高線で東飯能に出るかです。
今回は人が多そうな都心部を経由することを避けて、八高線経由のルートをチョイスしました。
立川で青梅線乗り換えて、続いて拝島で八高線に乗り換えます。こちらのルートは、とにかく乗り換えが多いのが難点です。
東飯能駅で西武線に乗り換えて、一駅で飯能駅に到着です。しかしよくよく考えてみると、この後に乗車する名郷方面行きのバスは、東飯能駅も通るですよね。無意味な乗り換えをしてしまいました。
飯能駅発の名郷方面バスは、人気の棒ノ折山方面へのアプローチでもあるため、比較的混んでいることが多いです。しかし、流石に本日は閑散としていました。
7時10分発の湯の沢行きに乗車します。目的地の名郷バス停までの乗車時間は、およそ1時間ほどと長丁場です。おかげで早起きの睡眠不足を多少は解消できまZzzzz。
8時5分 名郷バス停に到着しました。本当にどうでも良いことなのですが、埼玉の山間部を走るバスの名称が、なぜ国際興行なのかとても気になります。
降り立つなり、まだまだ盛りの桜が出迎えてくれました。平野部とでは、開花時期に1週間以上の差があるのですね。
2.台風十九号の爪痕がなおも残る林道
トイレと身支度を済ませて、8時15分に行動開始です。妻坂峠への登山口まで、しばしのあいだ舗装道路歩きとなります。
緊急事態宣言が発令されているこの最中、万が一遭難して実名報道でもされようものなら、社会的に抹殺されることは必至です。本日の登山はともかく安全第一で参ります。
まあそれを言ったら、普段から「遭難しても良い登山」なんてものは一切ありはしませんがね。
道の脇を流れるこの沢は、これから目指す大持山を源頭とする入間川の源流です。透き通った美しい清流ですね。
足元にムスカリが大量に咲いていました。この花はなんと言えばよいのか、まるで腐海の植物みたいですよね。
道沿い進むと、ほどなく大鳩園というキャンプ場が現れます。マスのつかみ取りが名物だそうです。
バンガローが一瞬バカヤローに見えてしまったのは、私の心が荒んでいるからなのでしょうか。
道中にキャンプ場の売店があります。大持山のバッジを売ってたりしないかなと思い覗いてみましたが、そもそも営業していませんでした。
天然の滝ではありませんが、大きな堤などもあってなかなか壮観です。
分岐地点まで登って来ました。目指す妻坂峠方面は通行止めの案内が出ていました。
なんでも橋が落ちているのだとか。実のところ、このことは事前にリサーチ済みでした。確かに橋はありませんが、沢へ降りれば渡渉可能です。
道沿いに中尾の滝という名の滝があるのですが、すっかり樹木に覆われてしまって姿は見えません。流れ落ちる水の音だけが聞こえて来ます。
沢の対岸に桟橋のようなものの残骸が残っていました。以前には、滝の目の前まで行ことが出来たのかもしれません。
しばらく進んだ所で、再び交通止めの案内です。今度はしっかりと、物理的な閉鎖の処置が施されていました。いよいよ崩落地点が近いのかな。
と思いきや、なかなか現場が現れません。延々と林道歩きが続きます。
今度こそ、落橋地点と思われる場所に行き付きました。さて、どんな感じなのでしょうか。
これはまたストンと、見事に落ちましたね。濁流と化した川に土台を削り取られた感じでしょうか。
肝心の突破方法ですが、橋の少し手前から左に入って行けば、直接沢へ降りられます。
下りるとこのような状態でした。橋の残骸にお助けロープが垂らされているので、それを使って対岸へと渡ります。
つい先ほど「絶対に遭難できないから安全第一で行く」とか言っていた矢先から、何を冒険じみたことをしているのでしょうかね、私は。
崩壊していたのは一ヵ所のみで、その先の道については、特に歩行の支障はありません。
山中の名水と呼ばれる水場がありました。山の中にある名水だから山中の名水ですか。直球すぎるネーミングです。
入間川起点の石碑が立っていました。入間川は荒川最大の支流で、かつては奥武蔵と江戸を結ぶ、極めて重要な水運の要でした。
もうながらく自動車が通行していないであろう路面は、小石が散乱して荒れ放題でした。
この車は何時からここにあるのでしょうか。既にタイヤの空気は抜けており、自走不能な状態であることは明らかでした。
路面が陥没していたりして油断がなりません。こんなところに落ちようものなら、通りかかった人に偶然発見してもらえるような望みは極めて薄いでしょう。
林道の延長工事をしていたのであろう場所がありましたが、この様子では恐らく再開されるとしても当分先のことになるでしょう。
9時25分 林道終点まで歩いて来ました。ここからようやく登山道が始まります。
3.妻坂峠を経て大持山へ
登り始めは沢沿いの緩やか道です。すっかり細くなってしまった、入間川の源流に沿って登ります。
急な登りはあまり長くは続きません。割とあっけなく、頭上に空が見えて来ました。
10時 妻坂峠に到着しました。鎌倉街道と呼ばれる秩父と鎌倉を結んでいた古道が、かつてこの峠を越えていました。本日歩いてきたルートは、この古道とほぼルートが重なっています。
妻坂峠という名前の由来は、畠山重忠という秩父の武士が鎌倉へと向かう際に、ここで妻との別れを惜しんだからだと伝えられています。
峠を見守るお地蔵さん。いつからここにあるのかは定かではありませんが、これまで幾多の旅人たちを見送って来たのでしょう。
武甲山が峠の真正面にあります。石灰石採掘のために山腹を削り取られてしまっている側とは、反対から見た姿になります。
裏側から見ると、これと言った特長の無い姿をしておりますな。
しかしよく見ると、山腹のありえないような場所に重機があるのが見えます。これを見てようやく、この山は間違いなく武甲山であるとの確証を得ました。
大持山へ向かいましょう。尾根上に出たことにより、少し風が出て来ました。
妻坂峠からは、ここまでが緩やかだった分を一気に取り戻すかのような急坂が始まります。気合を入れて行きましょう。
険しい坂の途中に、春の妖精ことカタクリ様がチラホラと咲いていらっしゃいました。
木が邪魔してイマイチよく見えませんが、前方に稜線が連なっているのが何となく見えます。この中のどれかが大持山と子持山です。
新緑にはまだ少し早い茶色の光景の中に、緑々としたコバイケイソウの姿が多く目立ちました。
稜線に出ました。ここは大持山の山頂ではなく肩にあたる部分なのですが、ここからの眺望が実に素晴らしい。関東平野を一望できます。
関東平野の彼方には筑波山(877m)の姿が見えます。平地にあるため、1,000メートル未満の山とは思えないような存在感があります。
都心部もクッキリ見えます。高層ビルの群れがまるで壁のようにならんでいます。
横浜の先には東京湾と房総半島。前日が雨であったおかげか、大気が霞がちな4月としては珍しい空気の澄み具合です。
スタート地点の名郷バス停が、ほぼ真下に見えました。バス停から正面に見えていた地点に居るという事です。
11時20分 大持山に登頂しました。
峠から1時間10分ほどでの到着でした。割とすぐ近くなように見えて、意外と骨のある登りでありました。
山頂の様子
樹林に囲まれた狭い空間です。ベンチ等はありません。休憩するのであれば、山頂ではなく先ほどの肩でとる方が良いと思います。
眺望は殆どありません。裏手には、まだ雪を頂いたままの長沢背稜の山並みが見えました。
4.アカヤシオにはまだ少し早かった子持山
眺望のない山頂に留まっても得るものはありません。行動を再開します。
緩やかにアップダウンを繰り返す尾根道が続いています。歩いていて気持ちの良い道です。
日陰の部分にはチラホラと雪が残っていましたが、登山道上の行きは既にとけて無くなっていました。
妻坂峠を挟んだ向かいに、武川岳(1,052m)がドッシリとした大きな姿を横たえていました。かなり地味ですが、雰囲気は悪くない山です。
武川岳の右隣には、特徴的な姿の双耳峰である伊豆ヶ岳(851m)と古御岳の姿が見えます。地味でマイナーな山の多い奥武蔵の中にあっては、比較的に人気知名度共に高い山です。
伊豆ヶ岳の有名なクサリ場である男坂があるのは、この部分です。角度的に、岩が剥き出しになっているのは見えませんが。
伊豆ヶ岳ほどではありませんが、我らが子持山の方も徐々に険しさが増して来ました。ここは手も使ってよじ登ります。
前方に武甲山の姿が見えました。山頂の手前で一度大きく標高を落としているのが良くわかります。それはつまり、この先には漏れなく登り返しがついて来るという事を意味しています。
北の彼方には、まだまだ残雪を頂いて白いままの日光連山が見えました。あちらは少し雲が出てきていますな。
先ほどからアカヤシオと思われる蕾をチラホラと見かけるもの、咲いている個体には巡り合えません。やはり少し早すぎましたかな。
登山道は基本的に樹林帯の中ですが、所々にこうして開けている場所があり、眺めは悪くありません。
背後を振り返ると、先ほど通って来た大持山の姿が見えました。何の特徴も感じられない、至って地味な山容をしています。
12時10分 子持山に登頂しました。
大持山からここまで、一部に痩せている部分もあり、なかなか歩き応えのある道程でありました。
ほんの数輪ながらも、山頂に開花しているアカヤシオ様がいらっしゃいました。ありがたやーありがたやー。
5.縦走最後の山、奥武蔵の盟主武甲山へ
12時30分 いよいよ最後の山を目指して、行動を再開します。
武甲山には既に登頂したことがあるので、ピークハントすること自体にはもはやこだわりもありませんが、大変眺めの良い場所なので予定通り寄って行きましょう。
鞍部に向かって、勿体ないくらいに大きく標高を落としていきます。最終的に200メートルほど下ります。
何時しか見上げる高さになってしまった武甲山。近くから見ると、大きい山ですねえ。
子持山から30分ほど下ったところで、ようやく最低鞍部のシラジクボが見えて来ました。
ちなみに、ここから一の鳥居へとエスケープすることも出来ます。・・・しませんよ。
さあここからは登り返しです。山頂までは直球勝負の直登が続きます。最後の気合を入れていきましょう。
この急斜面にもカタクリさんの姿がチラホラとありました。まったくのノーマークでしたが、カタクリは奥武蔵の山にも割と多く自生している物だったんですね。
コバイケイソウも相変わらず密生していました。ちなみにこの草は毒草です。しかもかなり強力な。食べる人はいないと思いますが、念のため。
武甲山の山頂に立つ、その名も武甲神社です。かつて日本武尊が東征の際に、ここに甲(かぶと)を収めたと言いう伝説が、武甲山という山名の由来となっています。
13時40分 武甲山に登頂しました。シラジクボからの最後の登りに打ちのめされて、すっかりグロッキーです。
山頂の様子
フェンスに囲われた狭い空間です。柵のすぐ向こう側は、石灰岩の採掘場です。
山頂からは、秩父盆地の全貌を一望することが出来ます。武甲山が秩父のシンボルとされている所以です。
眼下に、芝桜の丘で有名な羊山公園が見えます。残念ながら、今年はコロナ渦の影響で芝桜まつりは中止です。
羊山公園の先には西武秩父駅。すぐそこのようにも見えますが、ここからあそこまで下るのには、相当な時間を要します。
これは三菱マテリアルのセメント工場です。まるで要塞のような物々しさです。
北西方向には、頭に雲を被った浅間山(2,568m)の姿が見えます。この山は、遠くらでも良く目立ちます。
こちらは右手前が赤城山(1,823m)で、左背後の白い山が上州武尊山(2,158m)です。
日光連山は相変わらず雲の下。しかしそれでも、素晴らしい眺望でありました。アカヤシオにはフラれてしまったけれど、最高の登山日和でありました。
6.浦山口駅へ駆け足下山する
14時 もうだいぶ時間も押してきているので、ボチボチ下山へ移りましょう。下山は秩父鉄道の浦山口駅方面へと下ります。
前方に両神山(1,723m)の姿が良く見えました。これほどにも目立つ山の存在を古人達が放っておくはずもなく、古くから信仰の対象となって来た霊山です。
まるで花咲か爺さんが現れでもしたのかのごとく、山中にポツポツと桜が咲いているのが見えます。春ですねえ。
分岐地点まで下って来ました。ここから山頂をトラバースして、シラジクボに至ることも出来ます。
ここからはしばしの間、ほぼ水平移動の尾根道が続きます。気持ちよく歩ける道ですが、見方を変えるとなかなか標高は落ちません。
至る所に山桜が花を咲かせて、登山者の目を楽しませてくれます。
気持ちの良い尾根歩きは途中で終わり、尾根を外れて谷底への急降下が始まります。
杉林の急斜面をひたすらジグザグと下る道です。面白味はありませんが、最も効率的に標高差を稼げる道でもあります。
そんな訳で、やけにあっさりと谷底まで下ってこれました。ここから先は、最後まで沢沿いの道です。
昨年の台風19号に木橋をさらわれてしまったらしく、応急処置的に架けられた橋は中々ワイルドです。この丸太、渡るのが怖いんですけれど。
名もなき滝などもあって、雰囲気や良しです。ただし、沢沿いに出てからが結構長いので、途中でダレるかもしれません。
何故か山中に取り残されたクレーンの先端。いったい誰が何のためにここに置いて行ったのでしょうか。
この岩の壁が見えてきたら、ゴールの浦山口駅まではもう一息です。帰路の電車の時間が迫っていたので、早足気味に歩きます。
そんな焦っている時に限って、通行止めがあって少しだけ迂回を余儀なくされました。幸いにもたいした迂回距離ではありませんでしたが。
16時25分 浦山口駅に到着しました。何とか16時台の電車に間に合う時間に下りてこれました。
と思ったらここで、まさかの緊急事態宣言にともなう臨時ダイヤのお知らせです。せっかく急いで下って来たのに、次の電車は一時間後の17時34分までありません。なんてこったい。
しかもこの電車は隣の影森駅止まりで、その後の乗り継ぎでさらに待つ羽目に。まったくとほほな事態ですな。
そんな訳で結局、西武秩父駅に戻ってこれたのは、すっかり辺りも暗くなった18時25分の事でありました。ここから鈍行列車へと乗り込み、長い長い帰宅の途に付きました。
最後の最後でケチが付いたものの、武甲山の裏側を巡る山行きは満足の内に終了しました。
アカヤシオこそ空振りだったものの、大持山から武甲山へと至る稜線は、道中の眺めも申し分なく気持ち良く歩ける登山道でありました。このエリアのベストな訪問時期はアカヤシオシーズンか、もしくはその少し後の新緑の頃かと思います。夏は恐らく暑いだけで何も良いことは無いと思われます。
近場の山で、少し骨のある山歩きをしたいという人にオススメします。
<コースタイム>
名郷バス停(8:15)-山中(9:25)-妻坂峠(10:00~10:10)-大持山(11:20)-子持山(12:10~12:30)-シラジクボ(13:00)-武甲山(13:40~14:00)-浦山口駅(16:25)
完
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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