埼玉県秩父市と長野県川上村にまたがる三宝山(さんぽうざん)に登りました。
荒川の源流域に立つ埼玉県の最高峰です。山頂には展望がなく、奥秩父の主要な縦走路上からも外れていることから、訪れる人の疎らな静かな山です。この山単体で登られることはほぼなく、甲武信ヶ岳と合わせて登る人が大半です。
最短ルートとなる長野県側からではなく、あえて埼玉県の秩父側からアプロ―チして、彩の国の最高峰に登って来ました。
2023年9月17~18日に旅す。
唐突ですが皆さま、埼玉県の最高峰がどこであるかご存知でしょうか。
埼玉県の最高峰である三宝山は、奥秩父懐深くの長野県との境界上に存在します。甲武信ヶ岳の隣にある山だといえば、大体の位置が伝わるでしょうか。
この地を訪れる登山者の多くは甲武信ヶ岳に登っただけで満足し、三宝山には見向きもせずに通り過ぎて行きます。どこまでも地味で静かな頂です。
東京都最高峰の雲取山が日本百名山にも選ばれている大人気の山であるのに対して、隣県である埼玉県最高峰のこの扱いはあんまりであるように思えます。いったい何処で差がついてしまったのか。油断、慢心、展望の違い。
甲武信ヶ岳の山頂からだと、往復でおよそ1時間30分程の距離にあります。ちょっと足を伸ばす気さえあれば容易に往復可能な距離だと思うのですが、何故誰も登ろうとしないのでしょうか。実に不思議です。
などと熱弁をふるっておいてから言うのもなんですが、かく言う私自身も実は一度も登ったことがありませんでした。今回、ようやくにしてその機会が訪れました。
彩の国の最奥地点を極めようと欲する以上は、やはり埼玉県側からアプローチせねば無粋と言うものでしょう。と言う事で今回は、秩父側から雁坂峠越えの古道秩父往還を歩き、雁坂小屋でテント泊して一泊二日の行程で歩いて来ました。
誰からも見向きされない地味なる頂を目指し、ロングルートを延々と歩いて来た二日間の記録です。
コース
秩父の川又バス停よりスタートし、古道秩父往還由来の登山道を登り雁坂小屋でテント泊します。2日目は雁坂峠から山梨県との県境の尾根を辿り、甲武信ヶ岳を経由して三宝山に登頂します。
下山は徳ちゃん新道をくだり、山梨県側の西沢渓谷入口へと下ります。
三宝山山頂への最短となるのは長野県側から十文字峠を経由して登るルートですが、そこをあえて埼玉県側から歩くロングコースです。
1.三宝山登山 アプローチ編 早朝の鈍行列車で行く、荒川源流域への旅路
9月17日 6時10分 西武線池袋駅
埼玉県側からのアプローチに拘ろうと言う事で、西武線の鈍行列車に揺られて終点の秩父駅を目指します。え?特急レッドアロー号?なにそれ、おいしいの?
途中の飯能駅で西武秩父行きの電車に乗り換えます。この先は4両編成となるため、毎回のように椅子取りゲームが発生します。悠長に写真などを撮っていると、当然のことながら出遅れます。
8時5分 西武秩父駅に到着しました。まだ秋の行楽シーズには早い時期ですが、それでもかなりの数の観光客が降り立ちました。
これだけ需要があるのなら、池袋からの直通電車をもっと増やしてくれませんかね。まあ、特急に乗れと言う事なんでしょうけれど。
秩父の誇り武甲山は、分厚いガスのベールを纏っていました。本日はずっとこんな感じに、ピリッとしない天気になる予報です。
8時20分発の川又行きのバスに乗車します。バス停に行列が出来ていて焦りましたが、大半は8時30分発の三峰神社行きのバスを待っている人でした。
この朝の便は急行バスであると言う事で、三峰口駅まではノンストップで直行します。そう言えば、なんだかんでこの駅には一度も降り立ったことがないような。
バスは荒川上流の渓谷に沿って山奥へとひた走ります。やがて滝沢ダムの巨大な堤体が見えて来ました。埼玉県内では最大のサイズもつ重力コンクリート式ダムで、堤体の高さは132メートルあります。
水没戸数が多かっため、保証交渉で揉めに揉めて建設に多大な時間を要したいわくつきのダムです。
9時30分 終点の川又バス停に到着しました。集落か何かがあるのだろうと思っていたので、バス停周囲の何もなさ加減に少々驚きました。
周辺マップを見た感じでは、キャンプ場や渓流釣りなどが楽しめるスポットがいくつかあるようです。
2.雁坂峠越えの古道、秩父往還を行く
9時40分 身支度を整えて登山を開始します。始めはしばしの間の舗装道路歩きです。国道140号線を道なりに進みます。
やがてY字路が現れますが、ここは道なりに直進です。左へ進むと、かつての森林鉄道の軌道跡を辿る股ノ沢歩道をへて、十文字峠へと至ります。長らく通行止め状態が続いていましたが、最近迂回路が完成したらしい。
大きくカーブを描く入川橋を渡り、道なりに登って行きます。意外と交通量が多い上に歩道が無いので、歩いているとちょっと怖いです。
この国道140線は秩父と甲府盆地とを結ぶ道ですが、この先の雁坂峠区間がながらく車両通行不能区間でした。平成10年に雁坂トンネルが開通したことにより、現在では通り抜けが可能です。
10時 バス停から20分程歩いたところで、雁坂峠登山口に到着しました。ここから山道へと分け入ります。
あまり歩く人が多いとは言い難い登山道ですが、登山届の投函ポストがしっかりと用意されていました。案内板に描かれている大滝村は平成の大合併により消滅しており、現在は秩父市の一部です。
これから歩こうとしている登山道は、秩父往還と呼ばれていたかつての古道のルートを踏襲しています。またこの道は、雁坂トンネルが開通する以前は国道に指定されていました。
雁坂峠までは10kmと言う結構重めの数字が掲げられています。本日は雁坂小屋まで行けば良いだけなので、気楽にのんびりと参りましょう。
登り始めはまるで奥多摩のような圧倒的杉林です。ここは奥多摩ではなく奥秩父ですが、広義にはどちらも奥秩父山塊の一部であるのでまあ似たようなものです。
道の脇に小さなお社がありました。この道が歴史ある古道であることが伺えます。
いかにも応急処置っぽい場所もあるにはありますが、登山道は全般的によく整備されています。今では歩く人が相当少ないルートだと思いますが、ほったらかしにされていないようです。
表面が一部削れてしまっている石碑がありました。日付を見ると大正時代に設置されていたものであるようです。この道が登山道としてではなく、生活のための道として利用されていたのは、いつ頃の時代までだったのでしょうか。
こうして所々に自然林のエリアが現れますが、基本的には薄暗くて単調な杉林が続きます。奥秩父の山らしい光景が見えるのは、もう少し標高の高い一帯に入ってからです。
広々とした平坦地が現れました。ここは水の元ないしは一杯水と呼ばれている場所で、かつては秩父往還を歩く旅行者のための小屋が建っていました。
昔の旅人たちは、一体どれくらいの日数をかけて雁坂峠を越えていたのだろうか。バスなど存在しなかった時代には、本日のスタート地点である川又まで来るだけでも一苦労であったことでしょう。
かつては峠越えの旅人が水を得ることが出来た場所でしたが、現在では枯れてしまっており、山と高原地図上からも水場アイコン表記は削除されています。保水力が高い広葉樹林を伐採して、杉林にしてしまったのが良くなかったのでしょうか。
水の元を過ぎると、ここまでの緩やかな道から一転して、急登が始まりました。森が濃いおかげで直射日光は避けられるとは言えども、蒸し暑さで早くも汗だくになってまいりましたぞ。
なかなか年季の入った丸太の橋が無造作にかかっていました。少々信用がならなかったので、右端の崖際に沿って歩きました。
11時40分 雁道場(がんどうば)と呼ばれる地点まで登って来ました。本日の行程における最初のチェックポイントと言ったところです。
道標が無残にも破壊されていました。経年により自然に朽ちたのか、あるいはクマが爪とぎでもして破壊したのか。ちなみに雁坂峠周辺の山々は、クマの目撃情報が比較的多い地域です。
手持ちの地図には岩道場と書かれていたのですが、正しくは雁道場であるらしい。雁坂峠を越えて飛行する雁の群れが、この付近で翼を休めていた場所なのだとか。
国道140号線からこの雁道場まで直接登ってこれるショートカットルートも存在しますが、ほとんど歩かれておらず荒れ気味であるとのことなので、素直に雁坂峠登山口から登ってきた方が無難です。
3.苔生す奥秩父の森を歩き雁坂峠へ
雁道場を過ぎてすすむと、周囲はブナ林にかわり薄っすらとガスが湧いてきました。どの道最初から展望は無いし、これはこれで雰囲気的に悪くありません。なによりも少し涼しくなってくれたのがうれしい。
あまりガスの厚みはないらしく、青空が見えています。尾根上に薄く霧が立ち込めているような状態なのだろうか。
雁道場から1時間程登ったところで、再び平坦な場所に出ました。
12時40分 突出峠(つんだしとうげ)に到着しました。峠と名乗ってはいますが、暗部ではなく尾根上の肩のような空間です。
ちなみに今まさに歩いているこの尾根は、突出尾根と言う名称です。奥秩父主脈から突き出しているから付いた名前なのだろうか。
突出峠を過ぎると傾斜が緩んで、一時の安息のようなほぼ平坦な道になります。最後までこの調子だと良いのですが、このあともう一度だけ急登区間があります。
何時しか足元にびっちりと苔生した癒しの空間となりました。ガス越しに薄っすらと差し込む木漏れ日も良い感じです。
奥秩父の山らしい雰囲気になって来ましたぞ。やはり奥秩父と言えば苔でしょう。
地面が苔に覆われているエリアと笹に覆われているエリアに分かれているのは、どういう理由があるのだろうか。陽射しが地面まで届く光量の問題なのか、あるいは地形からくるガスの発生しやすさなどが影響するのか。
13時25分 樺小屋に到着しました。ここも水の元と同じく、古くから秩父往還を行く旅人のための小屋が存在した場所です。現在でも同じ場所に避難小屋が建っています。
山と高原地図には樺避難小屋と書かれていますが、正式な名称は樺小屋です。まあ、実態としては避難小屋なんですけれどね。
ちょっと中を覗いてみましょう。大変綺麗な状態に保たれており、土間スペースにはダルマストーブまで完備していました。快適に宿泊が出来そうです。
水はまだ十分あるので見には行きませんでしたが、小屋から5分程下った場所に水場もあります。
樺小屋を過ぎると平坦な尾根歩きは終了し、再び急な登りに転じます。この辺りが雁坂峠越えの最後の頑張りどころです。
先ほどから時よりこうして木漏れ日が差し込んでは、すぐに曇ると言う事を繰り返しています。もう少し登った地点に地蔵岩なる好展望地があるらしいのですが、果たして周辺の景色を眺めることはできるのだろうか。
だるま坂と呼ばれている最後の登りです。疲労困憊した旅人たちが、足を滑らせて達磨のように転げ落ちてゆく事故が多発した場所なのでしょうか。ここを登りきれば、その先の雁坂小屋まではほぼ水平移動の道となります。
だるま坂を登りきると、道は水平になり地蔵岩への分岐が現れました。分岐からは5分少々の距離だと言う事なので、立ち寄って行きましょう。
この地蔵岩への道はあまり歩かれていないのか、シャクナゲの藪に覆われていて踏跡はやや不明瞭です。分岐から尾根へあがったら、右方向へ進むのが正解です。
岩の下までやって来ました。見るからに眺めが良さそうで期待が高まります。位置的に、明日の最終目的地である三宝山がちょうど真正面に見えるはずです。
14時35分 地蔵岩に到着しました。うーん、残念。正面に見えているのは雁坂嶺(2,089m)のはずですが、山の上の方はすっぽりとガスに覆われてしまっていました。
西側には埼玉県と長野県の県境を形成している尾根が連なっています。大部分が雲間に没してしまっているものの、かろうじて三宝山らしき姿が見えていました。
遠目からであっても隠し切れない、この圧倒的なまでの地味山オーラよ。だがしかしそれが良い。
何故これが三宝山であるとわかるのかと言うと、山頂の近くにある三宝岩らしきものが見えていたからです。三宝山の外観上の特徴となっているシンボリックな岩です。
寄り道は程々にして先へ進みましょう。地蔵岩分岐からは先は、殆どアップダウンの無い水平移動のトラバースとなります。ただし、道幅が狭かったり崩落気味な個所もあるので、歩きやすいかというと案外そうとは言えません。
東側の展望が少しだけ開けて、和名倉山(2,036m)の姿が良く見えました。三宝山以上に輪をかけて地味であることに定評のある山ですが、だいぶ以前より登りたい山リストの上位に名を連ねている山です。
出来れば秩父側から登りたいと思っているのですが、公共交通機関の利用を前提とすると日帰りはほぼ不可能なので、テントを担いで行くしか選択肢はなさそうです。
殆ど道が消滅しかけている個所もあって、なかなか気が抜けない道です。単に私が見落としただけで、もしかしたら迂回路があったのかもしれません。
こちらはトラバース路の道中にある昇竜の滝です。雁坂小屋にある水場はこの沢から水を引いています。滝の上に、取水設備らしき人工物があるのが見えています。
ここからは送水パイプと共に歩む道となります。足場の悪い道が続くので、最後まで気を抜かずに歩きましょう。
7時間近く歩き続けて、ようやく小屋が見えて来ました。古道由来の道なのだから、もっと幅が広くて歩きやす道を想像していましたが、意外にも険しい道程でした。
4.雁坂小屋のテント場で過ごす一夜
16時30分 雁坂小屋に到着しました。到着して早々ですが、早速テント場の受付をします。幕営料は千円です。小屋泊の場合は予約が必須ですが、テントの場合は事前予約不要です。
先ほどの昇竜の滝から引いた水は、小屋の入り口の脇にあるこちらの水場に繋がっています。保健所による水質検査を実施済みで、生水を飲んでも全く問題は無いそうです。
こちらの雁坂小屋のトイレは、通称便所国道の異名で呼ばれています。前述の通り、本日歩いて来た雁坂峠越えの登山道はかつて国道140号に指定されていた時代がありました。その国道上にあると言う事で付いた異名です。
ですが実のところこのトイレがあるのはテント場への入り口で、国道からは微妙に外れています。インパクトのある呼び名だったため、口コミが面白おかしく独り歩きして広がってしまったというのが真相のようです。
雁坂小屋のご主人とすこし雑談をしましたが、この便所国道という呼称の事をあまり快くは思っていないようです。まあ当然か。なお、それなりに臭かったです。
このトイレを通った先の尾根上にテントサイトがあります。かなりの広さがあり、満杯になって張れないと言う事態はまずなさそうです。
ドコモやソフトバンクがどうかわかりませんが、テント場にAUの電波は一切入りませんでした。峠まで登ればしっかりと入ります。
広々とした空きスペースに、憩いの我が家を手早く設営します。簡単に食事を済ませた後は、特にする事もないので早々と寝床に入りました。
夜中にトイレで目を覚ますと、頭上に満天の星空が広がっていました。そういう事ならば星空撮影をしようと思い、テントに戻り三脚とカメラを引っ張り出しました。
しかし何とも間が悪いことに、撮影を始めたその矢先から再び雲が空を覆い始めました。おいおい勘弁してくれよ。
このあと30分くらいボーッと真っ暗な空を眺めていましたが、再び雲が晴れるとこはなく、諦めてテントへと引き上げるのでした。願わくは、明日は晴れてくれますように。
5.奥秩父主脈上に立ちはだかる関門、雁坂嶺と破風山
明けて9月18日 5時10分
一夜を過ごした我が家を引き払い、2日目の行動を開始します。本当はもっと早くに行動開始する予定だったのに、なかななシュラフから出る決心がつかずにウダウダとしていたら、こんな時間になってしまいました。
まずは雁坂峠に向かいます。雁坂峠は埼玉県と山梨県の境界となっており、そこから県境の奥秩父主脈に沿って歩き三宝山を目指します。
既に東の空はオレンジ色に染まっており、日の出の時間がもう間もなくであることは明らかです。そもそも日の出が何時なのかを調べてもいなかったのですが、ご来光は雁坂峠から拝めるかな。
小屋から峠までは目と鼻の先くらいの距離なものだと勝手に思い込んでいた訳なのですが、意外と距離がありしっかりと登らされました。
結局、峠に辿り着く前にタイムオーバーとなり、日の出を迎えてしましました。なんてこったい、朝っぱらからグダグダが過ぎましたな。
地平線から昇ってくる瞬間こそ見逃しましたが、和名倉山の背後に昇る朝日を拝むことが出来たので、まあ一応は良しとしましょう。
5時30分 雁坂峠まで登って来ました。ここは日本三大峠なるものの1つに数えられており、残りの2つは北アルプス越えの針ノ木峠(2,541m)と南アルプス越えの三伏峠(2,580m)です。
秩父往還を辿ることが主目的ならば、ここから道の駅みとみに向かって谷底へと下って行くことになります。ここからは秩父往還のルートを外れて、彩の国の最高地点を目指します。
真正面に見えているこの精悍でピラミダルな山は、山梨百名山の黒金山(2,232m)です。隣接する乾徳山の影に隠れて地味山扱いされがちな存在ですが、雁坂峠から見た時には大変目を引きます。
雲海の上に、ひょこりと富士山が頭を覗かせていました。どうやら下界の天気は曇りであるようです。山の上も晴れるは午前中の内だけで、正午過ぎからは曇空となる予報となっています。
先へ進みましょう。まず手始めに、正面に見えている雁坂嶺を越えていきます。
これから歩く奥秩父主脈の大部分は、森林限界を越えそうでいて超えない微妙な高さで連なっています。ただ雁坂峠の周辺に限って言うと、シラビソの立ち枯れ現象が拡大を続けており、結果的に大部分で展望が大きく開けています。
そんな訳でこの先はしばしの間、富士山を常に横目にしながら歩む道となります。この雁坂峠から木賊山に至る一帯は、あまり歩く人は多くないマイナーなルートとなっていますが、展望に関しては一級です。
黒金山の背後には南アルプスの山並み。こんなに景色が良いルートなのに、なんでみんなもっと歩かないのでしょうか。不思議です。
このルートを歩くのは私自身にとって7年ぶりです。雁坂峠から雁坂嶺に至る区間は、もっとあっさりと辿り着いたように記憶していたのですが、意外と距離がありました。はて、こんなにしっかりと登らされたっけか。
6時20分 雁坂嶺に登頂しました。なんだかんだで、峠から1時間近い時間を要しました。まあ、途中で写真を撮りまくっていて歩みが捗々しくなかったからだと言うのもあるかもしれませんが。
県境の山であると言う事で、山頂には埼玉県と山梨県がそれぞれ設置した2本の標柱が立っています。こちらは毎度おなじみの、山梨百名山の標柱です。
雁坂嶺を越えると、お次は破風山が前方に立ちふさがります。アップダウンが多めで、なかなか一筋縄ではいかない尾根道です。
ちなみにこの写真の中央右奥に見えているのが、本日の目的地である三宝山です。まだまだ先は長い。
雁坂嶺と破風山の周辺一帯では、シラビソの立ち枯れ現象がかなり目を引きます。
この立ち枯れ現象の正確な原因は不明であり、長らく酸性雨の影響であると考えられていました。しかし近年行われた調査により、奥秩父の山に酸性雨の影響はない事が判明しています。
酸性雨の主な原因となる二酸化硫黄や窒素酸化物などの物質は、おもに京浜工業地帯からの煤煙などにより生じていますが、偏西風の影響によりそれが奥秩父の上空にまで到達することはないからです。
近年では温暖化による気候の変動と、それによる乾燥化が主な原因ではないかと考えられています。
破風山に向かって登り返します。九十九折れも無いもない愚直なまでの直登勝負で、かなりの急勾配です。これはなかなかしんどいぞ。
何だかよくわからないペンネーム(?)の人が設置した標識に励まされつつ、急登に立ち向かいます。
7時35分 良い感じに息も絶え絶えになったところで、東破風山に登頂しました。名前にことさら東と付いていることからお察しの通り、破風山には山頂が2つあります。
お隣の西破風山までは標高差こそさほどありませんが、シャクナゲの藪と花崗岩の岩場に阻まれて地味に歩きにくい道程です。おかげで、距離の割には通り抜けるのにやたらと時間を要しました。
もともと花崗岩の露出した険しい地形な上に、あまり歩かれてはいないこともあって藪の浸食が甚だしく、かなり野性味の溢れる道です。
気温の上昇と共に、下界を覆っている雲がだいぶ高い位置にまで登ってきました。この調子だと、正午になる前に稜線上まで到達しそうです。
8時 破風山に登頂しました。ちなみにここも山梨百名山です。東破風山からここまで、シャクナゲの藪にしこたま往復ビンタされて、だいぶ苦戦を強いられました。
しかし本来の目的地である三宝山とは何のかかわりもないところで、一体何をこんなに悪戦苦闘しているのだろうと、軽く自問自答してしまう道程でありました。
6.木賊山を巻いて、前座の甲武信ヶ岳を目指す
破風山を越えると、お次は木賊山と甲武信ヶ岳が三宝山の前に立ちはだかります。わざわざ遠回りをしているからだとは言えども、彩の国最高峰はなかなかの防御力です。
昨日地蔵岩からも見えていた三宝岩がはっきりと視認できます。うーん、まだまだ遠いなあ(白目)
眼下に小さく、破風山と木賊山の鞍部に立つ破風山避難小屋の姿が見えます。何もそんな下らなくたっていいじゃないですかー。
気乗りはしませんが、道がそうなっている以上は仕方がありません。避難小屋に向かって大きく下って行きます。ここでも足元は花崗岩が露出した岩場で、かなり歩きづらい道です。破風山はどちら側から登ろうとも鉄壁な布陣の山だと言う事です。
ああちなみに誤解の無いように申し上げておきますと、私は破風山の事が大好きですよ。もっともこの時は、シャクナゲにひっぱたかれ過ぎて若干やさぐれておりましたが。
鞍部まで下ってくると、木賊山と三宝山がすっかりと見上げる高さになりました。縦走登山とはそういうものでございます。
8時45分 破風山避難小屋に到着しました。幽霊がでるという噂がある小屋ですが、薪ストーブまで備えていて泊まる分には実に快適そうです。
大きく下ってしまったからには、その後に待っているのは当然登り返しです。いっちょう気合を入れて参りましょうぞ。
登り返している最中に、あれよあれよという間に雲が沸き立ち周囲を覆ってしまいました。しかし何も案ずることはありません。目指す三宝山には、もともと展望は一切ないのですから。
ここだけを見るとまるで甲斐駒ヶ岳を思わせるようよな、真砂が堆積した白亜のビーチがありました。
ここは本来、破風山の姿を眺める格好の展望所なのですが、すっかりと虚無の世界に没してしまいました。まあ涼しくなってええがなと、精一杯の負け惜しみを口にしつつ前進を続けます。
何時しか周囲はいかにも奥秩父らしい、コメツガの森に変わりました。亜高山帯となる標高に到達したようです。
小さい秋見つけた。下界ではまだまだ厳しい残暑の日が続いていますが、季節は確実に秋へと移り変わりつつありました。
木賊山と甲武小屋方面への巻き道の分岐地点へとやって来ました。木賊山は甲武信ヶ岳を目の前から眺めるこの出来る格好の展望所なのですが、この虚無の中を登っても得に得るものは無さそうなので、ここは巻いてしまいましょう。
巻き道に進むと、かろうじてガスに没することから免れている三宝山の姿がありました。木賊山が盾になって、ガスの侵攻を食い止めているような状況です。
分岐から甲武信小屋へは緩やかに下って行きます。それはすなわち、帰路には漏れなく登り返しが付いて来るという事ですが、今はひとまず気にしないことにする。
10時15分 甲武信小屋に到着しました。年季の入った、いかにも昔ながらの山小屋ですといった佇まいが素敵です。
甲武信小屋からは、甲武信ヶ岳を巻いて直接三宝山へ向かう事の出来るルートも存在します。ですがここに来て頭上に青空が戻りつつあったので、せっかくなので甲武信ヶ岳にも登って行きましょう。物のついでと言うやつです。
甲武信小屋から山頂までは、だいたい20分くらいの距離です。距離的には大したことありませんが、そこそこ急登です。
しかし甲武信ヶ岳に登ったついでに三宝山に登る人はいても、逆は極めて珍しいのではなかろうか。まあ、やること自体は全く同じなのですけれどね。
背後を振り返ると、木賊山も奇跡の復活を果たしつつありました。これはひょっとして、なにもかもがうまくいってしまうパターンなのか。
山頂が近づいてきたところで、森林限界を超えて周囲の展望が開けます。
彩の国最高峰である三宝山を差し置いて、付近一帯の山の中でも甲武信ヶ岳の人気だけが一際高い理由の一つが、この展望の良さにあります。もっとも、最大の理由は日本百名山のブランドパワーの方なんでしょうけれど。
10時35分 甲武信ヶ岳に登頂しました。日本百名山であることをことさらに強調する巨大な標柱が出迎えてくれました。ああちなみに、山梨百名山でもあります。
さて、奥秩父随一であるとの呼び声も高い山頂からの展望ですが・・・駄目っぽいですね。甲武信ヶ岳と三宝山の上空だけが、まるで何かの力に守られているかのように晴れている状態でした。残念。
三宝山はすぐ隣にあります。これほど近くにあるというのに、誰からもほぼ見向きもされないと言うのだから、まったくもって不遇な山です。
7.三宝山登山 登頂編 深い森に覆われた静かなる山頂
前座への寄り道はこれくらいにして、そろそろ真打である三宝山へ向かいましょう。山頂に居合わせた人々の「アイツはいったいどこへ行くつもりなんだ?」と言う好奇の目に晒されながら先へと進みます。
甲武信ヶ岳の山頂直下は、基本的にどちらから登ろうとも急登です。地面の柔らかさ加減からして、こちら側に下りる人は相当少ないのでしょうね。
下りきると、甲武信小屋から直接登ってくるルートと合流します。帰りは甲武信ヶ岳を経由せずに、ここから下ることにしましょう。
三宝山の本体に取り付くまでは、緩やかなアップダウンはあるものの、ほぼ水平移動に近い道が続きます。すぐ隣のようにも見えますが、横方向への移動距離自体は結構あります。
いよいよ三宝山に向けた最後の登りが始まりました。この登りの途中に三宝岩方面への分岐があったらしいのですが、完全に見落としました。
分岐は進行方向から見て右側にあるものだ思い込んで注視していましたが、しかしどうやら左側にあったらしい。そりゃあ見落としもしますわな。
振り返ると背後には甲武信ヶ岳と木賊山の姿がありました。三座ともにほぼ同じような高さですが、僅差で三宝山が最高峰となっています。
シャクナゲのトンネルの先に、開けた空間があるのが見えて来ました。
11時10分 三宝山に登頂しました。あははははは、これはまた絵に描いたかの如き地味山ですねえ。標柱と三角点だけがポツンとある空間です。だがしかしそれが良い。
標柱の側面には、しっかりと埼玉県の最高峰である旨がアピールされていました。しかしこの文言、わざわざ見えにくい方に書いてあるんですよね。もっと目立つ反対側に書けばよいものを。
山頂の様子
頭上だけがぽっかりと開けていますが、周囲の展望は一切ありません。なお、三宝岩の上に登ればそれなりに展望はあるそうです。私は分岐を見落としてしまったので、登れませんでしたけれどね・・・
8.三宝山登山 下山編 山梨県側の西沢渓谷入口へと下る
彩の国の最高地点を踏むと言う目標は無事に達せられました。これでもう、何も思い残すことはことはありません。ボチボチ下山に移りましょう。
帰りは甲武信ヶ岳の山頂を経由せずに、分岐から直接甲武信小屋へ下ります。
12時5分 山頂巻きつつ下って行くと、あっさりと小屋が見えて来ました。
荒川水源の碑が立っていました。埼玉、山梨および長野の3県境界上に立つ甲武信ヶ岳は、荒川、富士川および信濃川という3つの大河の源流の山でもあります。
水の残量がだいぶ心もとなくなっていたので、甲武信小屋の水場で給水して行きます。価格は1Lにつき100円です。こちらの水は荒川水系ではなく、笛吹川(富士川水系)源流の沢からポンプアップしています。
破風山方面への分岐地点まで戻って来ました。ここから針路を右に転じて、山梨県の西沢渓谷方面へ下ります。
ここにきて登り返し・・・だと・・・。すぐに下り始めるものだと思っていたのに、割としっかり登り返しさせられました。
思いもよらぬ伏兵に遭遇しましたが、登り返しは今度こそ終了です。丸渡尾根方面へと進みます。
奥秩父以外の何物でもないような苔生す針葉樹の森が広がります。この後に待ち受けている怒涛の急降下が始まる前の、一時の安息のような癒しの空間です。
本来は好展望スポットのザレ場は、ガスに覆われて完全なる虚無の世界と化していました。このザレ場を過ぎると、あとは最後まで緩むことの無い急勾配の下り続きます。
西沢渓谷から甲武信ヶ岳へと至るこの徳ちゃん新道ルート。これまで登りで使ったことはあっても下ったことは一度もありませんでした。急勾配だと、下る分にはむしろ短時間で済むから良いのかな。
途中からはシャクナゲ地帯となります。そのため、甲武信ヶ岳のベストな訪問時期は梅雨入り直前くらいの時期です。今くらいの時期は完全にオフシーズンですね。
13時50分 新道分岐まで下って来ました。ここが徳ちゃん新道におけるほぼ中間地点です。まだ半分ですかい。
容赦の無い急坂はなおも続く。前回訪問時は本当によくもまあこの道を登ったよな思うような急坂の連続です。登った経験のある人間が口をそろえて「キツかった」と言う感想を口にするのも納得の道です。
眼下に広瀬湖が見えて来ました。まあだいたいあの高さくらいまで下るわけなのですが、まだ結構な標高差が残っています。
・・・しかしちょっといくらなんでも急すぎませんかね。登る分にはまだしも、下りだとちょっと恐怖心を感じるような勾配です。
15時15分 後半はだいぶ端折りましたが、登山口の西沢山荘まで下って来ました。
この時間なら、最終便の一本前の15時40分発のバスに間に合うかもしれません。駆け足気味の下山でだいぶ足に来てはいましたが、疲れた体に鞭打って足早に入口へと向かいます。
というのも、最終便の一本前のバスに乗ることが出来さえすれば、途中下車して温泉に立ち寄って行くことが出来るからです。2日分の汗と埃を、どうあっても洗い落として行きたい。
国道140号線のループ橋の下を通ります。車であっと言いう間にトンネルを通り抜けてしまう現代の旅人たちには、自分の足だけで峠を越えてきたこの達成感は到底味わえまい。・・・そのことになにか意味があるのかどうかはさておき。
15時35分 西沢渓谷入口バス停に到着しました。早足で歩いた甲斐もあって、何とかギリギリ最終便の一本前のバスに間に合う事が出来ました。
笛吹の湯で途中下車してひと風呂浴びて行きます。こちらは市営の温泉施設と言う事で、売店などはありませんが入浴料は510円とお安めです。
ちなみに西沢渓谷発のバスは、塩山駅行きの山梨交通バスと、山梨市駅行きの山梨市営バスの2つが混在しています。
この後帰りに乗車する最終便は山梨市営バスの方で、こちらは交通系ICカードには対応していません。あらかじめ小銭を用意ておきましょう。
西武線から始まった今回の旅は、中央本線の駅でゴールとなりました。2日間に渡りたくさん歩いて大満足です
こうして無駄に遠回りをしつつ埼玉県最高峰を目指した旅は、だいぶヘロヘロになりつつも無事に完了しました。雁坂峠を越える秩父往還の道筋は、前々から一度辿ってみたいと思っていたルートであったこともあり、個人的には大変満足度の高い山行きでありました。
純粋に三宝山の頂を踏むことを目的とするのならば、雁坂峠を経由する必要は全くありません。毛木平か西沢渓谷入口からスタートするのが簡単かつ無難な選択肢です。
埼玉県の最高峰は、いかにも奥秩父らしい針葉樹と苔の森の中にひっそりと静かに佇んでいました。この山が多くの登山者で賑わう人気の山になることはこの先も恐らくなく、一部の好事家がだけが甲武信ヶ岳に登ったついでに何となく気まぐれで訪れる山であり続けることでしょう。
だがしかしそれが良いと思う奇特な方は、彩の国の最高峰を目指してみては如何でしょうか。
<コースタイム>
1日目
川又バス停(9:40)-雁坂峠登山口(10:00)-雁道場(11:40)-突出峠(12:40)-樺小屋(13:25~13:40)-地蔵岩(14:35~15:15)-雁坂小屋(16:30)
2日目
雁坂小屋(5:10)-雁坂峠(5:30)-雁坂嶺(6:20)-東破風山(7:25)-破風山(8:00)-破風山避難小屋(8:45)-甲武信小屋(10:15)-甲武信ヶ岳(10:35)-三宝山(11:10~11:30)-甲武信小屋(12:05)-新道分岐(13:50)-西沢山荘(15:15)-西沢渓谷入口バス停(15:35)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
埼玉最高峰に埼玉側から、という冒頭のコンセプトを読んだ時点で「あぁー、いいっすねー」と呟きながら楽しく拝読しました。自分なりにコンセプト設定がある時は気分が乗りやすいですよね。(私だけでしょうか)
三宝山とは少々ずれますが、5月に多摩川水源と雁坂テン場目当てで中島川口〜笠取山〜雁坂小屋テン場〜西沢渓谷と半分ほどオオツキ様と重複したルートを歩きました。書かれている通り雁坂嶺前後の稜線(古礼山〜破風山辺り)は所々想像以上の展望で、その割に認知度が低いのは不思議ですね。今回の主役の三宝山と川又コースは未踏で特に川又コースは何度か計画まで立てて機会を逃してきたのでいずれ歩く際はまた本記事参考にさせて頂きます。
ペン生さま
コメントを頂きましてありがとうございます。
秩父往還を辿る川又ルート(突出コースと言うのが正式名称であるらしい)は、地味ながらも歴史のロマンが詰まっていて、渋い山を好む物好きな方には特にオススメです。そして自分でやっておいて言うのもなんですが、無理に三宝山を絡める必要はないと思います。