山形県、福島県および新潟県の三県境界上にまたがる飯豊連峰(いいでれんぽう)を縦走してきました。
人里からは遠く離れた僻地に連なる広大で奥深い山域であり、東北アルプスの異名を持ちます。日本海側に面しているため冬は季節風の影響で豪雪地帯となり、夏になると豊富な雪融け水によって稜線上には花が溢れます。
花の季節は過ぎてしまった、夏の終わりの飯豊連峰を巡って来ました。
2024年9月9~10日に旅す。
飯豊連峰は新潟県と東北地方の境界上に横たわる巨大な山塊です。標高は2,000メートルを少し超える程度ですが、豪雪地帯にあるため森林限界高度は低く、視界の開けた稜線が連なっています。
私にとって飯豊連峰は、雲ノ平と並んで長年の勘案であり続けた山域でした。何しろ僻地と言って良い場所にある山なので、まとまった休みが取れないと、なかなか訪問することが難しい場所です。
今回念願がかなって、ようやく訪問してきました。
飯豊連峰訪問のベストシーズンと言えば、稜線上に花が溢れる初夏の時期であろうかと思います。私も当初は花の季節に訪れるつもりでした。
しかし2024年の夏は梅雨明けが遅くいつまでも天気がぐずついていて、2日以上続けて晴天となるチャンスを待っている間に、あれよあれよという間に日が過ぎて行きました。
このままでは登りそこなってしまうと思い、イマイチな天気予報の中で決行した山行きでしたが、途中から大雨に降られて散々な目に遭いました。
当初は三国岳からえぶり差岳まで飯豊連峰の主要なピークを縦走する計画でしたが、途中で打ち切って飯豊山荘に下山する結果に終わりました。
不完全燃焼の漂う山行きでしたが、今回は当初計画の通りに歩いた縦走1日目と2日目の記録です。
コース
川入バス停より入山し、初日は三国岳避難小屋に宿泊します。翌日に飯豊本山に登頂したのちに、飯豊連峰最高峰の大日岳を目指します。
大日岳に登頂後は、御西岳避難小屋まで戻って宿泊します。3泊4日飯豊連峰縦走の、最初の2日間の行程です。
1.序章 飯豊連峰縦走 計画編
飯豊連峰は遠い。付近の主要な鉄道路線や幹線道路からは遠く離れた山奥に位置しています。公共交通機関の利用を前提とした場合、まず登山口に辿り着くまでが一つの核心部であると言えます。
と言う事で、本編に入る前にまずは計画編です。
タクシーに大枚をはたく覚悟があるならばどうとでもなる話ではありますが、バスの利用を前途とすると選択肢は2つしかありません。1つ目がJR磐越西線の山都(やまと)駅から出ている川入行きの登山バスです。
この路線は季節運航で、7月中旬から9月中旬までの2ヵ月間の金・土・日・月のみの運行となります。曜日の設定が中途半端にも思えますが、おそらく週末の土日に有給を1日追加して登りに来る人を想定しているのでしょう。
もう一つの選択肢が、JR米坂線の小国駅から出ている飯豊山荘行きの町営バスです。こちらも季節運航で、飯豊山荘まで運転されるのは7月1日から8月31日までの2ヵ月間のみです。こちらは平日にも運行されます。
運行期間外になると飯豊山荘よりも5kmほど手前にある飯豊梅花皮荘停まりとなりますが、登山口まで歩けないことは無い距離ではあります。
注意点として、JR米坂線は令和4年の豪雨災害により一部区間で運休状態が続いており、小国駅も運休区間内に含まれています。代行バスが運行されていますが、本数が少なく乗り継ぎはかなりシビアです。
そんな辿り着くだけでも一苦労する飯豊連峰ですが、稜線上には多くの避難小屋が建っており、一部の小屋は夏山シーズン中に管理人が常駐しています。
一度稜線に乗ってしまえさえすれば、その後はこれらの避難小屋を泊まり歩けば良く、縦走のハードル自体はそこまで高くありません。とにかく現地入りするまでが一苦労の山域であると言えます。
そうそう気軽に何度も訪問できるような山ではないので、今回は3泊4日の行程で飯豊連峰の主要なピーク全てを縦走する計画を立てました。
川入から入山して1日目は三国岳避難小屋に宿泊。2日目は飯豊本山と大日岳に登って御西岳避難小屋泊。3日目はえぶり差避難小屋に宿泊し、最終日に大石口に下山します。
大石口にはバスが無いため、下山後はタクシーを呼ぶことになります。実際は思惑通りには事が運びませんでしたが、そのあたりの顛末については本編で。
2.飯豊山登山 アプローチ編 バスと電車を乗り継いで行く、川入への遠き道程
9月9日 0時12分
飯豊連峰はとにかく遠い。当日の朝に東京を出発したのでは、川入行きのバスの時間には到底間に合いません。そのため夜行バスで現地入りします。
福島県の郡山行きのバスに乗車します。郡山から登山口最寄り駅の山都までは、鉄道を使って移動します。
例のごとく出発のギリギリになってから予約したので、座席は最前列でした。事故があった時は一番死ぬ可能性が高い席ですね…。シートベルトはしっかり着用しましょう。
5時32分 郡山駅に到着しました。しっかりと眠れたような眠れていないような微妙な体調でバスから降り立ちます。
早朝時間帯の郡山駅周辺は、人影もなく静まり返っていました。乗車予定の電車の発車時刻まではまだ間があるので、今のうちに駅前のファーストフード店で朝食を済ませておきます。
早朝から開いている店は限られているし、いちいち考えるのも面倒なので、山登りに行くときの朝食はだいたいいつも牛丼です。腹持ちも良いし、やはり米の飯こそが至高です。
6時52分発の会津若松行き磐越西線に乗車します。目的地である山都駅までの所要時間はおよそ2時間ほどと、なかなかの長旅です。まだ何となく眠りが足りていない感じがするので、ありがたく睡眠時間に充てさせてもらいます。
8時10分 会津若松駅に到着しました。この先は非電化区間となるため、野沢行きの気動車に乗り換えます。ただ乗っているだけでも旅情が感じられるので、個人的にキハ110は大好きです。
8時44分 山都駅に到着しました。どうやら近くに高校があるらしく、大勢の学生が駅に降り立ちました。
この山都駅から飯豊山の登山口である川入行きの登山バスが運行されています。季節運行ではありますが、極めて数少ない公共交通機関による飯豊連峰へのアクセス手段です。
午後の便は基本的に下山してきた人を収容しに行くための便でしょうから、アプローチに使えるのは実質1日1本です。
バスと言うよりは、乗合タクシーのようなバン車両です。本日は平日の金曜日と言う事もあり、乗客は私を含めて2人だけでした。
9時33分 川入に到着しました。若干うろ覚えですが、ここまでの運賃は確か1,000円ちょうどでした。自宅を出発してから10時間以上をかけて、ようやくにして入口に立つことが出来ました。
2.飯豊連峰の玄関口の御沢野営場
9時35分 身支度もそこそこに、本日の行動を開始します。なお車でお越しの人は、この先にある御沢(おさわ)野営場まで入れます。
僻地に立つ山だけに、飯豊連峰は車で登りに来る人の方が圧倒的に多数派です。今こそこの胸の奥底から溢れ出す、環境意識の高さが試されるときです。
小さな集落の中を通り抜けて進みます。車が無いと、そもそも生活そのものが成り立たなさそうな場所です。
前方にあるはずの飯豊連峰の山並みは、分厚い雲に覆われています。もとより本日は稜線上まで登るだけの移動日のつもりでいるので、気にはしません。雨に降られでもすると面倒ではありますが。
おどろおどろしい熊注意の看板が立っていました。鮮血が描かれているのはなかなか珍しいのではなかろうか。
10時5分 川入から30分ほど歩いたところで、御沢野営場に到着しました。結構な数の車が停まっており、本日の入山者はそこそこ多そうです。
キャンプが出来るようなので、ここに前入りして翌日の早朝から歩き始めるというのも一つの選択肢になります。
この案内所の中に登山届の投函ポストがあるので、まだ出していない人はここで提出していきましょう。ついでにトイレも済ませておきます。
キャンプ場を過ぎて以降も、まだしばらく車両も通れそうな砂利道が続きます。森の中に入れば多少は涼しいのではなかろうかと期待していたのですが、ジメッとしていて非常に蒸し暑いです。
飯豊連峰は標高がそこまで高い訳でもないのに、稜線上は森林限界を越えていて直射日光がギラギラと降り注ぐため、特に夏の間は灼熱地獄と化します。
しかしそうは言っても、夏にしか見ることのできない光景もある訳で、そこはひたすら暑さに耐え忍ぶしかありません。
11時 御沢登山口まで歩いて来ました。樹齢およそ400年と言われる杉の巨木が出迎えてくれました。ここからようやく登山道が始まります。
飯豊連峰縦走路の略図が掲げられていました。川入から大石口までを通しで歩くと、総歩行距離はおよそ45kmになります。
3.淡々とした登りが続く地蔵山分岐までの道程
ここから稜線上に出るまでは、登り一辺倒の道が続きます。いっちょう気合を入れていきましょう。
歩き始めて早々から、見上げる高さの巨樹の森が広がっています。交通困難な奥地にある山だけに、人間による開発の手がほとんど及んでいない原始の森です。
登り始めて45分程で、下十五里と呼ばれている平坦地が現れました。まだまだ序の口なので、休憩は取らずに行動を続行します。
小さい秋見つけた。9月に入ってもまだまだ厳しい残暑が続いていますが、しかし山の季節はこうして着実に移ろいつつありました。
12時5分 先ほどの下十五里に続いて、今度は中十五里と呼ばれる平坦地が現れました。明らかに人為的に伐採された空間ですが、何をするために設けられてスペースなのだろうか。
登山道が大きく洗堀されています。これほど奥地にある山であっても、日本百名山に選ばれてしまったが故のオーバーユース問題が発生しているようです。
この辺りでパラパラと音を立てて雨が降り始めて、しばしの雨宿りを余儀なくされました。空は明るくどうやら通り雨のようなので、レインウェアは着込まずにひとまずは様子を見ます。
雨が小降りになったところで行動再開です。13時10分に上十五里まで登って来ました。ここでもやはり、樹木が伐採された小広場になってます。もしかするとレスキューポイントなのかな。
急登と言うほどもありませんが、かと言って決して緩くはない、淡々とした登りが続きます。この辺りはひたすら我慢の登山です。
薄っすらと木漏れ日が差し込んできました。ひとまず雨は去ったようでほっと一安心です。ただでさえジットとしていて蒸し暑いのに、その上さらにレインウェアを着込んだ日には、暑くてやっていられませんからね。
先ほどの雨を契機に活動をを始めたらしいカエルが、そこかしこを跳ね回っていました。道の上でぼさっとしていると、踏んづけられるぞい。
洗堀というレベルを超えて、V字の谷底のような状態になってしまっている場所もあります。飯豊山はどうやら花崗岩の山らしく、真砂が堆積した地層が露出しています。
14時10分 横峰と言う名称の小ピークまで登って来ました。ここまで登ってくると、ひとまず登りの傾斜が緩んで一息付けます。
現在地の標高はまだ1,400メートルほどですが、早くも森林限界に近づいているらしく、周囲に背の高い木が無くなりました。
この先に地蔵山と言うピークがありますが、登山道は山頂を通らずに西側を巻いていきます。
晴れていれば左手に三国岳が見えるはずですが、今はどんよりとした雲に覆われています。行く先でガスの中に突入することが約束されてしまっていると、いまいち意気が上がりませんなあ。
地蔵山のピークを巻いている途中に水場があります。この先の三国岳直下にある水場は、時期によっては涸れていることもあってあまりアテにできないので、ここで翌日までの必要量を確保しておきましょう
アルミホイルやビールの空き缶やらが使用されていて、画的にあまり清潔感が感じられません。流れている水自体は、非常に冷たく清冽で美味しかったです。ここで3L調達していきます。
ズシリと重くなった荷物にため息をつきつつ進んでいくと、分岐が現れました。右へ進むと地蔵山の山頂に至り、三国岳に向かうなら左です。
先ほど雨宿りのために一時停滞したこともあり、時間的にだいぶ押して来てしまっているので、地蔵山のピークハントはせずに真っすぐ三国岳方面へと進みます。
4.剣ヶ峰の岩場を乗り越えて真っ白な頂へ
分岐からは鞍部に向かって少しだけ下ります。ここでもやはり道は大きく洗堀されていて、完全に水の通り道になってしまっています。
となれば下りきった地点に水が溜まってしまうのは当然の結果と言えます。左右のどちらにも逃げ場がない泥濘状態で、通り抜けるのに難儀しました。
三国岳に向かって再び登りが始まりました。本日の宿泊予定地である三国岳避難小屋は山頂に立っているはずですが、濃密なガスに包まれていてまったく姿は見えません。
三国岳の山頂付近は、剣ヶ峰と呼ばれている両側が切れ落ちた岩場になっています。落ちたらタダでは済まない場所もあるので、ここからは慎重に参りましょう。
クサリ場もあり割と本格的な岩場です。飯豊山と聞くと放牧的な稜線のイメージが強く、こうしたよじ登る系の岩場があるのは意外でした。ともかく、剣ヶ峰を通過している最中に雨に降られなかったのは幸いでした。
岩をよじ登って行くと、ペンキで水と書かれている場所がありました。
この崖のような急斜面を下って行った先に水場があるらしい。私は先ほどの地蔵山の水場で既に必要量を確保しているので、ここはスルーします。
山頂に近づくにつれて、どんどん険しさが増して来ました。山頂部はガスに覆われていたたためシルエットが見えていませんでしたが、三国岳とはこんなにも急峻な山でありましたか。ただの前座くらいに思っていましたが、侮れない防御力です。
先が見えない登りが続いていましたが、唐突にあと3分?との案内が入りました。
実際はあと5分ほど登ったところで、ガスの中から避難小屋が姿を見せました。
16時35分 三国岳避難小屋に到着しました。名前の通り避難小屋の扱いではありますが、夏山シーズン中は管理人が常駐しており、売店の営業もあります。準営業小屋と言ったところか。
宿泊する際は協力金と言う形で2,500円を払います。この金額は飯豊連峰にあるすべての避難小屋で共通です。寝具(寝袋)の貸し出しもありますが、そちらはまた別料金です。
特に山頂標識などはありませんが、小屋が立っている場所が三国岳の山頂です。名前の通り福島、山形および新潟の3県境界となっており、ほぼ全方位に展望が開けている・・・はずです。晴れていればね。
この日の宿泊者は私を含めて4人しかおらず、広々とスペースを使う事が出来ました。どうか明日は晴れてくれますように。おやすみなさいZzzzzzz。
5.大きくアップダウンを繰り返す切合小屋への道程
明けて9月10日 5時25分
小屋の外に出るなり一面シルキーの世界に出迎えられ、ご来光が見えたら良いなという期待を木っ端みじんに打ち砕いてくれました。この後ガスが抜けてくれることに期待して、とにかく出発します。
本日の天気予報は、午前中は晴れで午後からは曇りとなっています。なんとか、飯豊山の山頂に立つタイミングで晴れ間を掴みたいところですが、果たしてどうなるか。
歩き始めて程なく、予報の通り薄っすらと青空が見え始めました。
雲越しに太陽の熱気が感じられます。本日も昨日に引き続き、暑さに苦しめられる一日となりそうです。スッキリと晴れてほしいような、欲しくないような。
鉄ハシゴが固定された岩場などもあり、割とアスレチックです。漠然と稜線上に乗って以降は平標山と仙ノ倉山の間のような光景がずっと続くものだと思いこんでいたのですが、今のところイメージしていたのとはだいぶ雰囲気が異なります。
進行方向先のガスも取れて来ました。見たたところかなりアップダウンの激しい細尾根が続いています。
飯豊山と言われて多くの人が想起するであろう、なだらかで放牧的な稜線の光景は、主に飯豊山から大日岳に至る区間のものです。三国岳の周辺に限って言うと、なかなか急峻な姿をしています。
この尾根の左側斜面は新潟県で右側斜面は山形県なのですが、尾根の上の幅およそ90センチだけが福島県の扱いとなっています。この細長い福島県の県境ラインは、飯豊山の山頂をへて御西岳までずっと続いています。
飯豊山は五穀豊穣の山として会津地方で古くから山岳信仰の対象とされており、飯豊山の山頂にある飯豊山神社についても福島県の一ノ木村(現在は喜多方市の一部)に帰属するとされたため、このように奇妙な県境のラインになっています。
ガスが完全に抜けると、山の麓には見事な雲海が広がっていました。
昨日脇を通って来た地蔵山の稜線上を、雲滝が流れていました。いくつかの条件がそろった日の、早朝時間帯にしか見る事が出来ない光景です。
背後を振り返ると、昨日泊まった三国岳避難小屋が見えました。周囲が全く見えていませんでしたが、あんな所に建っていたのですね。
前方に目指す飯豊山も姿を見せました。思った以上にアップダウンが厳しそうですぞ、これは。
山の神様の機嫌が変わらないうちに、先を急ぎましょう。道の状態はあまり良いとは言えず、そもそも道自体が細かったり崖に向かって斜めになっていたりして、油断がなりません。
ロープがあって良さそうな傾斜の岩場にも、なんの補助もありません。これは本当に百名山のメジャールートなのか。
岩登りもしっかりあって、結構アルペン的な道です。東北アルプスという異名は、ただの名前だけでは無かったようです。
どこから登るにしても歩行距離が長めであるし、総じて飯豊山は日本百名山の中でも登頂難易度は高い方だと思います。
前方の視界が開けて、ようやく飯豊山本体の全容が視界に入りました。飯豊山と言うと広義には飯豊連峰全体をさすこともあるため、区別のために飯豊本山とも呼ばれます。
これほどの奥地にありながらも、古くから信仰の対象として登られてき霊山でもあります。山頂に立つ飯豊山神社の開山は古く、西暦で言うと625年の飛鳥時代にまで遡ります。
眼下に切合小屋の屋根が見えました。飯豊連峰の稜線上にある避難小屋の中では収容人数が一番大きく、非常に人気のある小屋です。
切合小屋の手前に種蒔山と言うピークがありますが、登山道はピークを踏まずに脇を巻きます。
ここまで歩いてきて、ようやくイメージしていた飯豊連峰らしい光景になりました。一度稜線まで出でさえしまえば後は天国、みたいな印象がありますが、意外とそうでもないです。
左手に飯豊連峰最高峰の大日岳が見えます。飯豊本山に登った後は、当然あそこまで足を伸ばす予定でいます。最高峰の土を踏むことは、ピークハンターたる者のお勤めでございます。
種蒔山からしっかりと標高を落としたところで、切合小屋の裏手に出ました。
7時45分 切合小屋まで歩いて来ました。収容人数80人のかなり大きな小屋です。それでも最盛期の週末土日には満員御礼状態になってしまうのだとか。
初日のうちにここまで歩いて来ることが出来れば、飯豊連峰縦走を2泊3日の行程で歩くことも十分に可能です。山都駅からのバスを利用した場合は、よほど歩くのが早くないと時間的に厳しいとは思いますが。
夏山シーズン中は、小屋の前に沢から引いた水場が設置されます。この先に信頼の置ける水場は梅花皮小屋(かいらぎごや)まで行かないと無いので、ここで翌日までに必要な分を確保しておきましょう。
6.タッチの差で雲に覆われてしまった飯豊本山の頂
再び3Lの水を積んでズシリと重くなってしまった荷物にため息をつきつつ、先へ進みます。
飯豊本山に取り付く前に、草履塚と言う不思議な名前の小ピークを乗り越える必要があります。信仰の山である飯豊山を詣でる際に、履き替えた草履が積まれて塚状態になっていたことが由来です。
草履塚の山頂まで登って来ました。この辺りの稜線上には陽射しを遮るものが一切ないため、お日様ギラギラでだいぶ暑さにやられてきましたぞ。
大日岳が雲に纏わりつかれつつありました。予報の通りではあるのですが、それにしても夏雲が沸き上がって来るのが早すぎる。
飯豊本山の方は今のところまだガスは沸き立っていませんが、いずれにせよ時間の問題です。暑さにやられてだいぶバテつつはありますが、何とか頑張ってペースを上げていきましょう。
はやる気持ちを嘲笑うかのように、鞍部に向かって一度大きく標高を落とします。なにも、そんなに下らなくたっていいじゃないですか~。
鞍部まで下りてくると、飯豊本山はすっかりと見上げる高さになってしまいました。一見近そうに見えますが、切合小屋から飯豊本山の山頂までは標準コースタイムで2時間以上を要します。
鞍部に姥権現と呼ばれる地蔵が祭られています。
信仰の山である飯豊山はかつては女人禁制でしたが、江戸時代に禁を破って飯豊山に登った小松のマエという女性が、神の怒りに触れて石に変えられたという伝承が残っています。
この地蔵はそのマエを祀ったものだと言われています。
続いて御秘所(おひそ)と呼ばれる岩場が現れます。飯豊山詣でにおける最大の難所とされていた場所で、修験の霊場でもありました。悪いことをしている人間は、通行時に天狗に攫われるという伝承があります。なら俺は安心だな。
天狗の襲撃に備えて周囲を警戒をしつつ、慎重によじ登ります。クサリが整備されていて難易度自体は高くありませんが、高度感はそれなりにあります。
御秘所を抜けたらもう難所はありません。山頂に向かってビクトリーロードを駆け上がりましょう。
・・・ぜーはーぜーはー。いったい誰だ、もう難所は無いとか適当なことを抜かしたヤツは。この山頂への最後登りはなかなかの急登です。そしてなによりも、とにかく陽射しがキツイ。
背後を振り返ると、ここまで歩いて来た稜線が一望できました。こちらもだいぶ雲が湧いてきており、稜線の上を覆いつつありました。時刻はまだ午前10時前なのに、雲が沸き立つのが早い、早すぎる。
喘ぎながらもなんとか登りきると、大きく開けた白洲のような空間に出ました。どうやここはテント場であるらしい。
飯豊連峰の稜線上には、テントを張れる場所は意外とたくさんあります。ただ2,500円払えば屋根と壁がある快適な避難小屋に泊まれるわけですから、混雑期以外ではあまりテントを担いで歩くことにメリットを感じません。
正面に見えているのが本山小屋です。ちなみに小屋がある場所はまだ山頂ではなく、山頂はさらに奥にあります。
9時55分 本山小屋まで登って来ました。飯豊山の山頂に一番近い場所に立つ避難小屋ですが、切合小屋よりは小さく収容人数は50人ほどです。こちらも夏山シーズン中は管理人が常駐しています。
本山小屋のすぐ裏手に飯豊山神社の奥宮があります。鉄筋コンクリート製の味気ない建物ですが、夏の間は神職の方が詰めていて御朱印も頂けます。
飯豊山神社の裏手へ進むと、ようやく飯豊本山の山頂がみえました。そして、今まさに見ている目の前で、雲に覆われつつありました。その雲ちょっと待った、ジャスタモーメント!
山頂の一帯はかなり広々とした平尾根になっており、池塘がポツポツとあります。初夏の雪解け直後くらいの時期に訪れたら、きっと天国のようなお花畑が広がっているのでしょうね。
かく言う私も本当は7月の上旬ごろに訪問しかたったのですが、今年の夏は雨ばかりで一向に天候が安定せず、気が付けばもう夏が終わらんとしている時期になってしまいました。
山頂を覆いつくさんと迫りくる雲と競争するかのように、山頂に向かってラストスパートをかけます。
標柱が見えました。しかし、既に周囲は虚無に覆われつつありました。タッチの差で間に合わなかったか。
10時15分 飯豊本山に登頂しました。辛うじてまだ何とか視界が残ているうちに辿り着くことが出来ました。
到着して早々ですが、ここで長年の悲願をかなえたいと思います。準備はよろしいでしょうか。よければ大きく息を吸い込んで下さい。さん、はい!「飯豊はいいで~」
ふう、満足しました。もう何年も前から、ずっとこれを叫びたかったのですよ。
恐らくは飯豊連峰の中でも最も絶景なのであろう大日岳方面へと続く稜線は、ガスに覆い隠されつつありました。一番おいしい所をタッチの差で見逃すとは、まったくトホホな展開です。
まあ明日以降はもっとトホホな目にあうのですが、それはまだ先の事なので、次回にじっくりと語ることにしましょう。
背後のここまで歩いてきた稜線も、ガスに呑み込まれつつありました。南の新潟県側から沸き立った雲が、稜線全体を覆いつくしつつありました。
7.虚無に包まれた飯豊連峰最高峰の頂
10時40分 一瞬でも大日岳方面のガスが取れる瞬間がないものかと山頂で少し粘りましたが、ますます状況が悪化して来ました。諦めて行動を再開します。
明日歩く予定の北股岳方面は、まだ雲に飲まれずになんとか頑張っています。こうして見ると、明日以降もなかなかアップダウンが厳しそうです。
笹に覆われた平坦な稜線が続いています。この辺りが、飯豊連峰の稜線の中で一番気持ちよく歩くことのできる区間だと思います。
9月に入っても、まだ所々に残雪がチラホラと残っていました。それだけ冬の積雪量が多いのでしょう。
御西岳に向かって緩やかに登り返します。まさにイメージしていた通りの天国のような稜線です。それだけに、このタイミングでガスに覆われてしまったことが本当に口惜しい。
まだ綿毛化していないチングルマが僅かに咲いていました。9月に入ってもまだ咲いているとは、かなりの遅咲きです。通年で特に気温が低い場所なのかな。
登山道は御西岳の最高地点を微妙に外した場所を通ります。前方に避難小屋の建物が見えて来ました。
12時25分 御西岳避難小屋に到着しました。本日はこちらに宿泊します。収容人数30人ほどの小ぶりな小屋で、この日は管理人が不在でした。
この小屋は切合小屋や梅花皮小屋に比べるとあまり人気はなく、それゆえにきっと空いているだろうと期待しています。
小屋の中に入ると、この時間はまだ誰もおらず無人状態でした。一番乗り言う事でとりあえず寝床スペースを確保しておきます。
管理人の不在時には、協力金を備え付けの封筒に入れてこのポストに投函します。
重量物は全て小屋に残し、少量の水と貴重品だけをもって大日岳を往復してきます。大日岳は飯豊連峰の主脈からは少し外れた位置にあり、完全に新潟県内にあります。
足元が綿毛化したチングルマに覆いつくされています。やはりお花の最盛期に訪問したかったな。
夏の花は大部分が既にもう終了していましたが、トリカブトだけがまだポツポツと残って咲いていました。
大日岳との鞍部まで下ってくると、ガスの下に抜けて前方の視界が開けました。大日岳の山頂は、完全に雲に覆われてしまっています。
北側の北股岳方面だけが、相変わらず晴れていてよく見えます。その晴れ間を大日岳にも分けてあげてください。プリーズ。
かなり大きな池塘が点在しています。この御西岳と大日岳の間の一帯は、初夏にヒメサユリが咲くらしい。やはりどう考えても飯豊山は7月中旬頃かベストシーズなんだよな。
最初から敗北が約束されていると、やはりどうにも意気は上がりません。しかし例えどんなに気乗りしなくても、ピークハンターとしての責務は果たさねばなりません。何故ならば、そこにピークがあるから!
手も使わないと登れないような岩場もあり、なかなかかの急登です。流石は飯豊連峰の最高峰なだけあって、そうそう簡単には登らせてくれません。
近そうに見えて、御西岳避難小屋からはおよそ1時間半くらいかかります。飯豊本山を残り越えて来た疲労もあってか、徐々に足が前に出なくなって来ましたぞ。
14時40分 大日岳に登頂しました。見よや、これが飯豊連峰最高峰からの展望だ。・・・心の目で見ればきっと見えます。
周囲は一面の虚無の世界で何も見えませんが、頭上にだけ僅かに青空が見えました。
8.下山した直後に綺麗に晴れる登山あるある
ガスが抜けないものかと山頂で30分以上も粘りましたが、一向に晴れる気配はありません。
15時20分 諦めて下山を開始します。来て早々に言うのもなんですが、これは「再訪ノ要アリト認ム」ですな。出来ればヒメサユリが咲く頃にでも。
鞍部まで下って来ると、ガスの下に抜けました。往路に歩いた時から、状況は全く変わっていないようです。
しかし御西岳に近づくにつれて、徐々に頭上に青空が広がり始めました。あれ、なんか晴れて来てきたぞ。
背後を振り返ると、いつの間にか大日岳が雲の中か姿を見せていました。なんてこったい。もっと山頂で粘れば良かったのか。
明日歩く稜線もよく見えています。・・・なんだか思っていた以上にアップダウンがえぐくいない?
17時5分 御西岳避難小屋まで戻って来ました。出発時には無人だった小屋にも数組の登山者が到着していて、最終的な宿泊者数は私を含めて6人でした。
小屋の中で、お湯すらも沸かさない文化的な食事を手早く済ませてから表に出ると、ちょうど夕焼けタイムが始まりつつありました。
日本海に向かって夕日が沈んでいきます。よもやあの虚無の山頂からここまでの逆転劇があろうとは、思ってもいませんでした。
夕日に照らされる大日岳です。飯豊連峰の最高峰たるに相応しい、堂々たる威容を備えた山です。縦走路からは外れた位置にあるのでスルーされてしまう事も多いようですが、それはあまりにも勿体ないことだと思います。
夕焼けタイム終了です。毎度の事ながら、あっと言う間の天体ショーでした。
早朝から1日中歩き回った疲れもあってか、この後は横になるなりあっという間に眠りが訪れました。予報では明日以降お天気はイマイチ芳しくないようですが、少しでも晴れる時間帯があるといいな。
長年の懸案であり続けた飯豊山への訪問でしたが、もう夏も終わろうとしているギリギリに時期なってようやく実現することが出来ました。本文中でも散々触れましたが、飯豊山訪問のベストシーズンと言えるのは、まだ残雪がある初夏の季節であると思います。9月上旬は夏の花はもう終わっているが紅葉にはまだ少し早く、時期的に中途半端であったことは否めません。もっとも、そのおかげで比較的空いていたとも言えますが。
飯豊連峰はそうそう容易には行けない遠隔地にあり、要求される体力度的にも決して易しい山ではありません。どちらかと言えば玄人向けと言える山ですが、その苦労に見合うだけの唯一無二の光景が確かにありました。登山が好きな人ならば、できれば一生に一度くらいは訪れるべきである。そう思わせてくれるような良きお山でした。
<コースタイム>
1日目
川入バス停(9:35)-御沢野営場(10:05~10:50)-下十五里(11:45)-中十五里(12:05)-上十五里(13:10)-横峰(14:10)-三国岳避難小屋(16:35)
2日目
三国岳避難小屋(5:25)-切合小屋(7:45~8:05)-本山小屋(9:55)-飯豊山(10:15~10:40)-御西岳避難小屋(12:25~13:05)-大日岳(14:40~15:20)-御西岳避難小屋(17:05)
3日目に続く
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント