群馬県桐生市とみどり市の境界にまたがる三境山(さんきょうさん)に登りました。
渡良瀬川上流の草木湖のすぐ傍らに立つ極めてマイナーな山です。三境山の桐生市側の中腹付近一帯には、かつて石灰の採掘で財を成した人々の屋敷が立ち並んでいた事から、屋敷山と言う通称で呼ばれています。現在ではもう屋敷はありませんが、関東地方最大級の面積のミツマタ群生地となっています。
見頃を迎えたミツマタを求めて、桐生の山間部奥深くを訪問して来ました。
2025年4月5日に旅す。
時は山間部に桜が咲き始めるにはまだ少し早い4月の初頭。この時期の登山者の楽しみの一つがミツマタです。今回は群馬県桐生市の山間部奥地にある、屋敷山ミツマタ群生地を訪問してきました。
関東地方にあるミツマタの群生地としては不動尻や焼森山などが特に有名で、それらに比べると屋敷山の知名度はやや低めではありますが、関東地方最大級の群生地であると称しています。
屋敷山は桐生の市街地中心からは遠く離れた場所にありますが、桐生市市営のおりひめバス梅田線を利用することによって、一応は公共交通機関による訪問が可能です。
可能とは言っても、終点の梅田ふるさとセンターバス停から、かなりの長距離を歩くことになりますが…
ミツマタの鑑賞を終えた後は、隣接する三境山を越えてわたらせ渓谷鐵道の神戸(こうど)駅まで歩きます。深い考えも無しに決めたルートでしたが、三境山越えでは道なき道を行くなかなかの険路が待ち構えていました
知られざるミツマタ群生地と、ロクな道の無いマイナーな山を彷徨い歩いて来た1日の記録です。
コース
梅田ふるさとセンターバス停からおよそ8kmの舗装道路を歩いて屋敷山ミツマタ群生地へ。屋敷山からは道なき山中を登り三境山に登頂します。
下山は元来た道には戻らず、わたらせ渓谷鐵道の神戸駅まで歩います。全行程の8割強は舗装道路歩きとなる行程です
1.屋敷山 アプローチ編 公共交通機関で行く桐生への旅路
6時5分 JR上野駅
朝の宇都宮線は赤羽から乗車すると混んでいて座れないこもが多いため、始発の上野駅までやって来ました。目的地の小山駅まではなかなかの長丁場となるため、立って行くのは相当辛いものがあると思います。
ちなみにYahoo路線検索等で桐生駅までの乗り継ぎを調べると、さも当然のことのように新幹線を使った乗り継ぎが案内されます。富豪の方はそちらへどうぞ。
7時25分 小山駅に到着しました。意外と忘れられがちですが、実は新幹線の停車駅です。と言っても、なすのと一部のやまびこしか停車しないため、本数自体は少なめです。
続いて両毛線に乗り換えます。朝の時間帯は学生の利用者が多く、こちらも混雑していることが多いです。
8時37分 桐生駅に到着しました。自宅を出発してから実に3時間以上をかけての到着です。やはり北関東は遠いですな。
8時52分発のおりひめバス梅田線に乗車します。ひとつ前の8時5分発の便もあるのですが、自宅最寄駅からだとそもそも乗り継ぎが間に合わないため、選択肢は実質この便しかありません。
9時26分 梅田ふるさとセンターバス停に到着しました。終点まで乗っても運賃は一律200円です。生活路線であると言うことで補助金が注入されているのでしょうが、罪悪感を覚えそうになる安さです。
現在は桐生市の一部となっていますが、かつてこの辺りは梅田村に属していました。
バス停の名称にもなっている、梅田ふるさとセンターです。お食事処兼地元の物産品の販売所といった性質の施設です。屋敷山を往復するのであれば、帰りのバス待ちの時間の調整をするのにちょうど良いかと思います。
今回私は神戸駅まで抜けるつもりでいるため、残念ながらもうここへは戻ってきません。
2.屋敷山へのひたすら長い舗装道路歩き
9時30分 身支度を整えて行動を開始します。梅田ふるさとセンターから屋敷山ミツマタ群生地までは、およそ8kmの舗装道路歩きとなります。結構長いので頑張って歩きましょう。
道は桐生川の谷に沿って続いています。桐生川は根本山と源頭とする渡良瀬川支流の川で、上流域に広がる森林地帯は桐生川源流林と呼ばれてトレッキングスポットになっています。
このゴルジュ帯は千代ヶ渕と呼ばれています。それこそ全国各地にある~渕と言う地名の例に漏れず、大昔にお千代さんと言う人物が転落して溺死したという悲劇の伝承が残っています。
目的地の屋敷山に辿り着く前の時点から、そこかしこにミツマタが咲いています。
ミツマタはかつて紙幣などの原料とするために人工的に栽培されていましたが、もともと繁殖力が高い植物であるため、人の手が加わらなくなって以降も野生化して咲き続けています。
川沿いのほんの僅かなスペースしかない斜面に切り開かれた茶畑が多く目につきます。
その名も梅田茶と言う名称でブランド化されています。なにもこんな所でと思うのですが、桐生川の流域の寒暖差が大きい環境が茶葉の栽培には適しているらしい。
他の場所にあったらこれだけでも十分に名所となりえそうな規模のミツマタの群生地が、道すがらに無造作に点在しています。
これが特に注目を集めていないと言うことは、目指す屋敷山にある群生地はいかほどの規模なのでしょうか。大いに期待が出来そうです。
道の脇にさり気なく庚申塔が立っています。今歩いているこの県道が、古くから人の往来がある街道であったことを示す証です。
最初からわかっていたこととは言えど、8kmの舗装道路歩きはやはり長い。屋敷山に徒歩で訪れる人はやはりごく少数の物好きだらしく、少なくとも今のところ視界内に歩いている人の姿は見当たりません
川のかなり上流部にまで小規模な集落があります。この辺りは公共交通からは完全に見放されてしまっており、車が無いと生活は出来なさそうです。
10時55分 石鴨天満宮まで歩いて来ました。この辺りが桐生川沿いにある集落の最奥地で、この先はもう人家の無いない山間部となります。
公衆トイレがあるので、用はここで済ませておきましょう。この先の駐車場や群生地にトイレは無いのでご注意ください。
天満宮を過ぎるといよいよ道も細くなって、すれ違うのも困難な隘路となりました。屋敷山のミツマタ効果なのか交通量自体は多く、結構頻繁に車が通り抜けていきます。
このまま道なりに進んでも屋敷山まで行けるのですが、国土地理院の地図を見ると、この支流の沢沿いに屋敷山へ直接登って行けそうな徒歩道が描かれています。
はて、道があるようには見えませんが。何かの間違えなのでしょうか。
そんな事を思いながら橋を渡ると、脇へ入って行けそうな小道がありました。ここから取り付けるのかな。
ちなみにこのまま道沿いを進んでいくと駐車場があり、車でお越しの人はそこまで入れます。車でなく徒歩の人であっても、道なりに進む方が無難なのだろうとは思いますが、せっかくなので脇道に入ってみましょう。
3.廃道状態に道なき道を登り屋敷山を前座主
脇へ登って行くとお墓がありました。ここは入り口ではなかったのでしょうか。
墓の裏手へさらに進んでいくと、しっかりと道がありました。やはり国土地理院地図は正しかったんだ。
・・・と言って良いのかどうかは若干保留すべき状態にあるのですが、ともかく地図に描かれている道はあることにはあります。
未舗装のダートですが、軽トラでも通行できそうな幅の道になりました。沢沿いに砂防堰堤が並んで立っており、どうやらこの堰堤工事のための作業道であったようです。
上流に進むにつれ、やがて道は倒木に塞がれミツマタが路上に好き放題に繁茂していました。この道はすでに廃道状態にあると考えた方が良さそうです。
遂には路盤と言えるものもが完全に無くなり、沢沿いを直接歩く状態になりました。雨で流されたのか、あるいはもともとここまでは道が伸びていなかったのか。
ミツマタがそこかしこに咲いています。これだけでも十分に壮観ではありますが、この先の群生地はもっと凄いので、もったいぶっていないで先に進みましょう。
ここまでで一番大きな砂防堰堤が現れました。一応は踏み跡らしきものが続いており、右端から上に登れます。
堰堤の上に登ると、今度はしっかりとした道がありました。なるほど最後の堰堤は下流からではなく上流側から作ったのでしょう。
森が切れて、前方に広がる一帯が何やら不自然に黄色く見えています。目的地まで登って来たようです。
4.屋敷山のミツマタ群生を散策する
森から出るなり、いきなり一面が黄色い光景が出迎えてくれました。関東最大級の群生地と称しているだけの事はあって、確かにこれはすごい。
目がチカチカしそうになるくらいに黄色一色の世界です。周囲にはまるでトイレの芳香剤のような、独特の甘い香りが漂っています。・・・毎度のことながらもう少しマシな例えは無いんでしょうかね
ミツマタの花は完全に開花しきると丸いボンボリ状になります。現状は満開になるまではもうあと少しと言ったところでしょうか。それでも十分に見頃であるとは言えそうです。
ミツマタ群生地と言うと大抵は杉林の中にあることが多いのですが、屋敷山の群生地は頭上が広く開けた場所にあります。陽の光が良くあたるので、黄色がより一層鮮やかに見えます。
11時55分 屋敷山ミツマタ群生地まで歩いて来ました。なかなか容易には歩いて来れない奥地でしたが、訪問の苦労に見合うだけの光景が広がっていました。
屋敷山の周辺ではかつて石灰石の採掘が行われており、尾根を挟んだ反対側にある足尾銅山へと搬出されて、鉱山からの酸性の排水を中和するために使用されていました。
この地に元々存在していた小さな集落にはやがて鉱山関係者が多く住まうようになり、石灰によって財を成した人々の石灰御殿が立ち並ぶようになりました。それで屋敷山と呼ばれるようになったのだとか。
カメラ台がまであります。どこまでも映えを追求する観光地の装いです。
今ではもう屋敷山にお屋敷は1軒も建ってはおらず、かつての繁栄は見る影もありません。その代わりにと言ってはなんですが、期間限定で金色に光り輝く場所となりました。
この屋敷山は屋敷山ミツマタ群生地を守る会と言うボランティア団体によって管理されています。協力金箱が置かれているので、この光景に感銘を受けた人はいくらか募金して行きましょう。
今回私は廃道を辿って下から登って来ましたが、群生地の上を通っている道から下って来るのが、この場所へ訪問する際の本来のルートです。
と言うことで、屋敷山ミツマタ群生地の入口まで登って来ました。これで本日の訪問の目的は既に達成されたわけなのですが、ここから先は完全な蛇足と言えなくもない登山の部へと移ります。
5.道なき道を登り三境山を目指す
屋敷山から三境山を目指すには草木ダム方面へ進むのが正解なのですが、その前に一度少し反対方向へ戻ります。ミツマタ群生地を上から眺めるためであることは言うまでもありません。
道の上から見下ろした屋敷山ミツマタ群生地の全容です。山の斜面の一角全体がミツマタに覆いつくされています。関東最大級の群生地であると称されていますが、それはつまるところ最大ではないと言うことなのでしょう。
先へ進みましょう。このまま道なりに進めば三境山の登山口に至るのですが、舗装道路ではない山道も一応あるらしいので、そちらから登ろうかと思います。今ちょうど車が下ってきている道に右折します。
三境山自体は、特に何かがあると言う訳でもない極めて地味かつマイナーなピークです。
曲りなりにも登山ブログを標榜している以上は登山の部が必須であろうかと思い、屋敷山から一番近そうな山を無造作に目的地に選んだというだけの事です。
すぐに道の舗装が無くなりダートになりました。この道は林道のようですが、国土地理院の地図上では途中で途切れており、どこを目指しているのかはよくわかりません。
林道が大きくカーブしている地点のガードレール脇から、山中へと分け入って行きます。
明瞭な道筋があったのは入り口付近だけで、すぐに踏み跡があるのか無いのかよくわからない状態になりました。小さな沢沿いに道なき道を登って行きます。
場所によってはしっかりとした道筋が見えている個所もあり、道があること自体は間違いなさそうですが、屋敷山までの堰堤沿い道と同様に事実上の廃道状態にあると考えた方が良さそうです。
三境山は進行方向の前方を横切っている尾根上にあるのですが、最後の方は直登するのが難しい斜度になって来たので、途中で谷筋から左手にある尾根上に強引によじ登ります。
尾根の上に登ると、しっかりとした明瞭な踏み跡がありました。私が分岐を見落としてしまっただけで、どうやら途中からこの尾根上に上がるのが正解ルートであったようです。
最後の尾根の合流地点は、踏み跡が不明瞭な上にかなりの急勾配でした。木の根やら切株やらいろいろなものを掴みつつ、ここでも強引によじ登ります。
なんとか三境山がある尾根上まで登って来ました。ここまでの薄暗い杉林からは一転して、明るい広葉樹林が広がっていました。
山頂の直下は巨大な石がゴロゴロと転がっており、手も使ってよじ登ります。一応は踏み跡らしきものがありますが、あまり歩かれてはいなさそうな雰囲気です。
山頂らしき場所まで登って来ました。絵に描いたかのような地味山の頂ですが、意外なことに先客が1人いました。
13時50分 三境山に登頂しました。名前からしてかつては三郡の境界か何かだったのだろうと思いますが、今現在の市区町村割では桐生市とみどり市の二境です。
展望も何もなく、登っても特に良いことの無い静かな頂です。だがしかしそれが良い。
ここまで道らしい道もありませんでしたが、こうして山頂に小さな石の社がある辺り、古くから人の往来自体はある山だったのでしょう。
6.神戸駅への長い下り
ピークハンターとしてのノルマ(?)も無事に果たされました。さあ帰りましょう。下山は元来た桐生市側には戻らずに、尾根の反対側の渡良瀬川方面へ下ります。
まずは尾根沿いに南へ下って行きます。途中に紛らわしい枝尾根がいくつかありますが、目印のピンクテープがしっかりとあるので周囲をよく観察して進みましょう。
山頂付近の急勾配を下りきると、ほぼ水平移動に近い緩やかな尾根になりました。
眼下に小さく、渡良瀬川流域の市街地が見えています。今からあの高さまで下りてゆかねばならない訳ですが、意外と遠そうです。
少し離れた位置から振り返ってみた三境山です。山頂直下はなかなか急峻な姿をしており、麓から見上げた際にもそれなりに目立つ山なのでしょう。
こうしてしっかりと道標が設置されている辺り、一応は一般登山道の扱いなのでしょう。その割には、国土地理院の地図上では道が描かれてすらいませんが。
三境山の隣にある残馬山との鞍部まで下って来ました。尾根はこの先にも続いていますが、ここから針路を右に転じます。
小さな涸れ谷に沿って下って行きます。道が落ち葉に埋もれていて、踏み跡はかなり心許ない状態ですが、ここでもしっかりと目印のピンクテープはあります。
15時20分 三境山登山口と呼ばれている地点まで下って来ました。
鞍部近くの尾根を三境隧道が貫いています。ちなみに屋敷山の入り口から舗装道路を道なりにずっと歩いて来ると、このトンネルの反対側に辿り着きます。
それはつまるところ、わざわざ道なき道から登り悪戦苦闘を繰り広げる必要など全くなかったことを意味している訳なのですが、しかしこれで良いのです。ここはもともと、そういうブログなのですから。
この先はもう最後までずっと舗装道路歩きです。まだまだ結構な距離があるので、最後まで頑張って歩きましょう。
土の上を歩けたのはほんの僅かな区間だけで、本日の行程はその大部分が舗装道路歩きでした。
ここを直進すると、渡良瀬川のダム湖である草木湖に至ります。神戸駅方面へ下りたい場合は、ここを左折します。
ここから先は長々と下り坂が続きますが、読者の皆様を退屈させるのも忍びないので、道中の模様などはバッサリと省略致します。
場面は飛んで、橋のかかった横道と合流しました。神戸駅に向かうのであれば、この橋は渡らずに左折します。
16時40分 三境山登山口から1時間半近く歩き続けて、ようやく文明社会まで下って来ました。
しだれ桜が花を咲かせつつありました。もう桜が咲く季節になってしまいましたか。季節が移ろうのは早いものです。
右手に草木ダムの堤体が見えています。昔から暴れ川として悪名高かった渡良瀬川の洪水調節を主な目的として作られたダムですが、水没戸数が多かったため補償交渉で大揉めに揉めた曰く付きのダムです。
駅まではまだひと道あります。途中にみどり市の市営バスのバス停があります。始めからあてにはしていなかったため時刻表を確認すらしていませんでしたが、途中で背後から追い抜かされました。
道の脇にわたらせ渓谷鐵道の線路が現れたました。線路沿いに桃花の並木があり、ちょうど見頃を迎えていました。
たいへん画になる光景なのですが、しかしそれをゆっくりと眺めるでもなく、半分駆け足のようなペースで駅へと向かいます。急いでいるのには理由がありまして、次の電車・・・ではなく気動車の時間がもう目前に迫っていたからです。
わたらせ渓谷鐵道は運行本数が少なく、17時10分発の列車のを乗り逃していまうと、次の列車までは1時間以上待つことになります。
もう走らないと間に合わないかと思われたところで、ようやく神戸駅の駅舎が見えました。転げ落ちる様に駆け下ります。
17時5分 神戸駅に到着しました。次の列車の到着5分前と言う、綱渡り状態でのゴールでした。
時刻表通りにすぐにやって来た桐生行きの電車・・・ではなく気動車で撤収します。
途中の相老駅で下車して、帰路はJRではなく東武線を利用します。往路以上に長い時間をかけて帰宅の途に付きました
関東周辺にある有名所のミツマタ群生地については、もう既に一通りは歩いただろうと思っていましたが、そんな中屋敷山は最後に残っていた大物と言ったところです。僻地であると言ってしまっても差し支えなさそうな桐生川源流林の奥地には、前評判通りの群生地が広がっていました。
公共交通機関の利用を前提とした場合、訪問の手間を考えるとあまりおいそれとオススメですとは言い難い場所にありますが、それでも一見の価値はある場所だと思います。アプローチで8kmの舗装道路を歩くことを厭わないと言う方は是非とも訪れてみては如何でしょうか。
なお、三境山を越えて神戸駅まで歩いたのは完全なる蛇足です。普通に梅田ふるさとセンターから往復するのが最も無難であろうかと思います。
<コースタイム>
梅田ふるさとセンター(9:30)-天満宮(10:50)-屋敷山ミツマタ群生地(11:55~12:20)-三境山(13:50~14:10)-三境山登山口(15:20)-神戸駅(17:05)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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