宮城県、岩手県および秋田県の3県に跨る、栗駒山(くりこまやま)に登りました。
東北地方の背骨、奥羽山脈に属する現役の火山です。人里からは遠く離れた奥地にある山ですが、山麓には火山の恩恵とも言える須川温泉が湧出しており、一大観光地となっています。神の絨毯と称される紅葉は圧巻の光景で、シーズン中は大混雑します。
東京から遠路はるばると訪れた先で待っていた光景は、虚無に呑み込まれて錦の紅葉ではなく白く染まった神の絨毯でした。
2024年10月11日に旅す。
時は紅葉シーズンが最盛期を迎えつつあった10月の上旬。紅葉の名所として名高い栗駒山に登って来ました。山頂部を覆いつくす錦のごとき紅葉は圧巻の光景で、誰が付けたのか神の絨毯などと評されています。
栗駒山の紅葉はかつては知る人ぞ知る隠れた名所的な存在でしたが、その後口コミなどによって人気が広がり、今では押しも押されぬ大人気の山となりました。紅葉シーズン中の栗駒山は、それはもう大変混雑します。
そこ少しでも混雑を避けるべく、秋の3連休が始まる前日の平日を狙って訪問しました。宮城県側のいわかがみ平行きのバスは土休日限定での運行となっているため、今回は岩手県側の須川温泉からアプローチします。
訪問のタイミングとしては完璧で、紅葉はちょうど見頃の最盛期を迎えていました。ガスに呑み込まれて、錦模様ではなく白く染まっていた点を除けば。
このままでは終われない。そう考えた私は、未踏だった隣の秣岳(まぐさだけ)にまで足を伸ばしました。そのことが後に、さらなる惨劇を招く原因になろうとはつゆ知らずに…
混雑を避けて神の絨毯を見物するつもりが、色々とグダグダで波乱万丈だった1日の記録です。
コース
須川温泉バス停から最短で栗駒山に登頂することが出来る昭和湖経由ルートは、火山性ガスの発生により現在通行止め状態となってします。そのため産沼を経由するルートで登ります。
栗駒山登頂後は、稜線沿いに隣の秣岳まで縦走して須川温泉に戻ります。
公共交通機関の利用を前提とした場合、往路のバスが現地に到着してから、帰路のバスが出発するまでの時間は6時間しかありません。
この周回ルートを歩く場合は、コースタイム的にかなりシビアとなりますので、その点十分にご注意ください。(何かのフラグ)
1.栗駒山登山 アプローチ編 新幹線で行く東北への旅路
5時52分 JR東京駅
時速300kmで東北地方の山への日帰りアプローチを可能としてくれる、魔法の乗り物新幹線で岩手県を目指します。乗車するのは全席指定のはやぶさ号ではなく、東北新幹線界の鈍行列車である我らがやまびこ号です。
そもそも宮城と岩手の境界にある山に東京から日帰り登れてしまうという事実に、あらためて驚かされます。
仙台駅を過ぎて目的地に近づくと、車窓に目指す栗駒山の姿が見えて来ました。山頂付近に僅かに雲がかかってはいるものの、この時点ではまだ良いお天気でした。・・・そう、この時点では。
8時35分 一ノ関駅に到着しました。岩手県の南端に位置しており、宮城県との境界近くにある駅です。
須川温泉行きのバス乗り場は西口にあります。駅前のロータリーは、新幹線停車駅とは思えないくらいに閑散としていました。
9時ちょうど発の須川温泉行きのバスに乗車します。紅葉シーズンもたけなわなだけのこともあって、平日であるにもかかわらずバス停には既に行列が出来ていました。
赤字ギリギリ・・・と言うよりは恐らく既に大赤字状態であろう地方のバス会社に、紅葉シーズン中にだけ臨時便を用意できるとは思えません。到着したら早々と列に並んでおきましょう。
須川温泉までの乗車時間はおよそ1時間30分程とかなりの長丁場なので、立っていくのは相当辛いものがあるとと思います。
思った通りバスは1台しか出ず超満員状態でした。平日ですらこの有様となると、明日からの連休中には一体どんな状態になってしまうのでしょうか。
10時35分 須川温泉に到着しました。バスを降りたつなり、濃厚な硫化水素臭が鼻につきます。それよりも、なんか曇ってしまっていない?
バスは1日に2往復のみで、帰路のバスは16時35分発です。下山後にひと風呂浴びつつ秣岳まで周回するには、結構なハイペースで気張って歩く必要があります。
2.名残ヶ原から見上げる神の絨毯
10時35分 身支度もそこそこに登山を開始します。登山口は須川温泉の建物の裏手にあります。
温泉成分によって緑色になっている川底が印象的な湯川です。須川温泉の湯はP.H値2.2の強酸性で、もとは酢川と呼ばれていました。湧出時には無色透明ですが、すぐに酸化して乳白色になります。
登山道は源泉井戸のすぐ脇をかすめており、パイプやら何やらが散乱していて物々しい雰囲気です。周囲には、それこそ目に沁みそうなくらいに強烈な硫化水素臭が漂っています。なんだか無性にゆで卵が食べたい気分になって来ました。
登山口の時点から既に周囲の草木が色付いており、この先に待っているであろう神の絨毯の紅葉に大いに期待が高まります。
一つ懸念点を上げるとすれば、先ほどまでは僅かに残っていた青空が完全に消えてしまったことぐらいでしょうか。前途に文字通り暗雲が垂れ込めて来ましたぞ。
この暗雲が垂れ込めるという慣用句は、実は展望を台無しにされて地団太を踏んだ登山者によって作り出されたのではなかろうか。
道すがらに、火山の地熱を利用した天然の蒸し風呂があります。それにしても、何故おいらん?
登山道上にある地面に開いた穴から、蒸気が噴出しています。あらためて、栗駒山が生きている火山であることが実感できます。
手をかざしてみると、強い熱気を感じます。屈んで写真を撮っていたら、あっと今にカメラとメガネのレンズが曇ってしまいました。
視界が開けて、名残ヶ原と呼ばれている湿原の先に栗駒山が姿を見せました。いかにも東北地方の山らしい、なだらかな山容をしています。
この栗駒山と言う名称は山体全体を指している呼び名であり、最高地点は須川岳と言います。
山頂付近を望遠で覗いて見ると、しっかりと紅葉して錦模様に染まっていました。背景が青空でないことが重ね重ね残念でなりません。陽の光が当たれば、もっと色鮮やかで綺麗なんだろうな。
木道の整備された名残ヶ腹の中を突っ切ります。私自身、秋の栗駒山にしか訪れたことが無いのですが、花の名峰としても名高い存在です。次にまた訪れるとしたら、その時は初夏のシーズンにしようかな。
湿原の水溜まりの上に、何やら油膜のようなものが浮いています。これも火山性物質なのでしょうけれど、湿原の植物が枯れてしまわないのが不思議です。
本来はこの名残ヶ腹から直進し、昭和湖を経て山頂に至るのが栗駒山へ登る最短ルートです。なのですがこのルートは、基準値を超える濃度の火山性ガスが検知されたことに伴い、2019年から通行止めの状態が続いています。
そのため多少の遠回りにはなりますが、産沼経由の自然観察路コースから山頂を目指します。
3.栗駒山登山 登頂編 泥にまみれた道の先に待つ、白き神の絨毯
天候はさらなる悪化を続けており、ついには山頂付近がすっぽりと雲に覆われ始めました。黄色信号から赤信号に変わってしまった感じです。
登頂はせずに、このまま蒸し風呂にでも入って帰ろうかと言う考えが一瞬脳裏をよぎましたが、思い直して先へ進みます。
湿原を抜けると、足元が水浸し状態の登山道になりました。この先の登山道は基本的に、最後までずっとこんな感じです。栗駒山登山へお越しの際は、スパッツの着用を強く推奨します。
ゼッタ沢と言う風変わりな名称の沢を渡渉します。秋にはほとんど水量もなく、一跨ぎに出来ます。この沢には火山性物質が流入しているため強酸性です。靴の金具などになるべく付着しないように渡りましょう。
沢を渡った対岸は水びだし状態で、道の上が川のようになっていました。転んだら悲劇なのでベタ足で慎重に歩きます。
小さな湿原がありました。なるほど、ここから止めどもなく水が垂れ流されている訳ですな。時期的には残雪が無くなってからかなりの時間が経過していると思いますが、これほどの水が常時染み出してくるだけの保水力があることに驚かされます。
湿原の脇を通り過ぎて以降も、足元は相変わらず泥まみれの状態です。どうやら栗駒山の土は粘性が高いらしく、歩くたびにニチャッニチャッと音がします。
山頂を覆い隠しつつあるかのように見えた雲が、少し取れていました。この雲はどうやら、栗駒山の稜線上で発生して一進一退の攻防を繰り広げているようです。一喜一憂していても始まらないので、とにかく山頂へ急ぐことにしました。
今度は三途の川と呼ばれている沢を渡渉します。こちらの沢は水量が多めで一跨ぎと言う訳には行かず、真面目に飛び石伝いに渡ります。
物々しい名称ですが、この沢もゼッタ沢と同様に火山性物質の影響受けて強酸性です。うっかり飲んでしまって命を落とす人間が後を絶たなかったのが名前の由来と言われていますが、本当の事なのでしょうか。
俄然興味が湧いたので少しだけ舐めてみましたが、特に酸っぱくはなくむしろ微かな苦味を感じました。※絶対に真似はしないでください!
三途の川を過ぎたところで、登山道はようやく真面目に標高を上げ始めました。栗駒山登山はここからが本番です。いっちょう気合を入れて行きましょう。
豪雪地帯の山らしく、登り始めて早々に森林限界を超えて周囲の視界が開けました。
紅葉前線は現在地よりもまだもう少し高い一帯に留まっているようです。青空だったらさぞや絶景なのだろうなと、ため息ばかりがこぼれてしまいます。
先ほどからどうもテンションが低めでいけませんねえ。とりあえず下山後の温泉の事でも考えて、無理にでも気分を盛り上げていきましょう。
12時5分 産沼まで登って来ました。迂回はここまでで、ここから先は神の絨毯の只中を歩む稜線歩きとなります。
稜線上に出ても足元は変わらず泥まみれですが、階段が整備されているだけ幾分か歩きやすくはなりました。
しかしこの近年の栗駒山のオーバーユースっぷりを鑑みるに、やがてはオール木道化されてしまう日がやって来るのではなかろうか。それが良いか悪いかの評価はさておき、そうでもしないことには環境保全が出来なくなっているように感じます。
紅葉が最盛期を迎えている一帯に差し掛かってきたところで、まるで狙いすましたかのように雨粒が落ち始めました。何たるタイミングの悪さか。
レインウェアを羽織るほどの雨脚では無いため、ザックカバーだけを装着して、自分自身は濡れるに任せたまま進みます。
驚きの白さの栗駒山です。何という事でしょう!神の絨毯とは実は白い絨毯だったのか。
山頂直下の最後の登りです。深い挫折感と共に、足取りも重く登ります。私はこんな虚無の世界が見たくて遠路はるばる岩手県までやって来たのでは無いんですけれどね。
平日のしかも生憎の天気であるにもかかわらず大盛況で、頻繁にすれ違いが発生します。紅葉シーズンの栗駒山の人気の程がうかがい知れます。
ちなみに翌日の3連休初日は雲一つない見事な快晴秋晴れとなり、混雑の方も過去最高を記録したのだとか。結果として混雑回避と青空をトレードオフした格好になりましたが、果たしてそれは割に合う交換取引だったと言えるのだろうか。
白い絨毯を踏みしめながら登りきると、唐突に山頂に飛び出しました。
12時50分 栗駒山に登頂しました。8年ぶり2度目の登頂でございます。しばらく見ない間に、ずいぶんと白くなっていたんですね。(ニッコリ)
いわかがみ平方面から登って来た登山者も合流するため、山頂は大混雑の極みにありました。平日でもこの有様となると、連休中には一体どういう事になってしまうのだろうか。おそろしや。
この虚無と大混雑だけが広がる光景は、私にとって納得がゆくものではありません。時間的にだいぶシビアにはなってしまいますが、かねてから温めていた計画の通り、このまま秣岳までの縦走に移ります。
4.大混雑の栗駒山山頂からは一転、誰もいない静かな稜線を行く
昭和湖コースが通行止めになっているためか、山頂を出発するなり、まるで先ほどまでの喧騒が嘘であるかのように、辺りに人影がまったくなくなりました。秣岳まで縦走するのは、よほど物好きな少数派であるようです。
柵でガードされた崩落地のフチを進みます。本来はここから宮城県側の斜面に広がる神の絨毯を見下ろすことのできるスポットなのですが、この通り驚きの白さが広がるばかりです。
反対方向の岩手県側は、雲間から周囲の様子が少し見えています。宮城県側で発生した雲を、ちょうど栗駒山の稜線が堰き止めているかのような状況です。
スタート地点の須川温泉も、この通りしっかりと見えています。どうやらスタートした時点から、雲の状態は全く変わっていないようです。
13時25分 天狗平まで下って来ました。かつてはここから昭和湖に下るのが、最も一般的と言える栗駒山の周回ルートでした。
先ほども一度述べた通り、昭和湖コースは長らく通行止めの状態が続いています。登山道の崩落ではなく、火山性ガスの発生が理由です。
閉鎖されている分岐を見送り、秣岳方面へと足を踏み入れます。この先は自身にとって初めて歩く領域となります。
相変わらず宮城県側から次々と雲が沸き上がってくる状況に変わりはありませんが、時より雲間からこの先の稜線が見え隠れしています。
この辺りもしっかりと錦の絨毯模様に紅葉しています。雲の中から浮き上がる姿は、これはこれで荘厳な感じがして悪くは無いかもしれません。・・・嘘です。青空の方が良いに決まっています。
地面がネチャネッチャしているのは相変わらずです。あまり歩く人がおらず整備もされていないためか、足元の状態はむしろさらに悪化してきました。
不意に行く先の雲が引いて視界が開けました。まさかここからの逆転満塁ホームランがあるのだろうか。
青空が戻るとまではいきませんでしたが、それでも秣岳に至る稜線が姿を見せてくれました。これはなかなか良き稜線です。そして何よりも、人が全くいないのが素晴らしい。
山腹に複数の湿原が点在しているのが見えます。竜泉ヶ原と呼ばれているようですが、あの辺りはそもそも登山道が無い場所なので、立ち入ることはできません。
立ち入り禁止の昭和湖も足元に見えています。その名の通りに、昭和の時代になってから発生した火山噴火によって形成された火口湖です。周辺では現在も活発な噴気が見られます。
無人の観測機器が設置されていました。恐らくは、火山活動をリアルタイムで監視するためのものでしょう。
栗駒山は現役の活火山であるため、いつ全山が立ち入り規制されるともしれません。訪問を考えている人は、登れるうちに登っておいた方が良いと思います
13時40分 山頂標識も何もありませんが、御駒岳と呼ばれるピークまで登って来ました。この場所が宮城、岩手および秋田の3県県境となります。広義にはここも栗駒山の一部です。
背後を振り返れば、先ほど登って来た栗駒山の姿が一望できます。・・・今は見えていませんが、晴れていれば見えるはずです。
5.湿原の只中に立つモン・サンミシェルこと秣岳
先へ進みましょう。現時点で既にだいぶ時間はが押してきており、ひょっとすると下山後に一風呂浴びる時間が無くなってしまうのではないかと言う嫌な予感が脳裏をよぎります。少しばかりペースを上げていきましょう。
しかし、実に私好みの良き稜線ではありませんか。栗駒山の山頂だけを往復してしまうのは、実に勿体ない事であると思います。
秣岳との鞍部に向かって一度標高を落とします。ハイマツの緑が目立ちはしますが、この辺りも見事な絨毯模様になっていました。
傾斜自体は緩やかであり、一見するととても歩き易そうな稜線に見えますが、残念ながらまったく歩き易くはありません。ネチャネチャしている上に、大きく洗堀されていて歩きにくいことこの上ありません。
おかげで少しペースを上げて行こうと言う思惑とは裏腹に、遅々として一向に歩みが進みません。これは風呂をあきらめざるおえなくなる展開か。
鞍部から振り返って見た御駒岳です。見た目には凄く歩き易そうに見えるんですけれどね。
一度下ってしまった以上は、その先に待っているのは当然登り返しです。秣岳に向かって緩やかに登って行きます。
草原が茂っており、この辺りも湿原となっているようです。栗駒山と言うと紅葉のイメージばかりが先行していますが、じつは高層湿原が広がる山でもあります。
登山道のすぐ脇に、こうしてポツポツと池塘が点在しています。やはり一度は紅葉ではなく湿原を目当てにして、初夏にも登ってみるべき山であるかもしれない。
前方に、とても稜線の上とは思えない様な大きな湿原が広がっているいのが見えます。その光景たるや、まるで苗場山のようです。素晴らしい。
なんでもこの湿原には、モン・サンミシェルなる異名がつけられているそうです。
登山地図上でその名称を見かけた時は、いったい何故と怪訝に思っていましたが、現物を見て納得がいきました。湿原の部分を海に、そしてこの岩のピークを城に見立てている訳ですね。
なるほどこれは確かにモン・サンミシェルっぽさがあるかもしれない。フランスに行ったことはありませんが。
この木道がいつ頃に整備されたものであるかは不明ですが、だいぶ老朽化が進んでおりシーソー状態になっている箇所もあります。あまり湿原の光景にばかり気を取られずに、しっかりと足元を見て歩きましょう。
ちなみに、この城(?)のある岩山はまだ秣岳の山頂ではありません。その手前にある小ピークです。
と言う事で岩の上に登ると、今度こそ秣岳の山頂が姿を見せました。すぐに着きそうに見えて、意外と距離がありました。
想いもよらぬ絶景に出会えて、沈んでいた気分はだいぶ持ち直しました。しかしそれと同時に、新たな問題が忍び寄りつつあるのでした。風呂に入る時間云々以前に、もうバスに間に合うのかを心配すべき時間になっていないか。
そんな焦燥感を嘲笑うかのように、山頂の直下は泥炭層が露出しており、ヌルヌルで滑りまくる状態でした。後生だから、普通に歩かせてくれい。
もう時間がないにもかかわらず、ついつい立ち止まって写真を撮ってしまいます。だって絶景なんですもの。
15時10分 秣岳に登頂しました。ここまでの道の状態は最悪だと言ってしまっても差支えありませんでしたが、それを補って余りある絶景が広がる稜線歩きでした。
6.栗駒山登山 下山編 そしてバスを乗り逃す
到着して早々ですが、急いで山を下りましょう。現時点で既に、標準コースタイム通りのペースで下ったのではバスには間にありません。それ急げ急げ。
雲の下に秋田県方面が見えていますが、なにぶん全く馴染みのないエリアなので、見えている山がどの辺りなのかは全くわかりません。
眼下に須川湖が見えて来たところで、虹が出ていました。途中までは虚無の光景に絶望していましたが、後半になって色々と美しい光景を拝むことが出来ました。これで後はバスに間に合いさえすれば大団円なんですけれどね。
その願いも空しく、足元は相変わらずネチャネチャしていて、笑ってしまうくらいに良く滑ります。ここに来て遂に、バスに間に合うかどうかの心配ではなく、こうれはもう間に合わんなあと言う諦観へと切り替わるのでした。
ここにきて今更ですが、栗駒山の山頂を覆っていた雲が取れていました。だから何だと言う話ではあります。
下の方には見事なブナの森が広がっていました。そして足元は最後までネチャネチャでした。
と言うか、このルートの山と高原地図の標準コースタイムはおかしくないですか。ネチャネチャによる歩きづらさが、まったくもって考慮されていないタイムのように思えます。
16時20分 秣岳登山口まで下って来ました。バス発車時刻の15分前ですが、ここから須川温泉までは、徒歩でおよそ40分ほどの距離と案内されています。まあ無駄だとは思うけど、一応は走っておく?
脳内でしばしの問答が繰り広げられましたが、意味の無いことはしないと言う結論に着地しました。トボトボと歩いて須川温泉に戻ります。いったい私はどこで選択を誤ってしまったのか。
山の上からも見えた須川湖です。非常に透明度の高いことで知られる湖ですが、それは湖水が強酸性で微生物が全く存在していないためです。
秣岳登山口は須川温泉よりも標高が低い位置にあるため、最後の最後に登り返しがあります。仮に大真面目に走っていたとしても、どの道これは間に合わなかっただろうな。
16時50分 須川温泉バス停に戻って来ました。帰路のバスが出発してしまってから15分後の出来事でした。デスヨネー。
おお、なんと言う事でしょう。と天を仰いでみたところで、どうしょうもありません。この後どうするのかと言うと、それはもうお金の力にモノを言わせるほかありません。一関からタクシーを呼びます。
下手をすると、タクシー代よりも今から須川温泉の宿に素泊まりした方がまだ安上がりなのではないかと言う気がしなくもありませんが、しかしそうもいかない事情があるのです。
と言うのも実のところ本日登った栗駒山は言ってみれば前座で、本命の山には明日登るつもりで予定を組んでいて、もう既に盛岡に宿の予約を取ってしまっているのです。
つまり、何がなんでも今日中に山から下りる必要があります。
タクシーの配車を依頼すると、迎えに行くのにだいたい1時間10分くらいかかりますと言われました。まあこれで、ゆっくりと温泉につかることのできる時間が確保できたのだと、無理矢理にでもポジティブに受け止めておくことにしましょう。
こちらの露天風呂は21時まで営業しています。若干うろ覚えですが、入浴料は確か700円だったかな。お湯は私好みの白濁した硫黄泉です。時間調整を兼ねてゆったりと浸かり、全身が硫黄臭くなって大満足しました。
迎えのタクシーは、電話を切ってからきっかり1時間10分後に現れました。恐らくは明日からの3連休に備えて英気を養っていたであろう運転手さんにおかれましては、夜分にこんな遠い所までわざわざお越し頂き、まことに申し訳ない気分です。
山から下るだけの帰路でもしっかりと1時間10分を要して、一ノ関駅に戻ってきた時には19時20分になっていました。
なお、ここまでのタクシー料金はおよそ1万5千円ほどでした。行きがけの駄賃程度に考えていたはずの栗駒山訪問で、よもやこれほどの犠牲(1万5千円!)を払うことになろうとは。ぐぎぎぎぎ。
思いがけない損失が生じてしまったので、盛岡への移動は新幹線を使用せずに、東北本線の鈍行列車でまいります。部活帰りらしき学生達が大勢乗り合わせていて、車内はかなり混雑していました。
長々と鈍行列車に揺られて、盛岡駅に着いた時には時刻は21時を回っていました。もう時間も時間だけに、駅前の24時間営業のファーストフード店で夕食を済ませて、そのまま真っすぐ宿に向かいました。
格安ビジネスホテルに一泊して、明日はもう一座登ります。明日こそは晴れてくれますように。
秋の東北遠征の初日は、まったくもってトホホな展開に終始しました。天気は残念だったし、何よりも払った犠牲(1万5千円!)は甚大なものでした。かくも大きな損失を被る直接の原因となった秣岳ですが、山そのもの大変素晴らしものがありました。稜線上に広がる紅葉と高層湿原は見事なものであったし、何よりも殆ど人がおらず空いている点がポイント高しです。
公共交通機関の利用を前提とした場合、コースタイム的には綱渡りであまりおいそれとオススメはしかねるのが実情ですが、ネチョネチョの道の上を歩く速さに自信ありの人は、秣岳まで足を伸ばしてみては如何でしょうか。栗駒山山頂の喧騒が嘘のような静けさの中で、神の絨毯の絶景を独り占めにすることが出来きることでしょう。
<コースタイム>
須川温泉(10:35)-産沼分岐(12:05)-栗駒山(12:50~13:10)-天狗平(13:25)-御駒岳(13:40)-秣岳(15:10)-秣岳登山口(16:20)-須川温泉(16:50)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
オオツキ様
秋の紅葉が霧の中で美しく見えましたね。バスに乗り遅れたと聞いて残念です。タクシーは高かったですね!
デイビットさま
コメントをありがとうございます。
バスの時間には十分間に合うはずだと考えていたのですが、秣岳は思っていた以上に遠かったです。須川高原にはキャンプ場があるので、このコースは1泊して歩くのが妥当であると思います。