山梨県山梨市になる小楢山(こならやま)に登りました。
甲府盆地北東部の奥秩父主脈前衛部に位置する、麓にブドウ畑が広がる里山です。標高1,500メートル地点の焼山峠からスタートすれば簡単に登れる山ですが、麓の牧丘地区から直接登るルートも存在し、父恋し路と母恋し路と呼ばれています。
薄っすらと雪の積もった、甲府盆地を見下ろす絶景の山を満喫してきました。
2024年3月3日に旅す。
小楢山は甲府盆地北東部の牧丘地区に立つ、特徴的な外観の双耳峰です。塩山駅~山梨市駅間を走る中央本線の車窓からも良く見えるので、それとなしに目にしている人は多いのではないでしょうか
標高は1,700メートル少々とそこそこ高い山ですが、焼山峠からスタートすれば比較的簡単に頂上に立つことが出来ます。
この焼山峠ルートには一つだけ問題があり、焼山峠へと通じている林道(通称クリスタルライン)は冬期に通行止めとなります。そのため、春から秋の期間にしか歩くことが出来ません。
そこで今回は峠からではなく、麓の牧丘からフフ山梨を経由して直接登るロングルートを歩いて来ました。父恋し路と母恋し路と呼ばれ古くから存在するクラシックルートで、こちらであれば冬にも登ることが出来ます。
これまで取り扱ってきた記事の性質上、おそらく当ブログの読者様には、山梨百名山に関心がある人の割合が多いのではないかと思われます。
そのため、きっと冬にも小楢山に登りたいというニーズは多いだろうと考えて、今回筆をとりました。え、そんなニーズは無い?そうですか・・・
山頂からは麓の牧丘と甲府盆地を見下ろす大パノラマが広がります。マイナーだけれど知る人ぞ知る隠れた名山に、麓から長々と歩いて登って来た記録です。
コース
窪平(くぼだいら)バス停からフフ山梨を経由して小楢山を往復します。全行程の半分以上が舗装道路歩きとなりますが、歩行距離標高差ともに大きめの骨太な行程です。
1.小楢山登山 アプローチ編 冬期の小楢山登山の起点となる窪平を目指す
6時56分 JR高尾駅
塩山駅でのバスの乗り継ぎ時間の都合もあり、普段よりもややゆったりと始動します。まだまだ厳しい冷え込み続いていますが、それでもハイキングの格好をしている人の姿もチラホラとあります。
わざわざこんな寒い中を山登りに出かけるとは、物好きな人もいるものですなあ。と、どの口で言っているんでしょうかね、このおっさんは。
8時18分 いつものように完全爆睡している間に、電車はつつがなく塩山駅に到着しました。もはや条件反射と化しているのか、211系の騒々しいモータ音を聞いているだけで、自然と眠りに落ちてしまう体質になってしまいました。
普段は大勢の登山者が行列を作る塩山駅南口のロータリーも、この通り閑散としています。それもそのはずで、山梨交通の西沢渓谷線は冬期の間は運休となります。
それではどうするのかと言うと、8時25分発の窪平行き山梨市営バスに乗車します。どうやら西沢渓谷まで行けるものと勘違いする登山者の乗客が多いらしく、乗車する時に行き先を細かく聞かれました。
私以外に他の乗客はおらず、最初から最後まで安定の貸し切り運行でした。
8時40分 窪平バス停に到着しました。ここまでの運賃は200円です。交通系ICカードには対応していないので、小銭を用意しておきましょう。
窪平は牧丘町(現在は山梨市の一部)における交通の中心地で、ここを起点とした牧丘循環線の市営バスが運行されてします。
乗り換えてもう少し小楢山に近い場所にあるバス停まで行くことも出来ますが、大した短縮にはならない上に余計な待ち時間も発生するため、本日は窪平から直接歩いて小楢山を目指します。
2.一面にブドウ畑が広がる牧丘の街並み
身支度とトイレを済ませて8時45分に行動を開始します。バスの進行方向から見て反対方向を向いた状態から、右方向へと進みます。
目指す小楢山は、この通り最初から見えています。それなら迷うことなんて無いだろうと思いきや、この先は農道が複雑に絡み合っていて、道筋は意外とわかりづらいです。
暫しの間は、道なりに真っすぐ進みます。ここは右側に引き寄せられそうになるポイントですが、直進が正解です。
国道140号線の牧丘トンネルを横目にしながら、交差点を直進します。牧丘の市街地は、その名の通りこのトンネルの上に広がる丘の傾斜地にあります。
しばらく進むとJA中牧支所西バス停がありました。このバス停が小楢山の最寄りバス停となりますが、塩山駅からの直通便は運行されておらず、窪平で一度乗り換える必要があります。
運行本数はあまり多くは無く時間的にも微妙なところで、小楢山登山にこのバス停を利用する意味はあまりないと思います。
JA中牧支所西バス停のすぐ先にある橋の手前の交差点で右折します。そうするとすぐに突き当るので、今度は左折します。
山梨百名山の制定時に立てられたらしい、かなり年季の入った道標がありました。文字が擦れていますが、小楢山と書いてあるのがかろうじて読み取れます。
ここからは小楢山の裾に広がる傾斜地を登って行きます。初っ端から結構な急勾配の坂です。
ここで道端にあった手作り道標に右へ曲がれと書かれていたので、つい従って右折してしまったのですが、結論から言うとここは直進が正解です。
その後すぐに正規ルートに復帰は出来ましたが、おかげで少し余計な周り道をすることとなりました。
正規ルートに復帰して小学校の脇を通り過ぎると、やがてY字路が現れるので、ここを右へ入っていきます。
道の両側にブドウ畑が広がっています。牧丘は日本国内におけるブドウ栽培の発祥地で、特に巨峰ブドウの産地として名高い場所です。
背後を振り返ると、小楢山の裾に広がる傾斜地のほぼ全体が、ブドウ畑になっている様子が一望できました。甲府盆地は内陸性気候のため晴天率が高く、水はけがよく陽当たりが良好な傾斜地はフルーツの栽培に適した環境となっています。
フフ山梨と書かれた菱形の標識が現れたら、後はその導きに従います。ちなみにこの標識はもっと丘の下の方からずっとあるのですが、あくまでも車に対する案内なので、徒歩の人間は最初からこの標識に従っていると遠回りをさせられます。
ブドウ畑の番犬らしき柴犬にムチャクチャ吠えられる。はいはい、ちょっと通るだけですよー。
ここはフフ山梨・・・の跡地です。保健農園ホテルと言う耳慣れないフレーズの施設ですが、精神科医療機関が運営するメンタルケアを目的とした宿泊施設であったとのこと。
コロナ渦の影響により2021年1月をもって営業を終了しており、現在は閉館されています。跡地をグランピング施設として使用する計画が持ち上がっており、2026年にオープン予定です。
アスファルト上にさり気なく描かれているこれは、例の青いネコ型ロボットか。しかしこれ、どうやって刻んだのだろう。
10時10分 フフ山梨まで歩いて来ました。何気に窪平から1時間半近くを要しました。途中で迷走することなく、まっすぐ一直線に気張って歩いてくれば、たぶん1時間ちょっとくらいの距離だと思います。
さらに少し奥へ進むと登山者用の駐車場があり、車でお越しの人はここまで入ってこれます。というか、車で訪れる人が大半で、窪平からわざわざ歩いて来る人の方が圧倒的に少数派でしょう。
トイレもありますが、こちらは冬期閉鎖中でした。冬の間はどうしたって凍結してしまうでしょうからね。
3.川上城主の悲運の歴史の痕跡が残る林道を行く
10時20分 マイカー組にだいぶ遅れを撮りましたが、動物除けのゲートを開いて登山開始です。
この道はもともと薄くコンクリート舗装されていたようですが、派手に洗堀されており既に車道としての機能は失われています。
広々と視界が開けた場所に出ました。中央には沢が流れており、伐採したというよりは土石流によって一度薙ぎ払われた跡であるかのような光景に見えます。この道はもともと、砂防工事のための道なのかもれません。
相当年季の入った標柱があり、だいぶ擦れていますが辛うじて座頭塚(ざとうずか)と書かれているのが読み取れます。
伝承によると、織田の軍勢に追われた川上城主が、小楢山に逃げ込んだが行方不明となった。その後、城主の妻が夫を探しに訪れたが、道中で何らかの理由で盲目となり、道に迷ってこの場所で亡くなったとのこと。
川上の城主というとは、大弛峠を越えて来たと言う事なんでしょうかね。この川上城主にまつわる伝承は、この後に歩く予定の父恋し路と母恋し路の名称の由来にも関係しています。
日影の部分にちらほら雪が残っていますが、今のところはまだ歩行に支障はありません。
倒木が道を塞いでいました。まだ葉が緑色のままなので、倒れたのはここ数日の出来事のようです。雪の重みで折れたのか。
道はずっと沢沿いに続いており、水が流れる音が心地よい道です。かなり急勾配な沢ので、土砂災害が多そうな土地柄です。
今度は布袋岩と書かれた岩がありました。こちらの伝承については、もう完全に擦れてしまっており良くわかりません。
道に積もる雪がだいぶ深くなってきたので、チェーンスパイクを装着しました。
・・・その矢先に雪が無くなるし。こう言う雪があったりなかったりするシチュエーションでは、アイゼンよりもチェーンスパイクの方が有効です。
森の中にポツンと1件の廃屋がありました。おそらくは造林小屋だと思います。
11時35分 父恋し路と母恋し路の分岐地点まで登って来ました。直進すると母恋し路で、左側が父恋し路です。今回私は母恋し路をから登り父恋し路から降りてくるつもりでいます。
分岐を見送り直進すると、前方を横切る別の林道にぶつかりました。この横道は国土地理院の地図にも記載がなく、現在進行形で延伸が行われているようです。
人工的に盛土された、かなり広い平坦地が造成されていました。林道延長工事のための機材置き場か何かかな。
こちらの道標はフフ山梨方面に下るルートであることを示しているのですが、何の説明もなしに見た人は混乱するのではなかろうか。何を笑っているんだと。
父恋し路と母恋し路のいわれについて記載された案内板がありました。亡くなった川上城主の子の姉弟が、後日になってから両親を供養するために訪れた際に通った道であることに由来しています。
4.小楢山登山 登頂編 緩やかな登りが続く母恋し路
ここまで延々歩いて来て、ようやく林道歩きは終わって登山道へと入ります。それでは張り切って行ってみよう。
涸れ沢に沿って緩やかに登り上げて行く道です。至って歩きやすい道ではありますが、あまり多く歩かれてはいないらしく、踏み跡は少々心許ないです。
途中から周囲はカラマツ林に変わりました。冬は殺風景なだけですが、紅葉シーズンに歩いたらきっと良い感じです。
標識によれば、この枯れ沢は雨乞沢と言う名であるらしい。側面に山梨百名山選定記念と書かれているので、制定直後に整備されて以降は、ほったらかしにされている感じでしょうか。
巨大なツララが出来ていました。冬には凍結して枯れていますが、それ以外の季節には常時僅かな水流があるのかもしれません。
12時50分 小楢峠まで登って来ました。前述の通り小楢山は二つのピークを尾つ双耳峰であり、ここはその間にある鞍部です。
ここまで来れば、山頂まではあと10分程度の距離です。ずっと歩き詰めでだいぶお疲れ風味でしたが、もうあと一息なので休まずに頑張って登ります。
山頂が見えました。見るからに眺めが良さそうで期待が高まります。
13時10分 小楢山に登頂しました。思っていた以上に距離があり、なかなか一苦労させられました。身も蓋も無いことを言ってしまうと、小楢山は焼山峠から登るべき山であると思います。
山頂からの眺めはこの通り大変素晴らしいものがあります。この景色が見られただけで、ここまでの苦労が十分に報わると思います。
富士山が正面にドーンと見えます。その手前に御坂山地が横切っているのですが、小楢山自体の標高が十分に高いため、背後に隠れてしまうこともなくしっかりと見えています。
東側には小金沢連嶺の山並み。あちらも稜線上は白く染まっており、かなりの積雪がありそうです。雪の小金沢連嶺は一度歩いてみたい思いつつも、冬場になると交通アクセスが絶望的に悪くなる山域なのが悩みどころです
小金沢連嶺の端にあるこれが大菩薩嶺(2,057m)なのかな。こちら側から見ると、大菩薩嶺の外観上の最大の特徴であるところのカヤトの部分が見えないため、イマイチ同定に自信が持てません。
盆地を挟んだ向かいに見えているのは、達沢山とかナットウ箱山とか京戸山辺りだと思います。隠し切れないこの名山の風格よ。え、そんな山は知らないって?そうですか・・・
眼下に牧丘の街並みとブドウ畑がすべて見ています。登っている間中ずっと正面に小楢山が見えていたわけですから、当然逆もまたしかりです。まさに牧丘の裏山と言える立地です。
もう一つのピークである大沢山頭も良く見えます。下山時に歩く予定の父恋し路の入り口はあちらの山頂にあるため、この後あちらにも登ります。
反対側には奥秩父主脈の山並みが連なっているはずですが、こちら側は樹木が生い茂っており展望はありません。大きく育った白樺の木が印象的です。
5.小楢山登山 下山編 岩場と急坂が続く、難路の父恋し路
小楢峠まで戻って来ました。ここから元来た母恋し路方面へは戻らずに、大沢山頭へ向かいます。
峠から登り返すと、すぐに棚根入ノ頭と言う小ピークがあります。地図には記載されておらず、ただの通り道と言ったところです。
暫しの間の快適なる尾根歩きです。この先の父恋し路はそれなりに難路なので、今のうちにゆっくりとしておきましょう。
小楢山はなだらかで広々とした山頂を持つ山でしたが、もう一つピークである大沢山頭は、切り立った険しい地形をしています。結構際どいトラバースもあるので、ここからは慎重に参りましょう。
山頂の少し手前に幕岩と言う岩があります。クサリがあり上へ登ることも可能で、岩の上からはほぼ360度全方位の展望が開けます。
既に若干時間が押しているのと、あとは純粋に雪があって危なさそうなので、今回は登らずにパスしました。
山頂までは痩せ尾根が続きます。両サイド共に切れ落ちているのでよそ見は厳禁です。集中して歩きましょう。・・・つまるところ、私がよそ見をしていて足を踏み外しかけたと言う事です。
14時10分 大沢山頭に登頂しました。広々としていた小楢山の山頂とは違い、かなり狭い山頂です。
一応樹木の隙間から富士見えますが、葉が生い茂るグリーンシーズン中には、おそら何も見えないと思います。ツツジの蕾が沢山あったので、ツツジが咲く頃に訪れるとさぞ華やかだろうと思います。
大沢山頭から父恋し路へと入っていきます。最初からいきなりの急坂です。ちなみにこのルート、山と高原地図上では破線扱いになっています。
山頂直下にあるこちらの岩は、羅漢岩と名付けられています。どの辺りが羅漢なのかはイマイチ分かりませんが、見上げる高さの巨岩です。
大岩が散乱している尾根上を、脇をトラバースしながら進みます。なるほど確かにこれは難路であるかもしれない。
幸いにも緊張を要する道はそれほど長くは続きません。途中から尾根を外れて谷底へと下って行きます。
日影の部分にはかなりの量の雪が残っていました。ルート外れると盛大に踏み抜くので油断がなりません
こちらは屏風岩と言う名前です。まあ、言われてみれば屏風っぽく見えなくもないかな。
ここからは涸れ沢沿いの急坂が続きます。堆積した落ち葉と雪が組み合わさると、チェーンスパイクの下に雪団子が出来てしまい、殆ど用をなさなくなります。
白雲の滝と銘打たれた小さな滝もあります。暑い季節なら癒しのスポットになるかもしれませんが、今はただ寒々しいだけです。
続いて今度は姫百合地蔵とかかれた標柱がありました。それで、肝心のお地蔵様はどこにあるのだろう。
来歴をし利したらしいホロー看板が置かれていますが、例のごとく擦れていて読ことが出来ません。ここに限らず全般的に、放置されて荒れ気味のトレイルです。
この急な下りは結構長く続き、靴の裏に雪団子が出来る問題も相成って苦戦を強いられました。
ここでまた地図には記載がない横道を横断します。地図に描かれているよりもずっと多くの林道が張り巡らされつつありました。
15時20分 父恋し路と母恋し路の分岐地点まで戻って来ました。両方の道を歩いてみた感想としては、より危険度の高い父恋し路の方を登りで使用すべきあったかもしれない。
この先はもう一度歩いた道なので、半分駆け足のようなペースで足早に下りました。
山頂にいた時よりクッキリとした富士山が見ます。本日の天気は上がり調子であったようで。
16時5分 フフ山梨まで戻って来ました。車でお越しの人は、達成感に満たされる瞬間であることでしょう。私はこの後、まだまだ歩くのだけれどね。
6.小楢山登山 帰還編 ブドウ畑の中を足早に下る
駐車場に停まっていた車は既に撤収を終えており、周囲は閑散としていました。
あとはひたすらブドウ畑を下るのみ。まだまだ結構な距離が残っていますが、頑張って歩きましょう。
帰りは迷わずに一直線に下って行きます。答えを知ってさえいれば、そんなに複雑な道順ではありません。
JA中牧支所西バス停まで下って来ました。一応この後17時2分に窪平行きのバスが来ますが、塩山駅まで直通はしてくれないので、ここで待つ意味は無いと思います。
17時10分 窪平まで戻って来ました。なんだかんだで、帰りの最終バス時間に結構ギリギリの時間となってしまいました。
17時25分発の塩山駅行き山梨市営バス最終便で撤収します。帰路も安定の貸し切り運行で、行きと同じ運転手さんでした。私一人のためにすまんのう。
塩山駅から往路と同様に鈍行列車に揺られて、帰宅の樋つきました。
小楢山は山梨百名山の中でも人気知名度とにそれほど高くはない山ですが、山頂からの眺めはたいへん素晴らしく、もっと広く知られていても何ら不思議ではない山だと思います。
長距離歩行にはなりますが、ご覧いただいた通り冬でも公共交通機関を利用して登ることは可能であり、季節を問わず一年中登ることが出来る山です。
ブドウの丘からの絶景眺めに登てみては如何でしょうか。
<コースタイム>
窪平バス停(8:45)-フフ山梨(10:10~10:20)-小楢峠(12:55)-小楢山(13:10~13:40)-大沢山頭(14:10)-フフ山梨(16:05)-窪平(17:10)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
いつも楽しく拝見しております。
偶然にも、私も同日に小楢山を訪れていました。
時間が合わなかったのか、直接お会いすることが出来ず残念です。
今後も引き続き、実際にその山を訪れてみたくなるようなレポートを楽しみにしております。
wafuさま
コメントを頂きましてありがとございます。
駐車場に何台か停まっていた車の方でしょうか。窪平から歩いて行くと、どうしたって出遅れてしまいますから…