山梨県甲州市と山梨市の境界に連なる、ハンゼの頭から倉掛山(くらかけやま)までを歩いて来ました。
三窪高原と呼ばれる、青梅街道最高地点である柳生峠の西側に連なる尾根上を辿る行程です。防火帯として伐採され頭上が開けた尾根道が続いており、ヤマツツジの群生地となっています。このルートを歩く登山者は極めてまれで、殆ど人とすれ違う事のない静かな山域です。
ヤマツツジが爆発的に咲き誇る、ベストシーズンの三窪高原を巡って来ました。
2023年6月10日に旅す。
今回は登山の対象としては極めてマ―ナーな一帯である、三窪高原へと訪問してきました。お目当ては見頃を迎えたヤマツツジの群生地です。
訪問のタイミングとしては完璧で、これでもかと言わんばかりのオレンジ色に覆いつくされていました。
唐突に三窪高原と言われても、恐らく多くの人にとっては何処にあるのかピンとこないことでしょう。青梅街道最高地点の柳沢峠の西側に広がる一帯です。
柳沢峠のすぐ傍らにあるハンゼの頭までの一帯は半ば観光地化されており、ツツジ見物に訪れる人の姿もチラホラと散見されます。
ですが、そこから奥秩父主脈に向かって北へと伸びる尾根上には、殆ど歩く人の姿がない静かなる尾根道が続いています。
柳沢峠から白沢峠まで、人影疎らな奥秩父のマイナーエリアをほっつき歩いて来た一日の記録です。
コース
柳沢峠バス停からスタートし、柳沢ノ頭を経てハンゼの頭へ。そこから倉掛山まで尾根沿いに北上します。下山は白沢峠を経て落合バス停まで下ります。
1.三窪高原登山 アプローチ編 路線バスで労せず青梅街道の最高地点へ
6時57分 JR高尾駅
いつものように中央本線の鈍行列車に揺られて、一路塩山駅を目指します。え?特急あずさ?あんな自由席すらないようなブルジョワな乗り物は、始めからお呼びではありません。
高尾から1時間と少々の乗車時間で、塩山駅へとやって来ました。人気の百名山である大菩薩嶺への玄関口であることもあり、バス乗り場は多くの登山者で賑わっていましした。
8時30分発の落合行きのバスに乗車します。このバス路線は、青梅街道最高地点の柳沢峠を越えるルートを辿ります。
なお、落合行きのバスは一日に2往復しかありません。乗り逃すとその時点で一日の計画がご破算となるので、乗り遅れにはくれぐれもご注意ください。
バス車内は立客も出るくらいに混みあっていましたが、乗客の大半は途中の大菩薩峠登山口で下車して行きました。やはり柳沢峠が目的地の人は、圧倒的に少数派であるようで。
大菩薩峠登山口を過ぎると、青梅街道はまるでトグロを巻いているかのようなループ橋で峠に向かってグングン標高をあげて行きます。酷い山道だった旧道時代を知っているだけに、どこか隔世の感があります。
9時20分 柳沢峠バス停に到着しました。バスと言う偉大な文明の力により、何一つ苦労することも無しに登ってこれました。
峠の時点で標高は既に1,472メートルあり、ひやりとした涼しい空気が出迎えてくれました。晴れていれば富士山が正面にドーンと見えるのですが、生憎と本日は雲隠れを決め込んでいました。
峠にはつきものの、峠の茶屋もしっかりと存在します。主要な客層は登山者ではなく2輪車乗りであるらしく、バスが到着した時点ではまだ営業していませんでした。
すでに散りつつある藤棚の下のベンチスペースで身支度と軽く腹ごしらえを済ませててから、本日の行動を開始します。
2.ヤマツツジが満開のハンゼの頭
9時30分 峠の茶屋の裏手にある林道から登山を開始します。駐車場にはそこそこの台数の車が止まっており、入山者はそこそこいるようです。
歩き始めて早々に、林道の脇から登山道への取り付きがありました。道標には三窪高原としか書かれていませんが、とりつきはここであっています。
暫しの間、林道から付かず離れずの距離の緩やかな道が続きます。足元の土はフカフカで柔らかく、足に優しいトレイルです。それは見方を変えると、あまり歩かれてはいないと言う事にほかなりませんが。
チラホラとヤマツツジの姿が目につき始めました。これは単なる序の口でしかなく、本命は尾根上に出てからです。
登山道がようやく真面目に標高を上げ始めました。と言ってもまあ、柳沢峠からハンゼの頭までの標高差は200メートルほどしかありません。要求される体力度は高尾山未満の山です。
カラマツ林の根元が一面のコケに覆われて苔の絨毯状態になっていました。こうした雰囲気はいかにも奥秩父的です。
前方を横切るように現れたルートに合流しました。ここから先は白沢峠までずっと、尾根沿いの道となります。。
新緑が美しい広葉樹の森です。三窪高原のベストな訪問時期はヤマツツジが咲く頃だと思いますが、紅葉もなかなか見ごたえがありそうです。
10時 柳沢ノ頭と呼ばれる小ピークまで登って来ました。山頂の全体がヤマツツジに囲われており、ヤマツツジ畑状態です。
ここには今からちょうど2ヵ月間に一度訪問しているのですが、その時はまだ冬枯れの光景で、ヤマツツジの蕾だけが大量にありました。2ヵ月経つとこれだけ景色が変わるんですね。
先へ進みましょう。ここはスニーカー履きの観光客も紛れ込んで来てしまう場所だけに、登山道はしっかりと整備されています。
このクズ籠は大変目に着くのでよく覚えています。昔は業者がわざわざここまで登って来て回収していたのでしょうかね。今となってはもう回収される見込みはないであろう、古い空き缶が積み上がっていました。
このクズ籠にしてもそうですが、三窪高原にはかつてはここを観光地として大々的に売り出そうとしてたのであろう事をうかがわせる痕跡が、数多く残っています。
鈴庫山方面との分岐地点までやって来ました。三窪高原とは広義にはハンゼの頭の周辺に広がる一帯を指す言葉ですが、狭義にはこの場所の事を指しているらしい。
植生保護柵に囲われた中に、ヤマツツジではなくレンゲツツジが咲いていました。
三窪高原はかつてはヤマツツジではなくレンゲツツジの名所と知られていた場所でしたが、シカの食害により急速に数を減らして今では見る影もありません。
レンゲツツジには毒性があるため食害による影響受けず、そのため最終的に他の草花は消えてレンゲツツジだけの群生地が出来上がる。と言うような話を以前どこかで耳にしたことがあるような気がするのですが、はて?
レンゲツツジの毒は牛にしか通じず、鹿には効力がなかったりするのでしょうか。現にこうして保護柵の内側にしか咲いていない以上は、食われてしまう事は間違いないのでしょうけれど。
分岐からハンゼの頭に向かって最後の登りです。前回の訪問時には時間がなくてスルーしてしまってたピークです。たいへん眺めが良いらしいので期待して行ってみましょう。
ハンゼの頭の山頂周辺のヤマツツジはまさに今が見頃の最盛期で、凄いことになっていました。これ程の量と密度を持つ群生地は、これまでお目にかかったことがありません。
背後に大菩薩嶺(2,057m)の姿が良く見えました。大菩薩嶺に柳沢峠から登る人はあまりいないかとは思いますが、登山道は尾根続きにずっと繋がっています。
実にあっけなく山頂まで登って来ました。明らかにハイカーではない、ラフな格好をした観光客の姿が目立ちます。
10時15分 ハンゼの頭に登頂しました。柳沢峠から僅か45分程で登ってこれました。まさにお散歩レベルの気楽な山です。
簡単に登ってこれる場所ですが、展望はなかなかのものです。晴れていれば御坂山地越しに富士山が良く見えますが、本日は生憎と雲が多めで見えませんでした。
3.ヤマツツジの咲く尾根道とソーラーパネルに埋め尽くされた板橋峠
先へすすみましょう。この先もまだしばしの間、観光地化された三窪高原の領域が続きます。
まだ花は咲いていないマルバタケブキが、登山道を侵犯しつつありました。この花もまた有毒で、シカの食害が進んだ山でよく目にします。
公園風に整備された散策路が続いています。ここもでもヤマツツジが爆発的に咲いていました。
だいぶ老朽化して自然に還りつつありますが、東屋なども整備されています。あまり成功はしなかったようですが、頑張って観光地化しよと努力はしていたのでしょうね。
振り返って見たハンゼの頭です。とても標高が1,600メートルある山だとは思えないような、放牧的な光景が広がっていました。
遠くからも良く見えていた電波塔の脇を通り抜けます。観光地化されている領域はここまでで、ようやく登山道らしい登山道が始まります。
登山牡領域に入るなり、周囲からいきなり人影が無くなりました。小刻なアップダウンはありますが、全般的に平坦で水平移動に近いトレイルが続いています。
時よりこうして帯状に樹林が途切れて草地化している場所が現れます。レンゲツツジの群生地だったくらいなので、かつては放牧地か何かだったのでしょうかね。
ヤマツツジは日当たりの良い場所を好むらしく、こうして頭上が開けている場所にこれでもかと言わんばかりに咲いていました。
今度は明らかに防火帯だと思われる、樹木が伐採された尾根が続いていました。
11時10分 藤谷ノ頭に登頂しました。独立したピークではなく、白沢峠へと続く尾根上に連なる小ピークの一つです。この先にもこうした小ピークがいくつも連なっており、それらをすべて超えて行きます。
藤谷ノ頭から下って行くと、前方の視界が大きく開けました。眼下に見えているのは板橋峠です。
これから歩く倉掛山方面尾の尾根が一望できます。防火帯沿いの道が、何度もアップダウンを繰り返しながら延々と続いているのが良く見えます。意外としんどそうですな。
笛吹川の谷を挟んだ向かいには、乾徳山(2,031m)から黒金山(2,232m)へと続く山並みが連なります。そういえば確かに、以前黒金山に登った時に、向かいの三窪高原が良く見えていたっけか。
峠の周辺はソーラーパネルに埋め尽くされていました。個人的にはとても強い嫌悪感を覚える光景です。いやまあ、文句があるならお前がメガソーラー業者が出した以上の金額で全ての山林を買い取れと言う話でしかないのですけれど。
11時25分 板橋峠に到着しました。尾根沿いにあったのであろうかつての登山道はソーラパネル群に呑み込まれてしまっており、道標も何もないのでどちらに進めばよいのかよくわまりません。とりあえず直進すればよいのかな。
尾根の左側にある林道沿いに、パネルの大群を迂回するようにして進みます。一見すると全然山の上に居る感のしない光景ですが、現在地の標高は1,600メートルほどあります。
林道からの眺めは壮観です。今はどんよりとした曇り空ですが、晴れていれば奥秩父主脈の山並みまで見えそうですね。
分岐が現れましたが、相変わらず道標はありません。林道の本線は左方向へ続いていますが、ここを右に入って行けば尾根上に復帰できそうです。
4.幾多のアップダウンを乗り越えて倉掛山へ
目論見通り、防火帯沿いの登山道に復帰できました。このまま尾根沿いに進みます。
背後を振り返ると、大菩薩嶺と黒川鶏冠山(1,716m)の姿が並んで良く見えました。この大菩薩嶺の北に広がる一帯は、奥秩父山地の中でも特に歩く人の数が少ない領域です。
最初の急坂を登りきると、手製の表札にセットウと銘打たれたピークがありました。漢字で書くと雪頭なのだろうか。
アップダウンを繰り返しつつ進みます。頭上が開けていて爽快な道なのですが、先ほどから他の登山者の姿を一切見かけません。バスで比較的簡単に来れる場所なのにね。
黒川鶏冠山がすぐ隣に見えます。あまりまじまじと眺めたことがなかったのですが、こうして見るとしっかりと鶏冠のような姿をしていたのですね。
そもそも黒川鶏冠山の存在を知っている人自体が、はたしてどれくら居るのだろうか。小粒だけれど良き山ですよ。
防火帯上の道に九十九折れなどは一切なく何もなく、すべてモリモリと直登します。標高差の値自体は小さくても、意外と歩き応えはある道です。
12時15分 萩尾と銘打たれたピークまで登って来ました。人の苗字みたいな名前の山ですね。
手作り表札のかかっている地点はまだ山頂ではなく、山中にポツンとあるこの八木アンテナの脇をさらに登ります。
おそらくここが萩尾のピークであると思われます。現在歩いているこの尾根は甲州市と山梨市の境界であり、こうした識別表が定期的に立っています。
防火帯はなおも続く。複数世代の道が重なっているのか、防火帯の下の方にも薄っすらと踏み跡の様なものが見えます。
行く先に見えている山並みは、笠取山から飛龍山を経て雲取山まで続いている、奥秩父主脈であると思われます。多摩川源流域の山々です。
眼下に見えるこの谷底を青梅街道が通っているはずですが、緑が濃くて上からだと全く道は見えません。現在地は途方もない山奥であり、簡単に登ってこれたのは行程の大半をバスに運んでもらったからに過ぎません。
思わず二度見しそうになる、絶壁のような勾配の登りが立ちはだかりました。ハイハイわかりましたよ。登れば良いのでしょう、登れば。
息を切らせつつ登ると、またもや手製の表札がかかった小ピークがありました。
12時40分 絵図小屋山に登頂しました。これまたユニークな名前の山ですね。
この不思議な名前の由来が気になって調べてみましたが、アイヌ語で突端を意味するイズが訛ったものではないかという説が有力なようです。
そいえば確か奥武蔵にある伊豆ヶ岳の山頂にも、同じような由来の解説が書かれた案内板が立っていたような。
ここまで来れば倉掛山まではもうあと一息です。正面に見えているのが山頂なのかな。
ハンゼの頭周辺にあった群生の規模には及びませんが、倉掛山周辺のヤマツツジもまた見事です。そこかしこにポツポツと咲いています。
最後の登りです。絵図小屋山の直下ほどではありませんが、ここでもかなりの急登でした。防火帯上の道と言うのは基本的に一直線なので、どうしても急登になりがちです。
山頂らしき場所まで登って来ましたが、標識も何も見当りません。ピークはここから少し尾根を外れて左へ進んだ先にあります。
13時 倉掛山に登頂しました。あはははははは、これはまたまるで画に描いたのか如き地味山ですね。だがしかしそれが良い。
山頂に展望は一切無く、木の隙間から僅かに広瀬湖が見えました。笛吹川をせき止めて作られた、人造のダム湖です。この湖よりさらに上流に西沢渓谷があります。
5.廃トラックが静かに鎮座する白沢峠
倉掛山を過ぎて以降もしばしの間、同じような高さの尾根道が続きます。
奥秩父主脈が近い。この笠取山やら和名倉山やらがある一帯は奥秩父山塊の中でも特にアクセス難な場所で、基本的に車の無い奴はお断りな場所です。アクセスをどうしてくれようか悩ましいですが、和名倉山には一度登りたいんだよな。
白沢峠に向かって、ようやく真面目に標高を落とし始めました。若干時間が押して来ていたので、ここからは写真も撮らずに足早にサクサクと下りました。
13時40分 と言う事で一気に場面は飛んで、白沢峠まで下って来ました。峠の真ん中にポツンと擱座した廃トラックが印象的な場所です。
アメリカのダッジ社製の軍用トラックです。民生モデルが日本国内で一般販売されていた事は無いため、恐らくは進駐軍が使用していた車両が払い下げられて、林業に転用されていたのでしょう。
荷台に木が生えてしまっており、まるで植木を運搬しているようにも見えます。それだけ長い間、このトラックは峠の景色の一部であり続けた訳ですな。
運転席も意外としっかり原形をとどめていました。当然ながら左ハンドル仕様です。
プレス加工で作られた鋼板をつなぎわせたボディが、いかにも戦時下の急造品らしい武骨さで素敵です。それにしても、このドアにあいた無数の穴は一体何の跡なのだろう。まるで「俺たちに明日は無い」をされたかのようです。
すっかりトラックに夢中になってしまいましたが、峠まで下って来ました。尾根道はこの先の奥秩父主脈まで繋がっていますが、本日歩くのはここまでです。
6.三窪高原登山 下山編 青梅街道沿いの落合へ下る
峠から落合バス停に向かって下ります。木製の道標が朽ちてしまっていてわかり辛いですが、落合方面に下るにはこの保安林の立て看板の右側にある道へ進みます。
小さな沢沿いに下って行く気持ちの良い道です。急坂は一切なく、とても歩きやす道です。
この道を歩く人は相当少ないのか、倒木が多めでトレイルは全般的に荒れ気味です。とは言っても、特に通行に困難をきたすような場面はありません。
峠を出発してから30分と下らないうちに、あっさり砂利舗装された林道に合流しました。
なんだかすっかりやり切ったムードが漂い始めますが、しかし実はここからが長い。落合バス停まではまだひと道あります。頑張って歩きましょう。
側面を金網に塞がれた、脇の甘くないゲートが現れました。しっかりと施錠されていたので、左側の斜面から強引に通り抜けました。
集落なのかそれとも山仕事のための作業小屋なのかはわかりませんが、沿道にポツポツと家屋がありました。こんな山奥では、ちょっと買い物に出かけるだけでも難儀しそうですね。
この何故か5・7・7のリズムになっている防災標語は、黒川鶏冠山に登った時にも目にした記憶があります。同じ消防団の管轄地区なのでしょう。
この後も川沿いに道が延々と続くのですが、読者の皆様を退屈させるのは忍びないのでスパッと省略します。
場面は飛んで青梅街道との合流地点まで下って来ました。落合バス停はここを右折して少し登り返した場所にあります。
反対側の左方向に下って行くと、やがては丹波山村に至ります。距離からして、歩いたらおそらく2時間以上はかかると思います。
15時10分 落合バス停に到着しました。私自身始めて来た場所ですが、思っていた以上に何もなくて少々驚きました。
前述の通りバスは1日に2往復しかありません。もし15時30分の最終バスを乗り逃してしまったら、塩山駅からタクシーを呼ぶしかありません。いったいいくらかかるのやら・・・
帰路のバスは柳沢峠側から下って来るのかと思いきや、反対側から登って来ました。どこで待機していたのだろう。
16時10分 大菩薩の湯バス停で途中下車して、ひと風呂浴びて行きます。次の塩山行きのバスは30分後の16時40分発なので、あまりゆっくりとはできませんでしたがスッキリしました。
往路と同様に特急あずさの利用は見送り、鈍行列車に揺られて帰宅の途に着きました。
2023年はツツジの当たり年であると言われていますが、三窪高原のヤマツツジもまた見事なものでした。これほどの規模の群生地は、過去にお目にかかったことがありません。
三窪高原周辺の山はどこも登山御対象としては無名に等しく極めてマイナーな存在ですが、思いのほか眺めも良くて気持ちよく歩ける良ハイキングコースでした。ほとんどその存在を知られることなく埋もれてしまっているのは、大変もったいないことだと思います。
メジャーな山の喧騒を避けて静かなる山行きを楽しみたい気分の人は、三窪高原を訪れてみては如何でしょうか。
<コースタイム>
柳沢峠バス停(9:30)-柳沢ノ頭(10:00)-ハンゼの頭(10:15~10:35)-藤谷ノ頭(11:10)-板橋峠(11:25)-萩尾(12:15)-絵図小屋山(12:40)-倉掛山(13:00~13:10)-白沢峠(13:40~13:50)-ゲート(14:20)-落合バス停(15:10)
完
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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