神奈川県湯河原町にある土肥城山(どいしろやま)、幕山(まくやま)および南郷山(なんごうさん)に登りました。
湯河原のすぐ背後に立ち並んでおり、広く海を見晴らすことのできる好展望の山です。城山の山頂にはかつて源頼朝を匿った土肥氏の居城があった城址であり、付近には頼朝にまつわる数々の史跡が点在しています。
湯河原で歴史ロマンが溢れる史跡と温泉とを巡って来ました。
2023年12月17日に旅す。
時はいよいよ寒さも厳しくなってきた12月の中旬。アツアツの温泉が恋しくなる季節となってまいりました。
温泉に出向く以上は、漏れなく登山がセットで付いて来るのがお約束であります。・・・世間一般ではどうなのかは存じませんが、私の内部ではこの2つは常に1つのパッケージとして取り扱われます。
と言う事で(?)今回は湯河原のすぐ背後に立つ城山に登って来ました。かつて山頂に土肥氏の居城が存在したことから、土肥城址とも呼ばれます。山腹にみかん畑が広がる長閑な里山です。
土肥氏は相模国南西部の有力な豪族で、源頼朝が伊豆国で挙兵した際には、当主の土肥実平(どいさねひら)が嫡男を従えて参じています。
城山の周辺には、石橋山の戦いで大敗して逃避行を余儀なくされていた源頼朝が身を隠したとされるしとどの窟(いわや)を始めとした、頼朝にまつわる史跡が多く残っています。
城山は山頂のすぐ近くにまで舗装道路を伸びており、登山と言うよりは史跡めぐりと考えた方が良いかもしれない行程です。
城山単体ではボリューム的に少々物足りない感じもするため、隣接する幕山と南郷山を合わせて周回します。こちらについてはオマケようなもので、無理につぎ足す必要は無いかとは思いますが・・・
相模灘を一望する大展望と史跡巡りを楽しみつつ、しっかりと温泉にも浸かって来た冬晴れの一日の記録です。
コース
湯河原駅からスタートして、すぐ裏手にある城山に登頂します。城山からしとどの窟を巡りつつ、一度下山して幕山登山口へ移動し、幕山と南郷山の2座を巡ります。
下山後はゆとろ嵯峨沢の湯に立ち寄りつつ湯河原駅へと戻ります。湯河原周辺の山々を巡る、欲張りな周回コースです。
1.土肥城山登山 アプローチ編 普通列車で紡ぐ湯河原への旅路
5時55分 小田急線 喜多見駅
本日の目的地である湯河原駅は東海道本線の駅ですが、全行程をJRで行くとかなり割高となるため、小田原までは小田急線で行きます。
新宿駅から小田原駅までの所要時間を比較すると、JRの方がおおよそ15分ほど早く到着しますが、運賃は600円違います。よほど先を急ぐ理由でも無い限りは小田急の方がお得です。
7時12分 いつものように完全爆睡している間に、電車はつつがなく終点の小田原駅に到着しました。
小田原から東海道本線に乗り換えます。乗り換え時間にあまり余裕が無いので足早に移動しましょう。悠長に巨大提灯の写真などを撮っている場合ではありません。
7時33分 湯河原駅に到着しました。自宅からは結構遠い場所であるイメージがありましたが、始発電車を乗り継ぐと意外と早い時間にやってこれました。
週末ともなればそれなりに多くの人で賑わう温泉観光地である湯河原ですが、流石にこんな朝早くから温泉に入りに来る人はいないと見えて、駅前は閑散としていました。
駅前のロータリーに土肥実平とその奥方の像が置かれていました。土肥城山の城主であり、伊豆で挙兵して早々に石橋山の戦いで大敗し、這う這うの体での逃避行を余儀なくされていた源頼朝を匿ったことで知られる人物です
銅像の落成時に置かれたらしい記念碑が隣にありました。大きく乾坤一擲(けんこんいってき)と書かれています。
今日ではほとんど使われることの無い四字熟語ですが、運を天にまかせてのるかそるかの大勝負に打って出る、くらいの意味です。挙兵した当時の頼朝の心情は、まさしくこんな感じだったことでしょう。
2.みかん畑が広がる急坂をひたすら登る、城山への道程
身支度を整えて7時40分に行動を開始します。駅前のロータリーからみて左方向へ道なりに進みます。
本日は気温自体は高めであるものの、頭上ではゴウゴウと強風が吹き荒れていました。風に晒されるであろう山頂は、それなりに寒いことになりそうです。
やがて東海道本線のガードが現れるので、左折して下を潜ります。要所要所にはしっかりと道標もあるので、その導きに従って進めばまず迷う事はありません。
内部で途中から幅員が狭まる通路です。これ絶対に衝突事故が多発するやつだ。
最初からいきなりの急坂を登って行きます。始めに断っておきますと、城山の登山ルートは9割以上が舗装道路歩きとなります。
登山靴を履く意味はあまり無いので、トレランシューズなどを履いてきた方が快適に登れると思います。そんなものは一足も持っていない私は、いつもの重たい革製のハイカットシューズを履いております。
路地もののミカンが販売中でした。今買ってしまうと登山中は余計な荷物になるので、できれば下山後に購入したいところです。とても美味しそうではありますが、一旦はスルーして進みます。
道の脇にみかん畑が広がる、長閑なる里山の光景です。山がすぐ海際にまで迫ってきている湯河原にはそもそも平地はほとんど存在せず、こうした斜面上に住宅地が広がっています。
途中に浅間神社参道と書かれた入口がありました。浅間神社と名のつく場所からは、大抵は富士山が見るものなのですが、ここからではどう考えても見えないような?
12月も既に中旬だと言うのに、まだ紅葉が残っていました。暖冬の影響はこんなところにも現れていましたか。
この登り坂はかなり長い間続き、中腹よりも上のあたりにまで住宅地が広がっていました。この辺りまで登ってくると、流石に車なしでは生活そのものが成立しないでしょうね。
何故か昭和ノスタルジーな雰囲気の映画の看板が飾られていました。総天然色なんていう日本語はすでに死語と化して久しそうなものですが、 カラー映画のことです。
みかん畑に給水するためのものと思われる貯水タンクがありました。普通に考えれば畑の一番高い場所に設置するものでしょうから、畑のエリアはここまでと言う事なのかな。
ここで道が2手に分かれました。どちらに進んでも最終的には城山に行き着きますが、道標によれば左が近道らしいのでそちらへ進みます。
坂道の勾配が凄いことになって来ました。これは車に乗っていたとしても、突入することに躊躇しそうな傾斜度です。
背後を振りかえると、海上に浮かぶ初島と伊豆大島の姿が見えました。いつの間にかずいぶんと高いところまで登ってきたものです。
ここまで登って来てようやく、道の脇に登山道の入り口らしき場所があらわれました。ようやく舗装道路歩きから解放されるのか。
しかしよくよく案内を見ると、どうやら登山道の入り口ではなくてかぶと岩と呼ばれる史跡への入り口であるようです。源頼朝が、逃亡中に岩の上に兜を置いて休憩を取ったと伝わる場所です。
どうせ山中にただの岩がポツンとあるだけの残念スポットなんだろうと言う予感しかしませんが、まあ本日は特に先を急ぐ旅ではないので、一応は寄り道をして行きましょうか。
分岐から山道を5分少々登って行くと、想像していた通りの光景がありました。うんまあそうだよね。そんな気はしていたんだ。
ということで、ここは正直スルーで良いと思います。
3.土肥城山登山 登頂編 相模灘を一望する好展望の頂へ
気を取り直して先へ進みましょう。倒木によって道が塞がれていました。特にゲートなどの物理的な封鎖は見かけなかったような気がしますが、そもそもこの道は一般車は立ち入り禁止なのかな。
背後に真鶴半島の全貌が見えます。丹沢の山を登っている時などに大変目を引く、ごく小さな突起のような半島です。
三浦半島の先端からこの真鶴半島までを結ぶラインの内側を相模湾と呼び、その外側の海については相模灘と呼ばれます。
最大望遠で覗くと、半島の先端にある三ツ石の姿までもが見えました。笠島とも呼ばれ満潮時は離れ小島になりますが、干潮時には真鶴半島と陸続きになります。
ここで再び道の脇に山道への分岐がありました。今度は立石ですって。どうせまたただの岩があるだけなんでしょう。
もう騙されないもんねとばかりに、今度はスルーしました。
もうだいぶ山頂に近づいてきたところで、ようやく今度こそ登山道の入り口がありました。やはり山登りをしに来たからには、すこしくらいは土の上を歩きたいですからね。
道の両側に立ち並んでいるのは、どう見ても桜の並木です。ふむ、これはもしかしなくても訪問の時期を誤ったのかもしれない。
すぐにまた舗装道路が現れましたが、ここは横断するだけでちゃんと登山道が続いています。
登山道脇に芝生の広場になっている場所がありました。特になにも解説などはありませんが、曲輪の跡か何かでしょうか。いかにも眺めが良さそうで期待が高まります。
目の前に相模灘の大海原がドーンと広がります。取りあえずはここで、いつものお決まりのセリフであるところの「ヒャッハー、うみだぁー」を叫んでおく。
妙に凝ったピラミッド型の屋根になっている休憩スペースがありました。これは源氏テクノロジーによるオーパーツか何かか。
行く手が大きく開けました。吹きっ晒しでいかにも寒そうです。さあ、あの場所に立つ覚悟は良いか。
広々とした空間に飛び出しました。ここが土肥城山の主郭だった場所なのかな。
9時25分 城山に登頂しました。標高でいうと500メートル少々でしかありませんが、スタート地点がほぼ海抜0メートルであるため、それなにりに登りでがある行程でした。
山頂からは素晴らしきオーシャンビューが広がります。案の定というか想像していた通りの吹きっ晒しな場所で、尋常じゃなく寒いですけれど。
湯河原の市街地の先に、初島と大島が並んでいるのが見えます。伊豆大島は火山島であり、島の中心にある三原山は今も現役で活動中です。
北に目を向けると、相模湾越しに首都圏の市街地が僅かに見えます。
お隣の幕山(626m)の姿も良く見えます。本日はこの後しとどの窟に立ち寄りつつ一度下山した後に、返す刀で幕山へ登り返すつもりでいます。
4.源頼朝が匿われた伝承が残るしとど窟
これ以上留まると凍えそうなので、ボチボチ先へ進みましょう。城山ハイキングコースを辿って、しとどの窟を目指します。
石畳舗装がされており、ハイキングコースと言うよりは城址公園とでも呼んだ方がしっくりくる感じの道です。相変わらず強風が吹き荒れていますが、側面が樹林に守らているおかげで寒くはなくなりました。
ベンチのおかれた広場があったりして、やはり公園的です。この少し先には駐車場があり、実のところ山頂のすぐ近くまで車で入れます。
眼下に湯河原温泉郷が見えます。大規模な温泉リゾートとして開発された熱海に対して、湯河原温泉は小規模な旅館が主体の昔ながらの温泉街です。
この一見道標風の外観をした落石注意の看板は、以前真鶴半島を歩いた時にも目にしたことがあります。同じ施工会社が設置したのかな。
前方に車道が見えて来ました。通称椿ラインと呼ばれている、神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線です。
10時15分 しとどの窟バス停まで歩いて来ました。かつてはこの道を通って湯河原駅と元箱根港を結んでいた路線バスが存在しましたが、現在は運行されておらず、このバス停も使用されていません。
バスはありませんがバス停の傍らに駐車スペースがあるため、自家用車でなら訪れることが可能です。
そんな訳で公共交通機関を利用してしとどの窟を訪問するには、私のように湯河原駅から歩いて城山を越えて来るか、さもなくは奥湯河原バス停からおよそ1時間30分をかけて登って来るしかありません。
背後には箱根の外輪山が横切っており、あの尾根を越えた先に芦ノ湖があります。
屋上に展望スペースを備えたトイレまであり、完全に観光地の装いです。そうなると、バスでは来れなくなってしまったのは痛そうです。
城山隧道を潜って、先ほど通ってきた城山ハイキングコースの下を通ります。
トンネルと抜けると、右手にしとどの窟の入り口がありました。最初に断っておくと、ここからしとどの窟を訪れる場合、結構大きく下ることになります。物見遊山気分でやってくると、帰路の登り返しで苦労すると思います。
地面はしっかりと舗装されていますが、結構な急坂を下って行きます。もともとここは山伏たちの行場で、道の両脇には多数の観音像が置かれています。
夜中に訪れると結構不気味な光景であるためか、しとど窟は心霊スポットとしても有名です。なんでも首の無い地蔵を3体見かけると死ぬのだとか。
かく言う私自身はスピリチュアルな方面への感受性がとことん鈍い人間なので、首無し地蔵を何体見かけようが特に気にはなりません。
どちらかと言うと、真っ暗な山の中で生きた人間と遭遇する方がよほど怖いです。お前こんなところで一体何してんのと。
ジグザグと九十九折れに折り返しながら下って行きます。繰り返しになりますが、登山ではなく観光に来た人は、帰りには登らなければいけないのだと言う事をお忘れなく。
分岐地点まで下って来ました。幕山方面へ下るにはここを右へ曲がりますが、その前に直進してしとどの窟へ立ち寄って行きます。
ここに来てまさかの登り返しがありました。なかなか訪問のハードルが高い観光地です。
何故先ほどから観光地であることをことさらに強調しているのかと言うと、登山者ではない普段着姿の老夫婦が、この最後の階段で難儀している姿を目撃したからです。誰でも簡単に見に来れる場所では無いと言う事に留意が必要です。
10時30分 しとどの窟に到着しました。現地一押しの観光スポットの割には、なかなかアクセスが難儀な場所にありました。
石橋山の戦いに敗れた頼朝一行は、僅か8人の供回りだけを従えて土肥実平の案内でこの洞窟に身を隠していたと言う伝承が残っています。のちの鎌倉殿も、若い頃は散々苦労したんですねえ。
頼朝は日本史上で最も傑出した政治家の一人であると思うのですが、しかし悲しいかなあまり人気はありません。どちらかと言うと、イケメンの弟を追い落とした上に抹殺した陰険で悪い奴と言うイメージを持たれがちです。
洞窟の入り口が小さな滝となっており、その奥に空洞が広がっています。
これはまったくどうでもよい余談ですが、弟の義経がイケメンの美男子だったと言う言説は後年になってから語られるようになったもので、鎌倉時代当時の記録に特にそのような記述は存在しません。
なんなら小柄で出っ歯だったと言う証言があるくらいです。母親の常盤御前が絶世の美女だったので、その息子なんだからきっと美男子だったに違いないとのイメージが独り歩きしたのだろうか。
だいたい馬に登ったまま崖を駆け下ったり、漕ぎ手を射よとか突然叫びだしたりするようなやべーヤツが、線のか細い薄幸の美青年なわけないでっしゃろ。
滝には僅かな水量しかなく、チロチロとしたたり落ちている様な状態です。頼朝が潜伏していた当時からこの状態だったのかは定かではありませんが、水が確保できるのなら隠れるのにはもってこいの場所だったでしょうね。
ちょっとややこしいのですが、しとどの窟と呼ばれている場所は2ヵ所存在します。一つはこの湯河原の洞窟で、もう一つは真鶴半島にある海蝕洞です。どちらにも頼朝が潜伏した場所だと言う伝承があります。
どちらが真の潜伏場所だったのかを巡り、かつて湯河原と真鶴との間で論争があったとのことですが、現在では2つあるしとどの窟を渡り歩きつつ隠れていたという説を取ることで決着しています。政治的解決と言うやつですかね。
5.一度下山して幕山登山口へ移動する
しとどの窟の見物を終えて先へと進みます。もと来たバス停方面には戻らず、このまま一度下山します。
幕山方面からの登山道はあまり歩かれていないのかやや荒れ気味です。さらに今の季節は落ち葉が堆積しているため滑りやすく、地味に歩き難い道です。
道は沢筋で、崩れかけの結構際どい場所もありました。こんな難儀な場所にまで逃げ回るハメになるとは、頼朝も苦労したんやなあ(2度目)。
最後に渡渉がありますが、大した水量ではなくここは一跨ぎで渡れます。
舗装された林道まで下って来ました。ちょうど正面に見ているのが、この後に登る幕山です。何気に標高は土肥城山よりも少し高いです。
道なりに下って行くと、すぐに別の林道と合流します。ここは右です。
合流地点にポツンと山の神様がいました。この辺りに古くから人の出入りがあったことを示しています。先ほど下って来たルートは、土肥城山の搦手か何かだったのかな。
道なりに幕山登山口まで移動します。こうして完全に下山してしまっており、本日の行程は事実上2つの山に1から登り直すようなものです。
季節的にはもう完全に冬なのですが、ススキの穂が生い茂っていて秋の名残の様な光景が広がっていました。
幕山はもともと箱根の側火山で、山体は冷え固まった溶岩ドームです。山腹を取り巻く岩壁はロッククライミングと対象となっており人気があります。
湯河原梅園の駐車場まで歩いて来ました。梅の花が咲く季節になると大勢の見物客で賑わう場所ですが、今の季節に訪れるのは物好きな登山者かロッククライマーくらいなものです。
11時30分 幕山登山口に到着しました。本日2度目の登山開始です。幕山には以前に一度ちょうど梅の季節に登っており、その模様は既に記事化されているので、ここから先は軽めのサクっと流します。
6.おまけの延長戦で幕山と南郷山を周回する
登り始めは梅園の中の散策路を登って行きます。12月の中頃だと梅の花は流石にまだ蕾すらもつけておらず、冬枯れの殺風景が広がっていました。
クライミングを楽しむ人の姿が目につきます。有名所なだけあってか盛況で、ほとんどすべての岩に取り付いている人の姿がありました。
梅園の敷地内から出ると、後はひたすらにジグザグと九十九折れに折り返しつつ登って行きます。特に語るべき事柄も無いので、登りの様子はスパッと省略いたします。
12時55分 幕山に登頂しました。梅まつりが開催中の季節には立錐の余地もないほどに大勢が詰めかける山頂ですが、今の季節には人影もまばらで、閑散としていました。
山頂は頭上が大きく開けていますが、立木に覆われているため周りの景色はイマイチです。と言う事で、登って来て早々ですが次に行きましょう。
大きく育った杉の木が、たわわに花粉を実らせつつありました。まったくこんな物騒な物は全て伐採して、割り箸にでもしてしまえばよいのですよ。
鞍部で舗装道路を横断します。もう登るのは飽きたと言う人は、この道を進めば南郷山をスキップして下山することも可能です。
道を渡り山中に入ると、自鑑水と呼ばれる水たまりがあります。別名で自害水とも呼ばれており、ここにも逃避行中の頼朝にまつわる伝承が残っています。
逃亡生活に疲れ果てていた頼朝は自害することも考えたが、この池の水面に映る自分の姿を見て思いとどまり、再起を図る気力を取り戻したのだとか。
一見するとただの汚い水溜まりにしか言えませんが、年間を通じて涸れることがないのだそうです。
再び代り映えのしない杉の植林地帯に入りました。こうした光景は、里に近い場所にある山の宿命のようなものです。
稜線上は箱根外輪とよく似た光景で、道の両脇が笹竹の壁に覆われていました。風が遮られるのは良いのですが、そのかわり展望は一切りません。
稜線上に出でてからは割とあっけなく、山頂らしき場所に到着しました。
13時15分 南郷山に登頂しました。幕山と同様にここも2度目なので、特にこれと言った感慨もわきません。だったら何故わざわざ登りに来たんだと言う話ではあります。
展望は北側だけが少し開けており、相模湾が見えました。幕山と同様に、あまり眺めの良いとは言えない山です。
7.幕山&南郷山登山 下山編 鍛冶屋バス停へと下る
城山だけでは少々ボリューム不足かなと思い付け加えたおまけ編でしたが、余計な蛇足であったかもしれない。ともかく今度こそ下山しましょう。
この時点で既に私の頭の中は、下山後の温泉モードへと切り替わりました。ここからは足早に参ります。
山頂から少し下ると、真鶴半島が正面にドーンと見えるスポットがあります。頼朝の一行は最終的に真鶴から小船で房総半島の安房へと脱出し、再起を図ることになります。
眼下に湯河原の街並みも見えます。山頂からよりも全然眺めがよく、この場所が南郷山登山における最大のハイライトであると言えそうです。
すると今度は道の左側に下山路の入り口が現れるので、ここから下って行きます。
ここでも背丈を越える笹竹に覆われていました。もしも刈払いが行われていなかったら、登ることはほぼ不可能な藪山なんでしょうね。
途中からは、湯河原カントリークラブという名のゴルフ場のすぐ脇を通る道になりました。現在の登山道はおそらく、ゴルフ場が完成した時点で脇に追いやられたのでしょう。
舗装された道まで下って来ました。ここから先は城山と同様に、みかん畑に囲まれた急坂がひたすら続きます。
下り道の途中に、FREE SPACEと書かれたデッキ状の休憩スペースがありました。
麓の湯河原の町を一望できます。両側を山に囲われた狭い扇状地に、所狭しと家屋が立ち並んでいる様子が良く見えます。
最後の最後まで急坂です。仮に反対向きに歩くとしても、最初からいきなり難儀させられそうです。
14時35分 鍛治屋バス停に到着しました。もう歩くのはお腹いっぱいだと言う人は、ここでバスを待つのが良いだろうと思います。
8.ゆとろ嵯峨沢の湯でひと風呂浴びる
しかし私にはこの後、温泉に立ち寄らなければならないという崇高なる使命が残されています。むしろ今回は登山の方がオマケで、温泉に入ることこそが主たる目的だと言っても過言ではありません。
15時 ゆとろ嵯峨沢の湯に到着しました。湯河原エリアでは数少ない日帰り入浴専用の施設です。ここでひと風呂浴びて行きます。
入浴料は1,380円と、日帰り入浴としてはまあまあ良いお値段です。しかし、湯河原まで来ておいて温泉に入らないと言う選択肢はありません。
お湯の方はPH値が高めのアルカリ温で、いわゆる美肌の湯です。内湯も露天も広々としており、快適空間でした。
温泉の正面にある駐車場から、本日歩いて来た城山から幕山に至る山並みのすべてを一望できました。旅に終わりに、こうしてその日一日に歩いた全容を俯瞰できるのはとても良いです。
湯冷めしないうちに帰りましょう。ゆとろ嵯峨沢の湯は高台の上にあるため、湯河原駅まではまだもうひと道下る必要があります。
ああちなみに、路地もののミカンは駅へ戻る最中に無事に買えました。特大サイズのものが3つ入りで100円と言う破格の値段でした。
16時20分 最後の方はだいぶ端折りましたが、スタート地点の湯河原駅まで戻って来ました。今日もたくさん歩いて大満足です。
帰路でも当然ながら普通列車です。往路と同様に東海道本線から小田急線へと乗り継ぎ帰宅の途に着きました。
土肥城山は登山の対象と言うよりは、史跡ないしは観光地と考えた方が良さそうな場所です。
そこになんとか登山要素を加えようと幕山と南郷山の周回を付け足した訳なのですが、城山としとどの窟を巡るだけでも十分に満足できるだけの見所があるハイキングコースでした。
これでは行動時間が長すぎると思う方は、幕山と南郷山はスキップしてもこのルートの魅力が失われることはないと思います。
湯河原で日帰り入浴が可能な施設の多くは駅から見て西側のエリアに集中しており、今回立ち寄ったゆとろ嵯峨沢の湯は、幕山の登山後にも立ち寄りやすい場所にある貴重な存在です。すこし余分に歩く必要はありますが、足を伸ばすだけの価値はありました。
歴史ロマンが溢れる海を望む山を巡りつつ、ついでに温泉に浸かりに湯河原まで出向いてみては如何でしょうか。
<コースタイム>
湯河原駅(7:40)-城山(9:25~9:55)-しとどの窟バス停(10:15~10:20)-しとどの窟(10:30~10:40)-幕山登山口(11:30)-幕山(12:25)-南郷山(13:15)-鍛冶橋バス停(14:35)-ゆとろ嵯峨沢の湯(15:00~15:45)-湯河原駅(16:20)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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