神奈川県相模原市にある津久井城山(つくいしろやま)に登りました。
津久井湖のすぐ傍らに立つ標高400メートルにも満たない低山です。山上にはかつて北条氏の重要な軍事拠点であった津久井城が築かれており、現在も当時の曲輪や堀切の痕跡が残る城址となっています。
城山単体だとせいぜい2~3時間もあれば巡れてしまうボリュームであるため、南高尾山稜経由で高尾山まで繋げて歩くロングトレイルを巡って来ました。
2023年12月24日に旅す。
時は2023年もいよいよ終わりが近づいて来た12月24日。世間一般ではクリスマスイブとして認識されている日ですが、そんなことはどこ吹く風と言わんばかりに津久井城山に登って来ました。
津久井城山は現在では津久井湖のすぐ傍らに立っている山ですが、津久井湖は昭和の時代になってからダムによる堰き止めによって作られた作られた人工湖であり、かつては存在しませんでした。
相模湖や津久井湖が存在しなかった時代の相模川では水運が盛んに行われており、津久井城は相模川を利用した水上交通の要衝となる重要な拠点でした。
山頂にあった城は江戸時代にはすでに破却されており痕跡は残っていませんが、曲輪や堀切などの山城であった時代の地形は現在も良く保存されています。
麓から小1時間もあれば登れてしまう山であるため、登山と言うよりは史跡めぐりであると考えた方が良さそうな存在です。
城山だけではいささかボリューム不足で物足りなさを感じたため、下山後はそのまま高尾山まで足を伸ばします。狙うのはちょうどクリスマス頃に見ることのできる高尾山山頂からのダイヤモンド富士です。
結論から言ってしまうと、ダイヤモンド富士の方は笠雲に阻まれて不発に終わりました。わざわざクリスマスイブに津久井と南高尾の低山をほっつき歩いて来た記録です。
コース
城山登山口バス停から津久井城山に登ります。下山後は徒歩で相模川を渡り、南高尾山稜を経由して高尾山まで歩きダイヤモンド富士を狙います。
全行程で1度も標高千メートルを超えることの無い低山歩きですが、総歩行距離はそこそこ長めとなる行程です。
1.津久井城山登山 アプローチ編 相模川沿いの交通の要所を目指す旅路
8時49分 京王線 橋本駅
京王相模原線に揺られて、終点の橋本駅へとやって来ました。本日の計画は近場の山でのゆる登山なので、朝は比較的ゆったりとした始動です。
9時5分発の鳥居原ふれあいの館行きのバスに乗車します。この路線の運行本数は、朝の時間帯であれば概ね1時間に1本あります。
9時28分 城山登山口バス停に到着しました。停留所も何もない、そこそこ交通量の多い道端に放り出されました。え?本当にここなのと、疑問を抱いてしまうような場所です。
停留所は道の反対側にだけ立っていました。現在地は圏央道の相模原ICのすぐ近くで、道が複雑に入り組んでいて歩行者はほぼ存在しないような場所です。
私がいまだに使用している2012年度版の山と高原地図とは、まったく異なる地形になっていました。圏央道の相模原ICが開通したのは2015年3月の事なので、当時とでは景色が一変してしまっているようです。
2.序盤から急登が続く何気に険しい登山道
登山口へ向かうにはまずバスが元来た方に少し戻り、歩道橋で神奈川県道510号線のバイパス線を渡ります。さも何事もなくスムーズに進んだかのように書いていますが、実際は現地でかなり迷いました。
バス停に城山はこっちですと言う案内の一つでも貼り付けてあれば助かるのですが、そもそもバスで津久井城山に登りに来る人は少数派なのだろうか。
道の向かいに渡ると、すぐに登山口の入り口がありました。周囲には他に何もなく、先ほどの歩道橋は城山登山者のためだけに作られたようなものです。
小さな沢、というよりは水路の脇に登山口がありました。案内版によると何ヵ所か通行止めとなっている個所があるようですが、本日歩こうとしているルート上に問題はなさそうです。
なおこの山にはヤマビルが出没します。近くにある石老山(702m)等にも出没しており、相模川の南側にある山はすでに軒並みヤマビルの勢力下にあります。
ジワジワと着実に勢力圏が拡大し続けているのが実に不気味です。この調子だと近い将来、高尾山にまで出没するようになるのは時間の問題であるように思えます。
これもヤマビル対策の一環なのか、水路の上にかぶせるようにして木道が整備されていました。あまり歩かれている様子がない道ですが、しっかりと整備はされています。
やがて男坂と女坂の分岐が現れました。女坂はこのまま沢筋を進み、男坂は尾根沿いを行く道であるようです。ここは当然、男坂一択です。わしゃ男じゃけんのう。
落ち葉に覆われた急坂を登って行くと、すぐに尾根に乗りました。城山の山頂は左方向ですが、その前に右側へ少し進んだ場所に十兵衛山展望台なる場所がある様なので寄り道していきます。
分岐から進んでゆくと、すぐに前方の視界が開けた場所が現れました。
ここが十兵衛山と呼ばれている場所です。ベンチが置かれており視界が開けていますが、特になにかが見えると言う訳でもありません。城があった時代には物見か何かがあった場所なのかな。
分岐へ引き返して先へ進みましょう。この先は基本的に最後までずっと尾根筋の道です。
城山の周辺ではここ数年、カシノナガキクイムシ(カシナガ)が媒介するナラ菌によるナラの木の立ち枯れ現象が問題化しています。カシナガ食われた痕跡があることを示す張り紙が、木の幹に張られていました。
良く見ると、登山道上にあるほぼすべてのナラの木に張り紙がされています。なるほど相当被害が深刻であるらしいことが良くわかる光景です。倒木の危険があるため、枯れてしまったら切り倒すほかありません。
登山道のすぐ右手に城山ダムの堤体が見えます。昭和40年に完成した、利水と発電および洪水調節を目的とした多目的ダムです。このダムが出来る以前の相模川は、当然ながら現在よりも深い谷底を流れていました。
津久井城山があるのは相模川が山間部から平野部へと流れ出る境界付近であり、相模川の水運を監視するには格好の立地にありました。この山に城が築かれたのは必然であると言える地形です。
相模川がある右側は崖になっていて切れ落ちています。落ちたらタダではすまない高さなので、低山だと思って侮らずにここは慎重に。
男坂の呼び名にふさわしい、なかなかの急勾配な登りです。訪問前にはお散歩コースに毛が生えた程度の山を思い浮かべていたのですが、なかなかどうして侮れない防御力です。
急坂を登りきると、広々とした平坦地が現れましたが。おや、もう山頂なのかなと思いましたが、ここはまだ山頂ではありません。
鷹射場と呼ばれていた場所です。鷹射といっても別に飛んでいる鷹を撃ち落としていたわけではなく、鷹狩りに使うための鷹を囮を使って捕獲する行為のことを指しています。鷹射ではなく鷹打と書くのが正しいようですが、はて?
鷹射場からは望が開けており、モヤっと霞んではいますが都心部の高層ビル群やスカイツリーが見えました。今のところは雲が多めのお天気模様で、この調子だとダイヤモンド富士は黄色信号と言ったところでしょうか。
3.城山登山 登頂編 城址の遺構が多く残る好展望の頂
山頂へ向かいましょう。道中にはクサリ場などもあって、なかなかしっかりと登山らしい登山が出来ます。もっともこれは城山登山口バス停から登った場合の話で、ルートによってはそれこそお散歩気分でも登れます。
小さな水溜まりのような池がありました。宝ヶ池と呼ばれる、津久井城の重要な水源であった池です。山のかなり上の方にある池でありながら、1年を通じて涸れることがないのだそうです。
山の上に築かれた城は防衛には有利ですが、常に問題となるのが水の確保です。こうして水源を持っていた事は、籠城をする際には極めて重要な要素であったことでしょう。
盛土によって人工的に造られた地形であることが一目でわかる平坦地が多く残っています。曲輪(くるわ)と呼ばれもので、この上に蔵や兵舎などが建っていました。
すぐ隣に見るも無残に削られてしまっている山が見えます。小倉山と言う名の山で、採石により既に三角点までもが失われてしまっています。どこまで削る気なんでしょう。
烽火台跡を過ぎるとすぐに、頂上らしき場所が現れました。津久井城山は二つのピークを持つ双耳峰となっており、そのうちの一つに飯縄神社が建っています。
年末年始の初詣に向けた準備なのか、清掃作業が行われていました。邪魔にならないように足早に通過します。
山頂の周囲をグルっと一周できる様に登山道が整備されており、飯縄神社との鞍部が十字路になっていましたす。ここからサクっと山頂を往復してきます。
これまた一目で人工的なものだとわかる掘削地形が現れました。堀切と呼ばれるものです。
普段は引橋と呼ばれる木橋が架かっていて往来ができるようになっていますが、合戦の時は橋を撤去して通れなくするためのものです。
登山道となっている現在は通りやすいようにステップがつけられてしまっていますが、当時はもっと深く切り立った空堀になっていたのでしょう。
これまでのものよりもひと際大きな曲輪地形が現れました。津久井城の主郭があった場所です。
10時50分 津久井城山に登頂しました。訪問前はボリューム的に物足りないの山なのではないかと思っていましたが、そんなことは全くなく見所が盛りだくさんでした。
山頂の様子
城の建物の痕跡などは一切残っていませんが、かなり広々とした曲輪地形が当時の姿をとどめています。どんな城が建っていたのかは、想像力を働かせましょう。
展望については、相模川の上流となる北西方向が大きく開けており、眼下に津久井湖が一望できます。
この場所に城が建っていた時代に、当然ながら津久井湖は存在しませんでした。当時はここからどんな光景が見えていたのか、今となっては想像するしかありません。
相模川の上流部に連なる山々も良く見えます。扇山(1,138m)と権現山(1,312m)の背後に、小金沢連嶺の山並みが連なっています。
山の上にある相模湖プレジャーフォレストの観覧車が凄い存在感を放っています。我々オッサン世代には、相模湖ピクニックランドと言う呼び名の方がしっくりときます。
足元の津久井湖上に、二つの橋が並んでかかっているのが見えます。三井大橋と呼ばれる橋で、この後下山後にあの橋を渡って高尾山方面へと向かう予定です。
4.城山から下り峰ノ薬師の入口へ
十分に満足したところで、鞍部の十字路へと戻って来ました。スタート地点の城山登山口へは戻らずに、ここから左折して反対へ下山します。
眼下に相模川に架かる新小倉橋が見えます。津久井地方への慢性的な渋滞を解消するために平成15年に作られた新しい橋で、ここからでは見えませんが旧小倉橋もすぐ右隣りのもっと低い位置に架かっています。
往路に乗って来た鳥居原ふれあいの館行きの路線バスは旧小倉橋の方を通るのですが、そこから眺めた新小倉橋の姿はかなり壮観で一見の価値があります。
山頂の下を一周するこの道は登山道と言うよりは公園のお散歩道のようなもので、実際に近所の住民だと思われる犬を連れた人が歩いていました。
小網口と書かれたルートから下山します。この小網と言うのは、城山の麓にあるかつての根小屋の一つです。
根小屋と唐突に言われても、おそらく多くの人には何のことやらだろうと思います。
山城と言うのは基本的に普段から山の上に人が居住しているわけではなく、城主の館や家臣の屋敷は山の麓に置かれています。それらの家屋の事を根小屋といい、山麓に根小屋を備えた山城のことを根小屋式山城と呼びます。
・・・とここまで語った内容は全て、山頂に設置してあった案内板に書かれたいた内容の受け売りです。
小網口の登山道には男坂のような急坂は一切なく、緩やかに九十九折れを繰り返す安心安全な道です。
山頂から30分とかからずに、あっけなく登山口まで下って来ました。本日1度目の下山が完了です。と言ってもこの後、さらにもう何山か登りますけれどね。
まだ新しい立派なバイオトイレがありました。臭いも全くなく快適そのもので、登山口に存在するすべての公衆トイレが範とすべきクオリティだと思います。利用者が多い場所だと、なかなかこうはいかないのか。
ここからはしばしの下道歩きです。街中を横断して、津久井湖の対岸にある峯の薬師入り口を目指します。
大井という交差点が現れたら、右折して津久井湖へ下りますへ。この写真は、大井交差点から城山を振り返って見たところです。
山頂からも見えていた三井大橋です。トラス橋と吊り橋が2つ並んで架かっており、なにやら奇妙な景観です。
トラス橋の方が車道になっており、吊り橋は歩行者専用です。この吊り橋は三井そよかぜ橋と言う名称で、もともと歩道がなかった三井大橋を歩行者や自転車が安全に渡れるようにするために、平成24年に作られました。
三井大橋の上から見た津久井湖です。津久井湖よりもさらに上流にある相模湖は大々的に観光地化されているのに対して、津久井湖の周辺は至って静かなものです。
対岸から振り返って見ると、城山の存在感が凄い。相模川の水上交通ににらみを利かせるのには、格好の場所だったことが良くわかります。
このまま道なりに進んでも目的地には到達できますが、坂を登り切ってすぐの交差点を右折すると、多少のショートカットが出来ます。
途中からは私道なのかと思うような幅員の狭い小道になりますが、ここであっています。確か道標などは無かったと記憶しています。
先ほどのバス通りと合流しました。津久井湖の北側は、南高尾山稜が川のすぐ近くにまで迫る地形となっています。そのため津久井湖の北岸を通る神奈川県道515号線は狭隘で、車両通行不能となっている区間もあります。
12時20分 峯の薬師の参道入口まで歩いて来ました。さらに少し右方向へ進んだ場所にバス停もあります。ここから南高尾山稜へと分け入って行きます。
5.津久井湖の傍らにある山中にひっそりと佇む古刹、峯の薬師
これから歩こうとしてる南高尾山稜とは、文字通り高尾山の南側に連なっている山々です。高尾山がある笹尾根との間に国道20号線が横切っており、大垂水峠で笹尾根と接続しています。
峯の薬師までは、参道らしく緩やかに九十九折れを繰り返す道が続いています。歩きやすい道ではありますが、その分ゆったりと標高を上げて行きます。
ゆるゆると20分ほど登ったところで、寺院の入口らしく石の階段が現れました。
境内には軽トラが停まっており、どうやら車でも入れる道が存在するようです。地面の落ち葉が綺麗に掃き清められており、こちらも年末年始の初詣に向けて着々と準備中でした。
正直なところ私はこの寺院をただの通り道程度に認識しており、何の事前知識も持ってはいなかったのですが、武相四大薬師なるものの一つに数えられている有名な古刹であったようです。
城山の山頂にいた時に、遠くからどこからともなく鐘の音が聞こえていたのですが、恐らくはこの峯の薬師の鐘です。
津久井湖を挟んだ向かいにある、津久井城山の姿が良く見えます。確かにこれだけ近ければ、鐘の音もよく聞こえることでしょう。
眼下に城山ダムの堤体が見えています。名前の由来は言うまでもなく、すぐ隣に立っている津久井城山です。
ダムの堰き止めによって相模湖と津久井湖が作られるよりも以前の時代の相模川は、現在よりも水量がずっと多く、上野原の辺りまでは大型船の往来が可能でした。
津久井から平塚まで、下りであればだいたい4時間もあれば着いたそうです。
先へ進みましょう。峰の薬師を過ぎて以降も、しばしの間ほぼ平坦な道が続きます。
道中に峯の薬師の奥の院だと言う建物もありますが、こちらは鉄筋コンクリート製の建物で古刹感は微塵にもなく、少々残念な感じがします。
南高尾山稜の稜線上まで登って来ました。ここからようやく登山道らしい道になります。
13時20分 三沢峠に到着しました。この先は南高尾山稜を辿るわけなのですが、過去に一度詳細にレポートしたことがある道なので、今回は軽めにさらっと流そうかと思います。
6.大垂水峠を目指して、南高尾山稜を足早に横断する
南高尾山稜は多少のアップダウンはありますが、全般的によく整備されていて歩きやすいトレイルです。と言う事で、足早にサクサクと参りましょう。
翌年が辰年であること見越してなのか、龍の姿が彫り込まれた木製のベンチがありました。というかこれ、何気に凄まじいクオリティです。
14時 途中をだいぶ端折りましたが、見晴台と呼ばれている地点まで歩いて来ました。南高尾山稜における、ほぼ唯一の好展望地です。
眼下に見えているのは道志川が津久井湖に合流する辺りの光景です。奥には丹沢の山々が連なっています。
いつの間にか天気の方はすっかりと回復し、大室山(1,587m)の隣にひょっここりと富士山が頭を覗かせていました。この様子なら、ダイヤモンド富士ンの方は問題なく拝めそうかな。
城山の山頂で少々ゆっくりとし過ぎたらしく、だいぶ時間が押して来ました。ダイヤタイムに間に合わなくなってしまっては元も子もないので、すこしペースを上げて行きましょう。
途中にいくつかの小ピークがありますが、巻き道がある所は全てすっ飛ばします。前に一度歩いているしね。
14時40分 大洞山に登頂しました。ご覧の通り展望は一切ない地味なピークです。ここが南高尾山稜の最高地点となります。
ここからは大垂水峠に向かって一度下ります。陽が傾ききつつあり、日影になる北側はすでに薄暗い状態です。
15時5分 大垂水峠に到着しました。国道の上を跨ぐようにして、歩行者専用の歩道橋が架けられています。一応は路線バスでも来ることも出来ますが、運行本数は少なく1日に3往復だけです。
もし時間に余裕があれば、津久井城山から小仏城山までを繋げる城山to城山をするつもりだったのですが、そんな余裕はなくなってしまいました。小仏城山はスキップして、このまま高尾山を目指します。
7.もみじ台からダイヤモンド富士を狙うも不発
大垂水峠から高尾山へ向かうには、学習の歩道と呼ばれている道を辿ります。なにしろ初めて歩く道だったのでルートが良くわからず、ここは右へ進むのが正解だったようなのですが、直進してしまいました。
どちらに進もうと最終的には笹尾根に合流します。多少遠回りになると言うだけです。
登山道に西日が差し込み始め、ダイヤタイムが刻一刻と近づきつつありました。
15時35分 一丁平まで登って来ました。まっすぐに高尾山を目指すのであれば別に立ち寄る必要もなかった場所ですが、まあ大した遠回りではないので良しとしましょう。何気にこの場所が、本日の行程における最高地点となりました。
一丁平から一度鞍部へと下ります。先ほどの分岐を間違わずに右へ進んでいれば、この場所に合流するはずでした。ここからもみじ台に向かって登り返すのですが、何気に結構しんどいです。
15時55分 もみじ台に到着しました。すでに大勢の人がダイヤモンド富士を待つためにスタンバイしていました。この様子では高尾山の山頂は相当混雑しているでしょうから、今回もここで待つことにしました。
早速富士山がある方角を覗いてみると、富士山のシルエット自体は良く見えているのですが、山頂の上に笠雲がかかってしまっています。それでも隙間からなんとか見えそうかな。
しかしダイヤタイムが近づくにつれて、笠雲だけではなく筋状の雲が富士山の上に覆いかぶさって来てしまいました。なんと言う空気を読まない雲なのだろうか。
そして迎えたダイヤタイムの16時14分。残念ながら結果は惨敗でした。まあ、こういう日もあるさ。
しかしそれにしても、本当に間が悪いとしか言いようのない場所に雲がかかっています。快晴のダイヤモンド富士を引き当てるのは、なかなか難しいものですな。
8.暗闇の中、高尾山口へと下山する
あとは帰るのみですが、せっかくここまで来たのだから一応は高尾山をピークハントしておきましょうか。
山頂にはダイヤモンド富士の余韻に浸る大勢の人がまだ残っていました。サンタ帽子の着用率がやけに高めなのは、やはりクリスマスイブだからか。
山頂標識の横をさも当然のように車が通り抜けて行く光景が見られるのは、日本広しと言えども高尾山ぐらいなものではないでしょうか。
周囲が真っ暗になってしまう前に下山しましょう。下山は安心安全の一号路を下ります。
ダイヤモンド富士が見られる期間限定で、ケーブルカーの運転時間が18時まで延長されています。なので最後はケーブルカーで下る気満々でいましたが、待ち行列が出来ているのを見て気が変わりました。このまま歩いて下ります。
夜間に照明が灯っているのは、薬王院からケーブルカー駅までの区間のみです。駅まで歩いて下るつもりの人は、ヘッドライトを用意しておきましょう。
スマホのライトだけで歩いている人を大勢見かけましたけれどね・・・ライトくらい持ってこいや。山をナメるなッ!
17時35分 高尾山口駅に到着しました。なんだかんだで結構な距離を歩きました。今日もたくさん歩いて大満足です。
京王高尾山温泉は相変わらずの大混雑だったので立ち寄らず、そのまま帰宅の途に着きました。
ついでのはずだった南高尾山稜歩きの方が尺が長くなってしまいましたが、津久井城山への訪問はこうして満足の内に幕を下ろしました。
純粋に登山の対象として見るとボリューム不足であるようにも感じられる津久井城山ですが、史跡としての見所は数多くあり、まる一日を費やして見て回るだけの価値がある場所です。山頂からの眺めも良く、たいへん魅力的な低山であると思います。
南高尾山稜を歩いたのは完全なる蛇足です。こちらはこちらで魅力的なトレイルではありますが、無理に津久井城山と繋げる必要は特に無いかと思います。高尾山口駅を起点にして周回した方が無難でしょう。
<コースタイム>
城山登山口(9:35)-津久井城山(10:45~11:05)-峰ノ薬師入口(12:20)-峰ノ薬師(12:45~13:05)-三沢峠(13:20)-見晴台(14:00~14:10)-大洞山(14:40)-大垂水峠(15:05)-一丁平(15:35)-もみじ台(15:55~16:20)-高尾山(16:30)-高尾山口駅(17:35)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
地元城山を魅力的に紹介してくださって感謝です。有り難うございました❗嬉しいです。
ほんざわだむ子さま
コメントを頂きましてありがとうございます。
小粒ながらも見所が満載なお山でした。桜並木が見事らしいと言う話も聞くので、季節を変えていつかまたお邪魔します。、
まさか同日にほぼ似たようなコース辿っている物好きがいるとは思いませんでした。
同様に城山登山口から入り、草戸山の方に抜けました。
津久井城山~峰の薬師は見どころが多くて面白いですよね、あと三井大橋からの風景も映えて良い感じでした。
U-leafさま
コメントをありがとうございます。
何故かクリスマスイブに津久井を舞台にして繰り広げられた、物好き達の宴と言ったところでしょうか。何の事前情報も無しに歩いたので、ダブルの三井大橋にはちょっと驚きました。
峰の薬師の「姿三四郎決闘碑」は御覧になりましたか?
高尾山から小仏城山を経て峰の薬師に至った折に、思いがけずこの碑を見て感動?しました。
小説の中では兄の仇として姿三四郎を狙う檜垣兄弟との決闘がこの場で行われた‥‥‥のだったはずで、姿三四郎にも西郷四郎なる実在モデルはいる由ですが、それにしても当時はどうやってここまで来たんかと思いながら津久井湖畔まで下りたのを覚えています。
貫徹さま
コメントをありがとうございます。
姿三四郎決闘碑には気が付きませんでした。そんなものがあったんですね。何の予備知識も持たずにただ通りかかっただけだったので…