山梨県早川町と静岡県静岡市にまたがる笊ヶ岳(ざるがたけ)に登りました。
白峰南嶺と呼ばれる、白根三山の間ノ岳より南に向かって伸びる尾根上にある、特徴的な姿をした双耳峰です。山頂付近はハイマツ帯になっていて展望が良く、山梨百名山と日本二百名山にも選ばれています。最も一般的な登山口である老平からの標高差は2,300メートルにも及び、容易には登ることの出来ない難関の山として名を馳せています。
苦難の末に辿り着いた山頂で待っていたのは、感動的な夜明けの光景でした。
2023年10月29~30日に旅す。
今回は山梨百名山の一つである笊ヶ岳に登って来ました。山梨百名山の中でも特に登頂難易度が高いとされている、通称四天王と呼ばれている中の一座です。
鋸岳と並んで四天王の中でも筆頭格の山として必ず名前があげられます。技術的な面での最難関が鋸岳であるとすれば、笊ヶ岳は要求される体力度において最難関となる存在です。
笊ヶ岳は南アルプス南部の白峰南嶺と呼ばれる尾根上にある、遠目からも目立つ特徴的な姿をした双耳峰です。相当山深い場所にあり、付近には山小屋もないことから容易には登れない山です。
日本百名山の著者である深田久弥がこの山に登ろうとしたが、途中で案内人兼歩荷に逃げられてしまい登頂を断念したと言うエピソードは、割と有名な話です。
道中は緩むことの無い急登に次ぐ急登が続きます。笊ヶ岳への登山口としては最も一般的な雨畑湖(あまはたこ)から登る老平コースの累計標高差は2,300メートルにも及び、往復の標準コースタイムは16時間をこえます。
それで結局のところ山梨百名山四天王の中で最強の山はどこなのかというと、これは人によって意見が割れており定説と言えるものは存在しません。
ここで一つの指標となりそうなのが、山梨山のグレーディングです。四天王のグレーディングを抜粋すると以下の通りです。
鶏冠山:西沢渓谷から往復で4D
笹山:奈良田からダイレクト尾根往復で5D
鋸岳:釜無川ゲートから往復で6D
笊ヶ岳:老平から往復で7D
笹山ダイレクト尾根には特に難所もなく、難易度がDの扱いなのは個人的にやや腑に落ちないところではありますが、グレーディングで判定するのならば、山梨百名山最難関の山は鋸岳ではなく笊ヶ岳であると言う事になります。
なお上記抜粋は、登頂が最も容易なルートでの比較です。鋸岳は甲斐駒ヶ岳から縦走した場合には8Eとなり、これは山梨山のグレーディングの中で最高難易度です。
自身にとって山梨百名山最後の一座となった笊ヶ岳。前評判に違わぬ困難を乗り越えた先には、南アルプス南部の山々を一望する大パノラマが広がっていました。山梨百名山シリーズ堂々の完結編をお送りします。
コース
老平(おいだいら)駐車場から笊ヶ岳を往復します。笊ヶ岳登山としては最も一般的であろう行程です。と言うよりは、老平ルート以外はおよそ一般向けであるとは言えません。
世の中にはこのルートを日帰りで踏破する豪脚の登山者も存在しますが、週末ゆるふわハイカーである私は無理はせずに、布引山で山中泊して一泊二日の行程で歩きます。
1.笊ヶ岳登山 アプローチ編 始発電車とタクシーで行く雨畑湖への遠き道程
10月29日 4時35分 JR三鷹駅
中央線の始発電車で行動を開始すべく、朝っぱらから自転車をこいで第2の最寄り駅へとやって来ました。テン泊装備が入ったザックを背負って自転車に乗っていると、重さでタイヤがパンクしてしまうのではないかという漠然とした不安感にかられます。
三鷹駅から高尾、大月、甲府と始発電車リレーを継投して行きます。過去に何度も辿っている行程なので、最早すっかり慣れっこです。
甲府駅で身延線に乗り換えます。乗り換え時間が2分しかない上に、身延線は交通系ICカードには対応していないので、あらかじめ目的地までの切符を購入してから乗車しましょう。
今回も甲府ダッシュは無事に成功しました。毎度のことながらヒヤヒヤとさせられます。
8時 身延駅に到着しました。身延町の中心であり、路線名の由来ともなっている駅です。
さてここで、笊ヶ岳の登山口である老平にアクセスする方法について少し解説をしておきましょう。乗り継ぎが少々面倒ではありますが、老平には公共交通機関を利用してアクセスすることが可能です。
まずは奈良田行きのはやかわ乗合バスに乗車して大島バス停で下車します。このバスは身延駅始発ですが、途中で下部温泉駅にも停車します。本数は1日に4往復しかなく、始発便は下部温泉駅7:26発で大島バス停に7:55に到着します。
大島バス停から今度は乗合タクシーに乗り換えます。こちらは事前予約制で、利用日前日の19時までに予約する必要があります。はやかわ乗合バスの到着に合わせた時刻表となっており、大島バス停8:00発で老平には8:10着です。
ここまで散々説明しておいてからはしごを外すようでなんですが、今回私はタクシーを利用しました。自宅最寄り駅からでは、始発電車を乗り継いでも下部温泉駅7:26発の始発バスには間に合わず、現地近くでの前泊が必要となるためです。
前泊の宿泊代金やら事前予約の手間やらを考えると、直接タクシーで乗り付けてしまった方が合理的だろうとの結論に達しました。
身延駅からではなく下部温泉駅からタクシーを呼んだほうが、料金はいくらか安くなります。ただし下部温泉駅にはタクシーが常駐していないため、事前予約が必要です。身延駅であれば駅前に常時タクシーがいます。
なにしろ今回の山行きは、山梨百名山四天王最強の山を相手にした最終決戦です。言うなればワーテルローであり、奉天会戦であり、ア・バオア・クーなのです。
余計な労力は極力使わずに、金で解決できる問題はすべて金で解決していきます。
タクシーは早川沿いの南アルプス街道をひた走り、途中から支流の雨畑川を遡ります。やがて車窓に干上がった湖底を晒した雨畑湖が見えて来ました。
雨畑湖は水力発電用の取水を目的として作られたダムですが、土砂の堆砂率が90%を超えて殆ど水が溜まらない状態となってしまったため、現在こうして土砂の撤去作業が進められています。
8時37分 老平駐車場に到着しました。身延駅からここまでのタクシー料金は8,600円でした。結構高くつきましたな。
駐車場には3台の車が駐車中でした。とりあえずは私の他にも入山者が居るようです。なお本日は日曜日で、明日は平日です。土曜日だともう少し込み合うかもしれません。
余談として、タクシーに乗った際に「老平まで行きたい」と言っても通じませんでした。身延駅から老平までタクシーで行く人はほとんどいないようです。「ヴィラ雨畑手前のY字路を右に入った場所」と説明してようやく通じました。
2.半崩壊状態の道をゆく、広河原への道程
8時40分 身支度もそこそこに本日の行動を開始します。まずは林業用に作られた作業道を辿って、広河原と呼ばれる地点を目指します。
歩き始めは砂利舗装の林道が続きます。この道への一般車の立ち入りは禁止ですが、車道して維持されており、林業関係者の車両の出入りはあるようです。
明日下山後この道を逆向きに歩いている時は、きっとズタボロの満身創痍状態になっているんだろうな・・・
前方に初日の目標地点である布引山が見えるはずなのですが、生憎と濃厚なガスに覆われていました。なお本日は、曇り時々雨と言う予報となっております。
本命はあくまで登頂予定の明日なので、本日は天気にあまり一喜一憂せずにとにかく前へ進みましょう。
有名な素掘りのトンネルが現れました。ヤマレコなどで笊ヶ岳の記録を見ると、必ずと言ってよいほど皆このトンネルの写真を投稿しています。もっと林道入口のすぐ近くにあるのかと思いきや、意外と奥へ進んだ地点にありました。
崖際の結構際どい場所に道が続いています。いかにも南アルプスの山らしい深く険阻な谷の様子に、これから歩む道の前途が思いやられます。
やがてY字路が現れますが、ここは道標の導きに従って右へ進みます。
9時20分 林道終点まで歩いて来ました。ここから先は山道となりますが、本格的な登りが始まるのはまだ先で、もうしばらくの間はあまり標高差が無い谷沿いの道が続きます。
まだ登山道に入って早々ですが、幅の狭い半崩壊気味の道になりました。崖に向かって斜めになっている場所もあり、通行に際してはなかなか神経を使います。
立派な石垣が積まれて何軒かの家屋がありました。崩れかけの細い山道を進んだ先にこんな光景があろうとは、意外な感じがします。
もともと人の住まう集落だったのか、はたまた山仕事のための作業小屋だったのかはわかりませんが、現在は使用されている様子もなく廃屋化が進行しています。
廃屋の先へと進むと、再び谷沿いをゆく崩壊気味の道に戻りました。今のところは通行に支障のある場面には遭遇しておらず、やや荒れ気味な普通の登山道と言ったところです。
崩壊気味を通り越して、完全に崩れてしまっている場所もありました。足元はやわらかい砂地で、足を乗せた矢先からサラサラと崩れてれて行きます。一歩一歩足元を確かめながら、慎重に通過します。
谷の奥へ進むにつれて険しさは増して行き、なかなかお金がかかっていそうな厳つい造りの鉄製の橋がかけられていました。今歩いているこの道はもともとただの登山道ではなく、林業用に作られた作業道を前身としています。
道は本流の谷からは外れて、支流のタケ沢の谷へと入りました。程なく前方に吊り橋が見えて来ました。
南アルプスの山中でよく見かけるタイプの吊り橋です。観光地にあるような安心安全な吊り橋とは違って、踏板には人一人分最低限の幅しかなく、なかなかスリリングです。
ここはもともと鉄製の橋が架かっていたようですが、崩落してしまっており、ハシゴを使って上り下りします。
黒部渓谷の水平歩道みたいな道になってまいりましたぞ。と引き合いに出しておいてなんですが、下ノ廊下は一度歩いてみたいと思いつつも未だに訪問が叶っていません。
一か所だけ完全に道が崩れている個所がありました。大股で跨げば通過可能な幅ですが、草に隠れていて少々見えずらいので注意を要します。よそ見ダメ絶対。
谷底まで百メートルくらいはあるのかな。足を踏み外したら最後、滑落ではなく墜落します。
続いて今度は大規模な崩落地のザレ場を通過します。道は完全に呑み込まれてしまっていますが、瓦礫の上にしっかりと踏み跡がつけられていました。
ザレ場から路盤上に復帰する地点が、なかなか際どい状態になっていました。お助けロープが垂らされていましたが、いつだれが張ったものとも知れないので、ロープには頼らず慎重に這い上がります。
急登のキツさばかりが語られがちな笊ヶ岳ですが、広河原までの区間は割と殺意が高めの道が続きます。体力勝負の山であるイメージがありますが、技術的な面での難易度も決して易しくはありません。
続いて再び鉄の橋が現れました。一見すると何事もなさそうに見えますが・・・
正面にまわってみるとこの通り。右側の桁が完全に落ちてしまっており、片側だけで辛うじてかかっている状態でした。地形的に迂回は難しいので、何とかしてこの橋を渡るしかありません。
攻略方法ですが、この生き残っている方の桁の上を横向きにカニ歩きで移動します。幸いにもこの手すりはガタツキも無くしっかりとしているので、ある程度は体重をかけても大丈夫です。
しかしこの壊れ方は、落石が直撃でもしたのだろうか。今現在この道が林業に用いられている様子はなく、この橋が完全に落ちてしまった時に、果たして修繕がなされるのかどうかは未知数です。
今はかろうじて通行可能ですが、いつか通行不能となる日がやってくるかもしれません。老平からの笊ヶ岳登山を考えている方は、早めにに訪問した方が良いかもしれません。山は逃げます。
眼下の彼方に見えていた沢が、いつしか道とほぼ同じ高さにまで登って来ました。ここまで来ればもう際どい場所はありません。
10時40分 広河原に到着しました。どこかで聞いたことがある様な地名ですが、残念ながら甲府駅直通の路線バスが乗り入れていたりはしません。
ここまで歩いて来ただけでもう既にだいぶ神経がすり減っていますが、実のところ広河原までの道程は笊ヶ岳登山における準備運動の段階でしかありません。
四天王最強の山がその本性をあらわにして牙をむくのは、ここから先の事です。
沢の対岸へ移動する必要がありますが、当然橋などはかかっていないので渡渉します。水量によっては靴を脱いで渡る必要がありますが、晩秋の時期ともなると水は少な目で、飛び石伝いに難なく渡れました。
水を取れるのはこの沢がラストとなります。翌日の分も含めた必要量を確保しておきましょう。沢水なので、気になる人は浄水器を用意してきてください。
私は気にせずにプラティパスに詰めた生水を翌日もそのまま飲みましたが、その後特にお腹が緩くなったりはしていないので、たぶん飲んでも大丈夫です。
3.ひたすら急登が続く、桧横手山への苦難の道程
渡渉地点から先の取り付きはちょっとわかり難いです。目印のピンクテープがあるので周囲をよく観察してください。ここから先は緩むことの無い急登が最後まで続きます。覚悟を決めたら歩き始めましょう。
登り始めの部分は急勾配過ぎるため流石に直登はできないと見えて、大きなスパンの九十九折れを繰り返しながらジグザクと登ります。この付近の地図を見ると、思わず笑ってしまいそうなるような等高線の密度です。
最初の九十九折り地帯を抜けると、後はひたすら尾根沿いを忠実に辿る道となります。初っ端から踵がいたくなるような容赦のない急登ですが、こんな感じの登りがこの後6時間くらい延々と続きます。いや、本当に。
11時45分 山の神まで登って来ました。広河原の先に現れる最初のチェックポイントと言ったところです。この付近では数少ないザックを落として休憩するのに適している場所なので、今のうちにしっかりと呼吸を整えておきましょう。
山の神を過ぎると、お待ちかね(?)の急登が再開です。落ち葉の堆積により、踏み跡が少々わかり辛い状態でした。基本的には尾根を忠実に辿れば良いだけです。
ここでパラパラと小雨がぱらつき始めました。今のところは樹林を突き抜けてくるほどの雨脚ではないため、レインウェアは羽織らずにそのまま行動を続けます。
雨雲はちょうど白峰南嶺の稜線上に発生しているらしく、背後には晴れ間が広がっており、いつの間にか世界遺産のアイツが頭を覗かせていました。
滑車とワイヤが山中に放置されていました。相当山深い場所でありながらも、こうして人の手が入っていた痕跡が多く残されています。
紅葉前線がある標高まで登って来たらしく、周囲の森の光景が色鮮やかになって来ました。まるで狙いすましたかのようにタイミングよく雨も上がり、陽が差し込んできました。
笊ヶ岳は特に紅葉の名所であるとされている山ではなく、何の期待もしてはいなかったので、これは嬉しいサプライズでした。急登に滅入りそうになっていた気分も、これで多少は上向こうと言うものです。
この付近で本日初めてとなる、他の登山者とすれ違いました。その時に聞いた話では、山頂付近には少し雪があるらしい。
先ほどから残置ワイヤがやたらと多く目につきます。かつてはそれだけ盛んに伐採が行われていたと言う事なのでしょうけれど、伐採後は手入れに手間のかかる杉林化はせずに、自然に任せて放置したのでしょうか。
続いて今度はカラマツ林に変わりました。急登であるがゆえに短時間で目まぐるしく標高が上がって行き、森の光景も絶え間なく変化します。
と、あたかも何事もなく淡々と登り続けているかのように書いていますが、徐々に疲労で足が前に出なくなって来ましたぞい。
カラマツ林の領域はあまり長くは続かず、今度はガラッと雰囲気が変わって、周囲は苔生すコメツガ林へと変わりました。いよいよ亜高山帯の領域に入ったようです。
いやしかし本当に、登っても登っても全然先が見えないのですが。一体どうなっているんだこの山は。覚悟していた事とは言えども、やはりきついぞ笊ヶ岳。
前述の通り、老平ルートの累計標高差は2,300メートル少々あります。唐突に2,300メートルと言われてもあまりイメージが湧かないかもしれませんが、高尾山稲荷山コースの標高差がおよそ400メートルくらいです。
だいたい高尾山6個分くらいであるといえば、笊ヶ岳の標高差のエグさ加減が伝わるでしょうか。
良い感じに息も絶え絶えになってきたところで、ようやく一息つけそうな平坦地まで登って来ました。
14時25分 桧横手山に登頂しました。布引山の手前にある小ピークです。やっとこさ2,000メートルを越えましたか。本日のゴール地点である布引山の標高は2,600メートル近くあるので、まだまだ先は長い。
桧横手山の山頂の周辺には、テントを張れそうなフラットなスペースが数か所あります。一日で布引山まで一気に登るのは体力的に厳しいと言う人は、ここを初日のベースキャンプ地とするのが良いかと思います。私も今日はここまでにしたいなー
4.笊ヶ岳の前に立ちはだかる関門、布引山
15分程休憩し、いくらか元気を取り戻したところで行動再開です。桧横手山からは鞍部に向かって一度少し下ります。それはすなわち、明日の下山時にはここで漏れなく登り返しが付いてくると言う事です。
ここまで登って来て、ようやく笊ヶ岳の山頂を視界に捉えました。ここから直接登ることはできず、一度布引山の山頂を経由する必要があります。
日本百名山の作者である深田久弥は、笊ヶ岳に登ろうとしたものの、途中で案内人の歩荷に逃げられてしまい登頂を断念しています。この時もし仮に登頂していたとしたら、この山を日本百名山に選んでいただろうか。
百名山になっていれば登山道も今よりしっかりと整備されていただろうし、桧横手山の鞍部辺りに避難小屋の一つも建っていたやもしれません。
鞍部を過ぎると、待っていましたとばかりに急登が再開しました。・・・やっぱりこの山は、日本百名山には選ばれなくて正解だったと思います。
先ほど降った雨は山の上の方では雪になっていたらしく、登山道上に白いものがチラホラと目につき始めました。登る分にはともかく、下山時にはかなり滑りそうです。
陽が傾いて森の中に西日が射し始めました。朝からずーと登り続けていると言うのに、いまだに終わりが見えて来ません。何とか日没前までには布引山までたどり着きたいのだけれどな。
崩落地が現れて、ここで初めて展望が開けました。方角的には青薙山(2,406m)や大無限山(2,330m)などの南アルプス深南部の山が見えるはずですが、雲が多めでよくわかりません。
崩落地のフチに沿って道が続いていますが、一部が泥の滑り台状態になってしまっており、ちょっと登れそうにもありません。
と言う事で、崩落地から見て右側の斜面へ迂回します。こちらもかなりの急勾配で決して安心安全とは言えませんが、崩落地から滑り落ちるよりはマシでしょう。
広河原を出発してから間もなく6時間が経とうとしているところで、ようやく山頂が見えました。
16時50分 布引山に登頂しました。桧横手山の鞍部一帯を除けば、本当にノンストップで登りっぱなしの道程でした。流石に標高差2,000メートル越えは甘くはありませんでしたな。
布引山の山頂から笊ヶ岳方向に少し進んだ地点に、幕営適地があります。翌日は平日であることもあってか、先客はおらず貸し切り状態でした。
万が一ここが満杯だった場合は、この先の笊ヶ岳との鞍部一帯や、笊ヶ岳の山頂手前にもテントが張れそうな平坦地が存在します。もっとも、この山がそんな大勢で賑わうことはそう滅多にはないでしょうけれど。
陽が沈むなり急激に気温が下がって来ました。一刻も早くシュラフに包まって暖を取るべく、手早く今宵の我が家を設営します。
やはり相当な疲労がたまっていたらしく、横になるなりあっという間に眠りが訪れました。明日はどうか晴れてくれますように。おやすみなさい。
5.笊ヶ岳登山 登頂編 遂に迎えた大団円、山梨百名山最後の頂へ
明けて10月30日 4時50分
満月の月明かりが煌々と山中を照らす中、ヘッドライトを装着して二日目の行動を開始します。日の出時刻である6時までに登頂し、山頂でご来光を迎えようと言う算段です。
今日は私にとって、記念すべき特別な一日になるはずです。これまで折を見てはちょくちょくと山梨県へ出向き山梨百名山に登って来ましたが、今から登ろうとしている笊ヶ岳は最後の一座です。
鞍部に向かって一度しっかりと100メートル近く下ります。私は泊まりだからまだいいですが、日帰りで歩いている人は、布引山から笊ヶ岳へ至る最後の区間の登り返しで、ボッキリと心をへし折られるのではなかろうか。
下りきった後に待っているのは当然ながら登り返しです。笊ヶ岳は布引山よりも僅かに標高が高いので、下ってしまった分プラスアルファを登る必要があります。
私が山梨百名山の完登を漠然とした目標として意識するようになったのは、いまからおよそ5年くらい前の事です。最初の切っ掛けは本当に些細な事でした。
山梨百名山の標柱を割とよく目にしている気がするけれど、どれくらい登っているのだろうかとふと気になって数えてみたら、その時点で50座に登頂していることが判明しました。
既に半分登っているのなら、せっかくだから全部登ってみよう。
とまあそんな具合に、実に軽い気持ちで始めた事でした。日本百名山の完登を目指すとなると、南は屋久島から北は利尻島にまで出向く必要が生じますが、山梨百名山ならば山梨に行けばよいだけであるし。
それがよもや、そもそもどこから登ったら良いのかもよくわからないような僻地の山が、ごまんと待ち受けていようとはつゆ知らずに。特に甲斐南部の山は・・・
前方にこんもりと笊ヶ岳の山頂が見えて来ました。ここまでずっと樹林帯の中を登って来ましたが、山頂まで行けばしっかりと展望があります。
山頂の手前にちょっとした富士山のビュースポットがありました。既に東の空がオレンジ色にやけ始めており、日の出の時間が近づきつつありました。
いよいよ山頂直下最後の登りです。これまでに登って来た山梨百名山の思い出の数々を噛み締めつつ、一歩一歩登ります。
山頂手前にある、小笊方面への分岐地点まで登って来ました。ここにもテントが張れそうなスペースがあります。
5時50分 山梨百名山100座目、笊ヶ岳に登頂しました。登頂の瞬間に胸に込み上げてきた想いは、やり切ったと言う達成感ではなく、もうこれで終わってしまったのだと言う喪失感でした。
6.笊ヶ岳山頂から望むご来光と、南アルプス南部の大展望
日の出までは残すところあと10分少々です。その瞬間が訪れるのを待ちましょう。しかし動かずにじっとしていると、ありえないくらいに寒いんですけれど。
笊ヶ岳は二つの頂を持つ双耳峰で、富士山のちょうど手前に見えているのが、もうひとつの山頂である小笊ヶ岳です。このまるで子抱きしているかのような姿が、笊ヶ岳から見た富士山の最大の特徴です。
彼方に駿河湾が見えます。最大ズームで覗くと沼津アルプスらしき山並みや、その背後には伊豆大島らしきものまで見えています。
甲府盆地の街の灯りは既に消えており、夜明け直前の静寂が空気が漂っていました。
あまり意識したこともありませんでしたが、笊ヶ岳の山頂から甲府盆地がこれだけ良く見えると言う事は、反対に甲府盆地からも笊ヶ岳が見えていると言う事です。今度行ったときに、よく探してみることにしましょう。
富士山があるのとは反対の西側には、南アルプス南部の名だたる名峰たちが勢揃いしていました。左から順に赤石岳(3,120m)、荒川岳(3,141m)および塩見岳(3,047m)です。
続いて視線を少し左に動かすと、正面に聖岳(3,013m)と上河内岳(2,803m)が並び立ちます。南アルプス南部の山々は一つ一つが重量級で、何れも迫力があります。
ここからだと見えませんが、正面の谷底には笊ヶ岳への静岡県側からの登山口である椹島ロッジがあります。椹島スタートだと笊ヶ岳山頂までの標高差は2,000メートル少々となり、老平から登るよりはやや短くなります。
富士山の裾野の一部が輝き始めました。なるほどそこから昇って来るのか。
そして迎えた日の出の時刻。雲一つない快晴の空のもと、最高のご来光を見せてくれました。山梨百名山の完登を飾るのに、これほど完璧なフィナーレが他にあるでしょうか。やばい、泣きそう。
あれほど寒々しかった山頂が、暖かい日の光に満たされて行きます。毎度の事ながら、太陽すげえ。
子抱きならぬ小笊抱き富士の夜明けです。そうそう容易に拝める光景ではないので、よくよく目に焼き付けておきましょう。
それではあらためて、周囲の山々をじっくりと眺めてみましょう。こちらは荒川岳です。三つの頂を持つことから荒川三山とも呼ばれており、最高峰の荒川東岳は別名で悪沢岳ともいいます。
こちら赤石岳です。南アルプスと呼ばれている山脈の正式な名称は赤石山脈であり、この山の名前から来ています。南アルプス主峰の名に恥じない、堂々たる姿をした大柄な山です。
聖岳と上河内岳です。聖岳は3,000メートル峰の中では最も南に位置しています。南アルプス南部の山の中では比較的登りやすい山ですが、とは言ってもあくまでも比較的にです。
上河内岳の先には南アルプス深南部の山々が連なります。山小屋もなにも無いもない玄人向けの藪山が数多くひしめく、魔境のよう山域です。
続いて反対の北側の展望です。白根三山へと続く、白峰南嶺の山並みが連なります。
中央の尖った山が北岳(3,193m)かな。バットレスのある方から見た時とはかなり印象が異なる姿をしています。
これは塩見岳です。アクセス自体が困難を伴う山が多い南アルプスの中では、比較的アプローチがしやすい方に部類される山です。ここでもやはり、あくまでも比較的にですが。
こちらは鳳凰三山(2,840m)です。地蔵岳のオベリスクらしきものも辛うじて視認できます。
櫛形山(2,052m)などの南アルプス前衛の山々の背後には、奥秩父山塊の山並みが連なります。こうして遠くから見ると、何気に小川山の存在感が凄い。
東側には御坂山地や、遠くには丹沢の山並みまでもが見えます。しかし今の時間帯だとモロに逆光になるので、こちらは少々イマイチな感じがする光景です。
前評判通りの素晴らしき展望を存分に満喫しました。名残惜しくはありますが、ボチボチ撤収に移りましょう。
7.布引山へ引き返し、一夜の宿を引き払う
6時40分 山頂を辞去して下山を開始します。何やらすでに達成感で満たされそうな気分になっていますが、もと来た道をこれから帰らなければいけない以上、現状はまだ道半ばに過ぎません。家に帰るまでが笊ヶ岳です。
正面に布引山の姿が見えています。朝の内は暗かったのでよく見えていませんでしたが、こんなに一度ガッツリと下っていたのですね。
気乗りはしませんが、道ががそうなっている以上は仕方がありません。鞍部に向かって再び下ります。日陰にはしっかりと昨日の雪が残っており、下りだと少々嫌な感じがします。
鞍部の地点で標高は2,500メートルであると言う事なので、やはり100メートル以上はしっかりと下っていました。
先ほども一度述べましたが、この鞍部の一帯にもテントが張れそうな平場が何ヵ所かあります。布引山が満杯だったときに幕営地の第二候補にはなるかと思います。
約束されていた布引山への登り返しです。テントは置いてきているから荷物はかなり軽くなっているはずなのに、それでもやはりしんどいものはしんどい。
7時45分 布引山まで戻って来ました。一夜を過ごした我が家を引き払って撤収します。
夜は相当気温が下がることがあらかじめ分かっていたので、シュラフは冬用のダウンハンガー#1を持ってきました。
そのおかげで昨夜は暖かく快適に過ごすことが出来た訳なのですが、このかさばるシュラフを45Lのザックにパッキングするのはやはり少々無理があり、詰め込むのに一苦労しました。これはバルトロ65を出動させるべきであったのかもしれない。
なおガスストーブを入れるスペースは無かったため、食事はシリアルバーとドライフルーツのみです。
だいぶ苦戦しつつ、何とか撤収作業が完了しました。さあここからは、怒涛の下山行が始まります。
8.笊ヶ岳登山 下山編 2,000メートル超の標高差を再び舞い戻る
前日はそそくさと通り過ぎましたが、あらためまして布引山の山頂です。この山を目的に登ってくる登山者は存在せず、笊ヶ岳への通り道扱いされているある意味不遇な山です。
山頂は樹林に覆われていますが、一応はちょこっとだけ展望があり、谷向いの聖岳と上河内岳が見えます。
昨日は雲が多くてイマイチだった崩落地からの眺めも、本日はこの通りバッチリです。深南部の山々を一望できます。
お隣の青薙山の存在感が何気に凄い。笊ヶ岳以上に輪をかけて訪れる人の少ない静かなる山です。
ここからしばしの間、薄く雪が積もった急斜面の下りとなります。滑らないようにゆっくりと慎重に参りましょう。
・・・などと言った矢先ですが、この写真を撮った直後に見事に転んで石の上に尻もちを付き、しばしの間悶絶しました。よそ見ダメ絶対。
思わぬところでケツに大ダメージを負ってしまいましたが、何とか雪の無い標高まで下りて来ました。依然として急坂であることに違いはありませんが、多少は歩きやすくなりました。
約束されていた桧横手山への登り返しです。累計標高が大きいことで知られる笊ヶ岳ですが、道中のアップダウンは実はそれほどなく、帰路の登り返しは布引山と桧横手山の二か所だけです。
10時5分 桧横手山まで下って来ました。今のところは特段早くも遅くもないペースで順調に下ってきています。
私の過去の山行きの中で一日に下った標高差として最大だったのは農鳥岳から奈良田へ下山した時で、その時の標高差は2,200メートルでした。
本日はそれを上回る2,300メートルを一気に下ろうとしている訳ですから、あまり足に過度な負荷がかからないように、適時休憩を挟みながらゆっくりと下ります。
順調に標高を下げて、再び紅葉ゾーンの中へと飛び込んで行きます。
油断していると今度は枯れ葉に足を滑らせて転倒しかねないので、紅葉を眺めるときはしっかり立ち止まってから鑑賞しましょう。
昨日のどんよりした空模様とは打って変わって、本日は快晴の秋晴れです。やはり紅葉は、陽の光に照らされているほうが断然映えます。
昨日も見かけた残置ワイヤーの脇を通り抜けます。急坂ゆえに、昨日の苦労が嘘のように短時間でどんどん標高が下がって行きます。
山と高原地図上だとこの下りの区間のコースタイムはやたらと短く設定されています。この枯れ葉が積もった急坂をそんなハイペースで駆け下ったら、絶対に転倒して谷底に転げ落ちると思うのですが・・・
山と高原地図の標準コースタイムというのは、年齢が40~50代くらいの人のペースを基準にしているとのことですが、笊ヶ岳のコースタイムを計測した40~50代の人は、トライアスロンの選手か何かだったのだろうか。
正面に七面山らしき山が見えます。笊ヶ岳には及ばないものの、あちらも標高差がなかなかキツイ山でしたな。早川の流域にある山々は基本的にどこも急峻で、標高差も大きい傾向があります。
11時50分 山の神まで下って来ました。昨日ここを通過したのが確か11時45分頃だったので、ほぼ24時間ぶりに戻って来た事になります。
広河原に向けた最後の下りです。ひたすらジグザグと九十九折れが続く急坂です。登る時は別段何とも思いませんでしたが、下りだと急勾配過ぎて結構怖いです。
轟々と川が流れる音が聞こえて来ました。ああ、やっとこの急坂から解放される。
12時40分 広河原まで戻って来ました。ゴールまだ先なのですが、それでも何となく戻ってきた感があり安堵を覚えます。
この先にもまだ危険な箇所は残っていますが、ひとまず急な下り坂はもうありません。のんびりと参りましょう。
落ちかけの橋を再びカニ歩きで通過します。攻略法は既に判っているのだから、後はそれを丁寧になぞれば良いだけです。
吊り橋まで戻ってくれば、もうこれと言った危険個所はありません。
13時45分 林道終点まで戻ってきました。一般車は立ち入り出来ないはずのエリアですが、どうやら狩猟関係者のものらしい車が一台停まっていました。
あとは車も通る道をひたすら歩いて戻るのみ。もっとボロボロのヘロヘロ状態になっているかと思いきや、まだ意外と元気は残っていました。
もっとも、筋肉痛はその後一日遅れでやって来ましたがね。私ももう若くは無いんだよな。
背後を振り返ると、布引山らしき山の姿が見えていました。あそこから一気に下って来たのだと思うと感慨深い。
14時25分 老平に戻って来ました。車でお越しの人にとっては、達成感で満たされる瞬間であることでしょう。残念ながら私はまだもうちょっと歩かなくてはなりません。
乗合タクシーの停留所は駐車場の向かいにあり、帰路の便を予約していればここから乗車可能です。今回私は下山が何時頃になるのか全く読めなかったため、帰路の予約もしていません。帰りもタクシーを呼びます。
ここからさらに少し下った場所にあるヴィラ雨畑と言う施設で日帰り入浴が可能なので、そこまで歩いて行きます。老平駐車場からは徒歩15分くらいの距離です。
土砂の撤去作業中の雨畑湖を横目に見ながら下って行きます。まったくそうは見えませんが、ここも本来は湖の一部であるはずの場所です。
14時40分 ヴィラ雨畑に到着しました。宿泊も可能な温泉施設です。笊ヶ岳に日帰りでチャレンジしようと言う人は、ここに前泊するのも一つの手だと思います。日帰り入浴の料金は700円なり。
ヴィラ雨畑の前にも乗合タクシーの停留所があるので、帰路はここから乗車する予約を入れておけば、温泉で時間調整もできてスムーズであると思います。
平日の日中だけに他の客はおらず、貸し切り状態でした。ゆったりと風呂に浸り、二日間分の疲労をいくらか回復することが出来ました。
ヴィラ雨畑の庭から、布引山の姿が良く見えました。残念ながら角度的に笊ヶ岳の姿は見えません。
前述の通り帰路の乗合タクシーは予約していないで、電話でタクシーの配車を依頼します。帰りは身延から呼ぶよりも、七面山の登山口近くに営業所がある地元の角瀬(すみせ)タクシーを呼んだ方が早くやって来ます。
依頼した際に20分くらいかかると言われましたが、実際は10分少々で迎えが来ました。
行きも帰りもタクシーを使うと言う贅沢をしてしまいましたが、無事に下部温泉駅まで戻って来ました。帰路のタクシー料金は6,800円でした。
ちなみに乗り合いタクシーとバスを乗り継いだ場合の料金は、合計で600円です。ふむ、10倍以上の差ですか。やはりせめて帰路だけでも乗合タクシーを予約しておくべきであったかもしれない。
鈍行列車がいない時間帯に行き当たってしまったため、タクシーに続いて今度は特急ふじかわを奮発すると言う贅沢をしつつ、帰宅の途につきました。
一つのライフワーク的に通い詰めていた山梨百名山でしたが、こうして無事に完登し大団円を迎えることが出来ました。よりにもよって一番厄介そうな笊ヶ岳が一番最後に残ってしまっていた訳なのですが、フィナーレを飾るにはふさわしい一座であったと思います。
山梨百名山の最難関は鋸岳なのか笊ヶ岳なのかについては、色々と意見が割れているようですが、両方登ったうえでの私の感想としては、笊ヶ岳の方が総合難易度は上であると感じました。
林道終点から広河原に至る道は割と危険度が高めであり、何よりも要求される体力度が桁違いに大きいです。笊ヶ岳は誰にでも気軽に登れる山ではありません。登るものを選ぶ山です。
苦労の先に待っている展望は圧巻で、南アルプス南部の一帯を見晴らす絶好の展望台です。決して安易に人に勧められるような山ではありませんが、百名山の名に相応しい文句なしの秀峰であると思います。
<コースタイム>
1日目
老平駐車場(8:40)-林道終点(9:20)-広河原(10:40~11:00)-山の神(11:45)-桧横手山(14:20~14:35)-布引山(16:50)
2日目
布引山(4:50)-笊ヶ岳(5:50~6:40)-布引山(7:45~8:30)-桧横手山(10:05)-山の神(11:50~12:10)-広河原(12:40~12:50)-林道終点(13:45)-老平駐車場(14:25)-ヴィラ雨畑(14:40)
長々と最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コメント
山梨百名山登頂達成おめでとうございます!最後に待ち構えるボスキャラをついに倒しましたね!山頂ではその偉業を祝福するような素晴らしい天気と光景であったと思います。
まさに記念になる一日でしたね。
しょうへいさま
コメントをありがとうございます。
まさしくラスボスと呼ぶのにふさわしい威容の山でした。登った直後は1度でもうたくさんだと思っていたのですが、喉元を熱さが過ぎた今では「ランカン尾根ルートはどんな感じなのだろう」と性懲りもなく調べ始めている今日この頃です。
山梨百名山達成おめでとうございます。
数カ月前にこのブログを知って以来,いつも楽しく読ませて頂いております。特に剱岳の記録は大変参考になりました。これからも記事を楽しみにしております。
yamanopapaさま
コメントを頂きましてありがとうございます。
山梨百名山は完結しましたが、山行きの記録はこれからも投稿して行くのでまたご気軽にご訪問ください。
オオツキ様
山梨百名山登頂おめでとうございます。
登頂された日は晴天で「この日に登山している人は勝ち組だな」と思ったのを覚えているくらい良い天気でしたね。
しかし、すべての山を登り切った感想が「喪失感」とは意外でした。
次の目標は何ですかね???
もうもうさま
コメントをありがとうございます。
次はどの山梨百名山に登ろうかと考えるのが日常の一部となっていたので、今はぽっかりと空洞が出来てしまった気分です。
次は信州百名山にしようかとも考えましたが、長野は距離的に山梨ほど気軽に行ける場所でもないので、次の目標はおいおい考えて行こうかと思います。
山梨百名山完登おめでとうございます!
最後のお写真、笑顔がキラリ!輝いてますね。
私は山梨百名山なるものを、まさにこのブログで知りました。さすが山梨!県内に名山が百も揃うとは!と感心しましたが、なるほどドマイナーな山々もかなり入ってるのね…と、記事のおかげでわかってきた次第です笑
「親の顔より見た信玄像」と以前おっしゃってましたが、ホントに。
これからもお怪我なく、ご安全に、いろいろな山行記事をぜひお願いします。楽しみにしております。
AKさま
コメントをありがとうございます。
山頂での記念撮影はことさらに歯を見せて笑ってみました。
春日山とか源氏山とか山梨百名山に選ばれていなかったら、恐らく登ることは無かったのだろうなと思うような微妙な山もありましたが、全部ひっくるめて良い思い出になりました。今年も残りわずかですが、なにか新たな目標を模索していきたいと思います。
おめでとうございます。いろんな山行を拝見しており、ついに山梨百名山のフィナーレを見届けることができてとても嬉しく思います。
自分が登ったような気持ちになれる日記はここだけなので、これからも楽しみにしております。
ゆうやさま
コメントを頂きましてありがとうございます。
山梨百名山編は完結しましたが、次のシリーズ(?)にこうご期待ください!
山梨100踏破おめでとうございます
毎回楽しみに読ませていただき、私も公共交通機関利用のため、山行の参考にさせていただいております
今後の展開も楽しみにさせていただきます
shinpeiさま
コメントを頂きましてありがとうございます。
今後も公共交通機関を利用した山行きにトコトンこだわっていきます。ご期待ください。
二度目まして、です。偉業達成、おめでとうございます! 私は先月、太刀岡山・黒富士・曲岳を一気に登頂したことで、山梨百名山の登頂達成が72ヶ所に至りました。ただ、技術・体力・アクセス等の事情により、山百四天王と南西部の静岡県との境の山々は初めから放棄してます。ゆえに、コンプリートを成し遂げたオオツキさんは本当に凄いと思います。自分の場合、残っている山百の中から行けそうな山を吟味して、80座超えを果たせれば良いかな、と思ってます。そして、コンプリートを果たした時に込み上げるのは達成感でなく、喪失感というのもわかる気がします。
「山は逃げます」…本当にそうですね。崩壊、土砂崩れ、噴火、噴煙…。箱根は噴煙がかなり収まっているというのに、神山(三百名山)のコースはいまだ閉鎖中。YAMAP見ると、荒れた道を進んで登ってる人も結構いるようですが。秋に遠征しようと思っていた伊吹山が7月に道が崩壊したことで登山禁止となり、復旧までかなり長い期間を要するというのが残念です。8月に木曽御嶽山の9年ぶりに復旧したコースを歩けたりもしたので、諦めずに待とうと思いますが。
次の目標は関東百名山あたりでしょうか? 信州百名山やぐんま百名山は、確かにかなり交通費がかかりますよね。京王線ユーザーにとってはちょっと遠いけど、栃木百名山も良いですね。いずれも、もうすでにかなりの数を登っていらっしゃると思いますが、今後も楽しみにさせていただきます。ともあれ、お疲れ様でした、そして、おめでとうございます。
Taka High Dohさま
コメントをありがとうございます。
少子高齢化と地方の過疎化が進行していくと、登山道整備の担い手がいなくなり、登頂が事実上不可能となる山は今後増えて行くのではないかと思います。日本百名山などの有名所であればそんなことにはならないのでしょうが、山梨百名山のうちいくつかは登れなくなってしまう可能性は十分にありえます。
後々悔いが残らないように、登りたいと思っている山は登れるうちに登っておきたいところです。
オオツキさん、ご無沙汰しております。
山梨百名山完登おめでとうございます!!
オオツキさんを祝福するような最高のお天気と大眺望ですね!
2300mの標高差は私には想像もつきませんが、苦しみがあったからこその大きな喜びなのかなと。
10/30は大菩薩嶺に登り南アルプスを眺めておりました。
笊ヶ岳も見えていたのかな⁈やっぱり山は最高ですね!
5年以上もコツコツと続けてこられ燃え尽きていらっしゃるかもしれませんが、これからも更新楽しみにしております。
MMさま
久方ぶりのにコメントをありがとうございます。
おっしゃる通り今は山梨百名山ロス状態で目標を見失っている感がありますが、山に登りたいと言う意欲自体はまだまだ失っていません。更新は続けていくつもりなので、いつでもご気軽にご訪問ください。
山梨百名山完登おめでとうございます!
大きな節目故に達成感もその反動もひとしおかと存じます。
次なる目標が何であれ、他では見られない(ともすればマニアックな)山行ライナップと軽妙詳細な記事を今後も一読者として楽しみにさせて頂きます。
笊ヶ岳にも触れておくと私は未踏ですが記事拝見して大いに興味が湧きました。個人的には標高差以上に序盤のトラバースが嫌な感じがしますが、初夏か秋に狙ってみたいと思います。
ペン生
コメントを頂きましてありがとうございます。
笊ヶ岳に興味を持たれるとは、さては貴方もの好きですね。リアルに血反吐を吐きそうになるワンダーな道なのでとてもおススメです。道の崩落状況は日々変わって行きますので、十分に気を付けて楽しんで来てください。
山梨百名山完登おめでとうございます!
この間身延山に行き、山頂から笊ケ岳がよく見えたのですが、こんなにも難易度の高い山なのですね。
このお天気に眺望素晴らしいです。自分が登れる日はまず来ないので、オオツキさんのブログで楽しませてもらいました。
今後も更新楽しみにしています。
山波さま
コメントをありがとうござます。
身延山の展望台から眺めた時に、まさに一番目を引くのが笊ヶ岳です。すぐ近くに見えてそんなに大変そうな山には見えないのですが、山の難易度はパッと見の外観では推し量れないと言う一例です。
若干燃え尽き症候群のような感はありますが、更新は続けていくつもりです。またご気軽にご訪問ください。
オオツキさん、山百踏破、おめでとうございます!
素晴らしいフィナーレで、私まで感動してしまいました!
ほぼ全ての記事を拝見しており、自分のことように嬉しいです(笑)
「終わってしまった喪失感」ということですが、最後の写真は達成感で満たされた笑顔かと(笑)
今後新たなテーマを見つけて「意識高い系」登山を継続されることを一読者として切に願っています。
GreenFielderさま
コメントをありがとうございます。
感動巨編(?)山梨百名山シリーズは終わってしまったので、なにかそれに代わる新しいテーマは欲しいところではあります。
東京からだとちょっと遠いですが信州百名山か、あるいはもっと近場の多摩百山とか。いろいろと模索してみたいと思います。
オオツキ様
山梨百名山、登頂おめでとうございます!!!
今回も山の写真が素晴らしく、
達成感が笑顔に表れていますね♪
【家に帰るまでが笊ヶ岳です。】
言葉が身に沁みます。
これからのブログも楽しみしています♪
きふうさま
コメントを頂きましてありがとうございます。
今は若干燃え尽き状態な感もありますが、今後も更新は続けるつもりです。またご気軽にご訪問ください。
山梨百名山完踏、おめでとうございます!
いつも楽しく読ませていただいていますが、ア・バオア・クー並みの最終決戦とのことで、今回は感動巨編のような印象、最後にはぐぐぐと感極まる感じを覚えました。
山梨百名山シリーズが終わってしまうことに、読んでいる私もなんだか寂しい思いがしますが、これからの山行も楽しみにしています!
ペン子さま
コメントをありがとうございます。
よりにもよって一番大変そうな山を最後に残してしまっていたので、まさに最終決戦感がありました。意図していた事ではありませんが、フィナーレとしては劇的で良かったのかなと思ています。
来年は山梨百名山編に変わる何らかの新章を模索したいと思います。
登頂おめでとうございます。いつも読み応えのあるブログを楽しく拝見させていただいております。蛭ケ岳の記事を拝見したのがきっかけです。これからも山ブログ楽しみにしております。
やすきちさま
コメントを頂きましてありがとうございます。
ここ最近は山梨百名山にばかり傾倒していましたが、ひと段落着いたので久しく登っていない蛭ヶ岳にも再訪したいです。またいつでもご気軽にご訪問ください。
はじめまして。まずは山梨百名山完登おめでとうございます。
1年半前にこのサイトを知って(たぶんネット検索で立山を調べてて残雪期の立山の記事がヒットした)、過去の記事に遡って、ようやく最新記事に追いつきました。長かった…(=いろいろ登られていてすごいの意味)
最新記事ではなく、こちらに書き込ませていただいたのは、お祝いコメントもありますが、記事一覧のリンク先がアサヨ峰になっていたので(クリックしたら違う記事が出て、あれ?っとなりました)お伝えしようと思った次第です。
今後も拝見させていただきますね。
じんたろさま
コメントを頂きましてありがとうございます。
リンク先を修正しました。なんで間違えたんだろう・・・ご指摘ありがとうございました!