群馬県みなかみ町と新潟県湯沢町にまたがる谷川岳(たにがわだけ)、一ノ倉岳(いちのくらだけ)および茂倉岳(しげくらだけ)に登りました。
何れも群馬県と新潟県の境界に連なる三国山脈に属している山です。太平洋側と日本海側の大気がせめぎ合う中央分水嶺の山であり、世界でも指折りの豪雪地帯となっています。その気象の厳しさから、標高2,000メートルに満たない山ながらも森林限界を超えた笹の稜線が連なり、夏になると多種多様の高山植物が一斉に花を咲かせます。
群馬県から新潟県へ、花咲く夏の上越国境を横断してきました。
2023年7月23日に旅す。
上越国境
それは登山を趣味として嗜む者を引き付けてやまない、甘美なる魅惑に満ちた山域です。
群馬県と新潟県の県境に連なる三国山脈は、日本の中央分水嶺を形成しています。冬には豪雪地帯となることから森林限界高度が低く、雪の浸食により急峻で険しい山容をしています。
この上越国境の山並み中でもダントツに人気が高いのが谷川岳です。かつては魔の山と呼ばれ恐れられていた山ですが、現在ではロープウェイを使えば比較的手軽に登ることが出来ます。
しかし世の中にはあえてロープウェイを使わずに、急登の尾根を這い上がるようにして登りたがるもの好きが一定数存在します。私もまた、そんなもの好きの中の一人です。
さほど標高が高いわけでもないのに森林限界を超えている谷川岳は、夏には直射日光ギラギラの灼熱地獄と化します。
夏の谷川岳の稜線上には、豊富な雪融け水の恵みにより高山植物が溢れんばかりに花を咲かせます。暑いであろうことは始めからわかりきっているのですが、それでもこの季節にしか出会う事の出来ない光景があるのは確かです。
谷川岳に登頂後は一ノ倉岳を越えて茂倉岳まで足を伸ばします。うだるような暑さの中、群馬県から新潟県へ上越国境を越える道を歩いて来た一日の記録です。
コース
谷川岳ロープウェイの土合駅からスタートし、西黒尾根を登って谷川岳へ。谷川岳から茂倉岳まで縦走し、土樽駅へ下ります。
標準コースタイムで8時間20分程の行程です。実際は暑さにやられてすっかりと失速し、帰りの電車に時間ギリギリに滑り込む際どい山行きでした。
1.谷川岳登山 アプローチ編 新幹線で行く上越国境への旅路
6時23分 JR東京駅
群馬県と新潟県の境界に立つ谷川岳は、東京からはそれなりに遠い場所ですが日帰り登山が可能です。そう、魔法の乗り物新幹線を使えばね。当然ながら運賃はそれなにりに高くつきます。
7時51分 上毛高原駅に到着しました。秋の紅葉シーズンになると、ホームから溢れ出るほどの数の登山者が一斉に下車するのですが、本日は比較的空いていました。やはり真夏の盛りの時期は、谷川岳訪問のベストシーズンではないと言うことか。
8時5分発の谷川岳ロープウェイ行きのバスに乗車します。こちらもギリギリ全員が着座できるくらいの乗車率で、さほどの混雑はしていませんでした。これはあくまでも谷川岳にしては空いているという話です。
8時54分 谷川岳ロープウェイに到着しました。バスから降り立った時点で、既にむせるような暑さです。
このクソ暑い中を、今から日本三大急登の一つと言われている西黒尾根を登ろうとしている訳です。もしかしなくても、完全に訪問の時期を間違えているのではなかろうか。
2.陽射しは無くても蒸し暑い、序盤の樹林帯の急登
9時 身支度を整えて行動を開始します。お金さえ払えば労せずに標高1,319メートル地点の天神平まで運んでくれる谷川岳ロープウェイを横目にしながら、西黒尾根の登山口へと向かいます。
令和5年の4月より谷川岳ロ―プウェイの運営会社が東武グループから星野リゾートに変り、往復料金が3,000円に値上げされました。
そんな高い金払ってられるかいッ!だからだと言う訳ではありませんが、本日は文明の利器にはいっさい頼らずに全行程を自分の足で歩きます。
暫しの間、車道に沿って進みます。この国道291号線は清水峠付近の約28kmが自動車交通不能区間(つまりはただの登山道)となっています。
群馬県側の道は峠までしっかりと続いていますが、新潟県側は事実上の廃道状態であるらしい。興味がある方は山行がを見てください。
少し進むと谷川岳登山指導センターなる建物があり、ここでも登山届を提出できます。ロープウェイ駅で提出しなかった人はここで出して行きましょう。下山後の靴洗い場もあります。
九十九折れの道が続きます。この道を通って一ノ倉沢まで行ける電気バスも運行されており、紅葉シーズンになるとかなり混みあいます。
谷川岳ロープウェイから10分程歩いたところで、西黒尾根登山口に到着しました。登山開始前からすでに薄っすらと汗をかいており前途に不安しかありませんが、ともかく登山を開始しましょう。
ここから谷川岳山頂までの距離はわずか3.7kmほどしかありませんが、その距離で標準コースタイムが4時間となっている辺りに西黒尾根の恐ろしさの片鱗が見えています。
登り始めは鬱蒼とした樹林帯の中を登ります。日本三大急登の肩書は伊達ではなく、初っ端からかなりの急な登りです。
ちなみに日本三大急登と言われているうちの残り2つは、甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根と烏帽子岳のブナ立尾根です。どちらもまだ未経験なので、いずれは登りに行かなくてはならないという謎の使命感を持っております。
登山口から10分少々登ったところに水場がありました。本日は暑くなることを見越して水を合計4.5L担いでいますが、ここでも飲めるだけの量の水を飲んでおきます。
9時30分 送電鉄塔の下を通ります。西黒尾根における最初のチェックポイントと言ったところです。
ここで陽射しの下のほんの僅かな距離を通っただけなのに、まるで焼け付くかのような太陽熱を感じます。これ、森林限界を超えた後にはどうなってしまうのだろうか。
樹林帯の中の登りはなおも続く。西黒尾根は過去にも一度歩いたことがあるはずなのですが、この辺りの景色はあまり印象に残っていません。
既に結構登って来たような感覚でしたが、残りあと3時間とあります。まだ全然序の口でしかありませんでしたな。
谷川岳ロープウェイから山頂までの標高差は1,200メートルと少々なので、丹沢の大倉尾根とだいたい同じくらいなハズなのですが、体感的には西黒尾根の方がずっとしんどいです。
前方に眩い陽の光が見えて来ました。ついに頭上を優しく覆ってくれていた樹林が無くなり、森林限界を超える時がやって来たようです。さあ、覚悟は良いか。
3.日陰の無い尾根上に続く灼熱の登山道
谷を挟んだ向かいに天神平が見えます。ロープウェイ代をケチらなければ、ここまで登ってくる間に要した苦労は全て省略可能だと言う事です。お金の力は偉大ですねえ。
この先は山頂まで続く岩の尾根歩きです。始めからわかっていた事ではありますが、やはり尋常じゃなく暑い。暑すぎる。
ここまでストックを使用していた人も、この先は邪魔になるので今のうちに収容しておきましょう。
さっそく最初のクサリ場が現れました。特に難易度は高くないのですが、ギラギラのお日様によって加熱された岩肌やクサリが、もはや素手では触れないレベルまで熱くなっていました。
背後に白毛門と朝日岳の姿が良く見えます。そう言えば以前に白毛門へ登った時も、暑さにやられてヘロヘロになっていたっけか。どうして私はこうも毎度毎度、暑い時期にばかりこの山域へと訪れてしまうのだろうか。
目指す谷川岳はすっぽりとガスの中です。しかしここは天気がコロコロと変わることで知られた上越国境の山。また晴れることだってあるでしょう。
むしろこのまま晴れなくてもいいから、山頂だけでなく現在地の頭上も雲で覆ってほしいくらいです。暑い。
こんな岩だらけでカンカン照りの過酷な環境であっても、花はしっかりと咲いています。高原の女王ことシモツケソウがそこかしこに花をつけていました。
森林限界を超えたらすぐに厳剛新道との合流地点だったような気がしていたのですが、意外と距離がありました。
はて、前回の訪問はそんな大昔の事ではなかったはずなのですが、だいぶ記憶があいまいです。前回訪問したのは秋で暑さには苦しめられていないかったので、もっとテンポよく歩けていただけかもしれません。暑いんだってばよ。
再びクサリ場です。足を乗せらるスタンスはあるにはあるのですが、グリップに信用が置けないことにかけては定評のある蛇紋岩の岩場なので慎重に参りましょう。特に濡れている時には滑りやすいです。
一クサリ去ってまた一クサリりです。ここも濡れていなければ特に難しくはありません。逆に言うと濡れている時は最悪なので、西黒尾根を歩くつもりならくれぐれも晴れが約束されている日を選んでください。暑いけど・・・
11時40分 ラクダの背まで登って来ました。現時点で既に標準コースタイムよりも若干遅延をきたしているペースでの到着です。暑さにすっかりとやられております。
ラクダの背からは割としっかり下らせられます。山と高原地図の標準コースタイムだと、西黒尾根登山口から登るのと厳剛新道とで全く同じコースタイムになっていますが、おそらく厳剛新道の方が多少は楽だと思います。
厳剛新道との合流地点に到着しました。ここから山頂までのコースタイムはあと1時間20分です。多少は巻けるだろうと高をくくっていたのに、巻くどころか遅延をきたすとは・・・
4.谷川岳登山 登頂編 岩場の急登を越えて分水嶺の頂へ
この先も容赦のない岩場の急登が続きます。気合を入れて行きましょう。ロープウェイ代をケチらなければ、こんな苦労はしなくて済んだのにね
手も使わないと登れない勾配になって来ました。ペンキマーカの目印に従ってよじ登って行きます。
急登だけに、短時間でグイグイと標高が上がっていきます。先ほ通ったラクダの背が、あっという間に小さくなりました。
冬の豪雪により雪解け水が豊富な谷川岳は、高山植物の宝庫でもあります。登山道脇のそこかしこに、実に多種多少な花が咲いています。これはクルマユリです。
これはクガイソウかな。今がちょうど最盛期らしく、至る所に咲いていました。
願いが天に届いたのか、頭上が雲に覆われてようやく直射日光から解放されました。普段なら忌々しいガスめと悪態をつくところですが、今日に限って言えば慈悲のようにさえ感じられます。
急登はなおも続く。基本的に厳剛新道分岐から先は、山頂までノンストップの急登が続きます。
振り返ると真っすぐ一直線の登りである事が良くわかります。登りはまだしも、下りにはあまり使いたいとは思えない道です。
登山靴によって表面をツルツルに磨かれてしまった蛇紋岩は、もはや笑ってしまうほどに良く滑ります。ここなどは、見た目以上におっかないポイントでした。
標高が高くになるにつれて、ニッコウキスゲがチラホラと見られるようになりました。谷川岳にニッコウキスゲが咲いているイメージはあまりなかったので意外でした。
長かった西黒尾根も、ようやく終わりが見えました。まるで狙いすましたかのように、頭上に青空が広がり始めました。これはなにもかもがうまく行ってしまうパターンか。
山頂が見えました。谷川岳は二つの山頂を持つ双耳峰で、左側がトマの耳で右奥がオキの耳と呼ばれています。
肩の小屋は経由せずに真っすぐ山頂を目指します。小屋の先に見えるはずの新潟県側は完全に雲の下に没していました。
天神尾根から登って来た登山者が合流するため、山頂付近は大勢の人で溢れていました。自分のことは100%棚に上げて言いますが、こんな暑い中をよう登りますな。
13時 谷川岳に登頂しました。蓋を開けてみれば、標準コースタイムぴったりの所要時間での到着でした。いやはや暑かった。
だいぶガスを纏ってはいますが、お隣のオキの耳も辛うじて見えました。トマの耳からはおおよそ10分ほどの距離です。
山頂の周囲をトンボがやたらと沢山飛び回っていました。トンボはアブやブヨなどの害虫を食べつくしてくれるので、登山者にとっては大変ありがたい存在です。
5.谷川冨士浅間神社を越えて一ノ倉岳へ
13時20分 到着するなりだいぶグッタリとしてしまいましたが、時間も押して来ているのでボチボチ行動を再開しましょう。オキの耳の先に、この後登るつもりでいる一ノ倉岳と茂倉岳の姿が見えました。
広義にはこの一ノ倉岳までを含めた全体を谷川岳と呼ぶらしい。
トマの耳とオキの耳の間の鞍部一帯も、ミヤマアズマギクやハクサンフウロなどの花で溢れていました。素晴らしい。
夏の谷川岳は正直暑くてやっていられないと思うところもありますが、しかしこの花で溢れる稜線の光景を拝みたかったら、頑張ってこの時期に登るしかありません。
と言ってもまあ、なにも西黒尾根から登らなくてはいけない必然性は全くなかった訳ですが。
鞍部から登り返します。トマの耳だけで満足してしまう人もいるのか、先ほどもよりも人の数はやや少なめになりました。
振り返って見たトマの耳が、濃密なガスに覆われつつありました。この角度から見ると、本当に猫の耳っぽく見えますね。
13時40分 オキの耳に登頂しました。僅か14メートル差ではありますが、谷川岳の最高地点はこちらです。ピークハントに拘る人はトマの耳だけで満足せずにここまでしっかりと登りましょう。
何だかもうすっかり満足感に包まれてしまいそうなる瞬間ですが、本日のゴール予定地はまだ遥か先にあります。後半は下りが主体になるとはいえ、距離で言うとまだ3分の1くらいなんですよね。
既にだいぶ時間も押しており、このまま天神尾根を下ってロープウェイで下山した方が良いような気もしなくはありませんが、ともかく前進します。
オキの耳から先へと進むと、周囲からは完全に人影が無くなりました。稜線のお花畑を独り占め状態です。
日本のエーデルワイスことウスユキソウが沢山咲いていました。正確にはミネウスユキソウという種類らしいですが、普通のウスユキソウとの違いはよくわかりません。
見上げる高さの一ノ倉岳の手前に、鳥居があるのが見えます。谷川冨士浅間神社の奥の院です。
13時45分 谷川冨士浅間神社まで歩いて来ました。浅間と名乗っていると言う事は、ここから富士山が見えるのかな。社殿は無く小さな祠だけがポツンとありました。
これから登る一ノ倉岳と茂倉岳が正面に立ちはだかります。一ノ倉岳への登り返しは意外と標高差がありそうですね。
前途に軽い絶望感を覚えましたが、ともかく前進しましょう。奥の院の裏手はクサリ場になっていました。
暫しの間、蛇紋岩が散乱する岩場が続きます。アップダウンはあまりなくほぼ水平ですが、地味に歩きにくい道です。
遭難者の慰霊碑が岩にはめ込まれていました。谷川岳はギネスブック公認の世界一遭難死者数が多い山で、魔の山なる物々しい通称がつけられています。
それだけ多くの犠牲者が発生した理由は、一ノ倉沢の岩壁がロッククライミングのメッカであったからです。
日本におけるロッククライミングの黎明期に、現在の基準からすれば驚くほど貧弱な装備で多くのクライマー達が果敢に一ノ倉沢の岸壁へ挑み、そして命を落としました。
今歩いているこの尾根の右側が、その一ノ倉沢の岩壁の上部です。写真だと見切れてしまっていますが、群馬県側は標高差約1,000メートルの切り立った崖になっています。
ノゾキとかかれた標柱が立っていました。ここからの一ノ倉沢を覗き込めるようです。それではちょっとだけ覗いてみましょうか。ゴクリ。
身を乗り出して下を覗き込むと、足元は眩暈を起こしそうになるような絶壁になっていました。ここをよじ登ろうとか、正直狂気を感じます。
谷川岳が魔の山だったのは既に過去の事で、現在では登攀ルートの研究が進んで攻略法は確立しており、道具が進化したこともあって命を落とす人はほとんどいなくなりました。
再びガスが湧いてきて、茂倉岳の姿を覆い隠しつつありました。展望の望みは薄そうですが、まあ灼熱地獄の中を歩かされるよりは良いか。
気乗りはしませんが、一ノ倉岳への登り返しに取り掛かりましょう。なかなかの急勾配で、手も使わないとよじ登れないような場所もありました。
背後の谷川岳もすっかりガスの中です。私が登頂したのは、眺望を台無しにされるギリギリのタイミングであったようです。。
14時40分 だいぶ良い感じに息も絶え絶えとなったところで、一ノ倉岳に登頂しました。ここも本来は360度の全方位に展望が開ける山なのですが、見えるものと言えば一面のシルキーなガスだけでした。
上越国境地帯の稜線上に多く見られる、かまぼこ型の避難小屋がここにもありました。文字通り緊急避難するためのスペースでしかなく、快適な宿泊はとても出来そうにありません。
6.ニッコウキスゲが咲く稜線を歩き、トンボが大乱舞する茂倉岳へ
一ノ倉岳への登りですっかりと打ちのめされて一本立てたい気分でしたが、時間が押しているので我慢して先へ進みます。
下山予定地である土樽駅を通る電車は本数が非常に少なく、18時の電車を乗り逃してしまうともう次は21時までありません。少しばかり先を急ぐ必要があります。
北側の視界が少しだけ開けて、清水峠へと続く上越国境の山並みが見えました。奥に見えているのは武能岳(1,760m)かな。
谷川連峰の馬蹄形縦走ルートはいつか歩いてみたいと思いつつ、なかなか実行に移せずにいます。まあ歩くにしても、もっと涼しい時期になってからだな。真夏に歩いたら干からびてしまう。
ガスの中から茂倉岳が姿を現しつつありました。晴れていればさぞや眺めの良い稜線なのでしょうけれど、同時に尋常じゃなく暑いでしょうね。やはりどう考えても、谷川岳のベストシーズンは秋なのではなかろうか。
一ノ倉岳と茂倉岳の鞍部一帯は、ニッコウキスゲのお花畑になっていました。見頃にはまだ少し早かったらしく、ポツポツと疎らに咲いている状態です。
様々な花が入り混じって咲き乱れ、文字通りの百花繚乱状態です。
これはミヤマシャジンかな。ヒメシャジンとよく似ていて識別が難しい。
背後もガスが晴れて、先ほど通った一ノ倉岳の姿が見えました。群馬県側から見た時の険しさからは想像できないような、放牧的な姿をしていました。
山頂にたどりつくと、視界全体を埋め尽くしそうなくらいに大量のトンボが乱舞していました。歩いているだけで、体にバシバシと何匹も接触してくるくらいの数です。
15時 茂倉岳に登頂しました。暑さにやられてだいぶ苦戦しましたが、何とかここまで歩いてくることが出来ました。
しかし今の私に、達成感の余韻に浸っている時間はありません。
あと3時間で土樽駅まで下らないと、比喩的表現では無く本当に周囲になにもない駅で21時までボンヤリと待つか、もしくは越後湯沢からタクシーを呼ぶかの2択を迫られることになります。
と言う事で、10分ほどの小休止を取っただけで行動を再開します。辺りは相変わらずのガッスガス状態ですが、これから標高が下がるにつれて気温が上がってゆくことを考えれば、むしろこの方がありがたいくらいです。
右下に茂倉岳避難小屋が見えます。馬蹄形縦走のルートからは少し外れた場所にありますが、稜線上のかまぼこ型避難小屋とは比較にならない居住性があるため人気のある小屋です。
15時25分 茂倉岳避難小屋まで下って来ました。1泊2日の行程で馬蹄形縦走路を歩こうとする場合、宿泊地の候補になりえるのは清水峠の避難小屋か蓬ヒュッテ、もしくはここです。
居住性で言えば、おそらくはここが一番良さそうです。それだけに週末はかなり混みあうようですが。
小屋から少し下ったところに水場もあります。足りなくなってはいなかったので、見には行きませんでしたが。
7.谷川岳登山 下山編 意外に遠かった土樽駅への道程
後はひたすら下るのみ。とは言っても土樽駅までの標高差は1,400メートル近くあり、なかなかの長丁場です。足早にサクサクと参りましょう。
群馬県側程には鋭く切り立っていないものの、新潟県側の谷にもまた深く急峻で、とても2,000メートル未満の山のものとは思えない光景が広がります。分水嶺の過酷な気象によって作り出された姿です。
ただ真っすぐに下れば良いのかと思いきや、途中に以外とアップダウンがありました。最後まで一筋縄では行かなそうです。
雲の下へ出ると、ようやくゴール地点らしき下界が見えて来ました。うーん、まだまだ遠いいなあ(白目)
谷底に何やら人工物があるのが見えます。妖怪出口ユキが出没することで名高い関越トンネルの排煙口です。ホントあんな場所にようトンネルを掘りましたよね。
目の前に再びモリモリとした登り返しが現れました。おまけにこの期に及んで陽が射し始めると言うおまけ付きです。いや本当にもう勘弁してください。
16時20分 矢場ノ頭に到着しました。大きな登り返しはこれで最後で、今度こそこの先は下り一辺倒となります。
背後を振り返ると、茂倉岳も再びガスの中か姿を現しつつありました。ガスっていたからまだ良いものの、山頂からここまで日陰は一切ありませんでした。反対向きにこちら側から登ったら相当辛いでしょうね。
眼下に小さく土樽駅が見えます。現在地からの駅まで標準コースタイムは2時間5分です。・・・あれ?それだと18時に間に合わなくない?
それ急げ。と言う事で、この先は写真も撮らずに大急ぎで駆け下りました。これは一枚だけ撮影した道中の様子です。根っこだらけで妙に歩きにくい道でした。急いでいるのに勘弁して!
17時50分 悪戦苦闘しつつ下界まで下って来ましたが、駅まではまだもうひと道あります。走れば間に合うかもしれませんが、もういい加減パワー切れです。
それでも一縷の望みをかけて早歩きで駅を目指します。道標も何もなくてわかり辛いですが、駅へ向かうにはここを右です。
そんな努力も空しく、無情にも乗車予定だった18時7分発の越後湯沢行きの電車は目の前で発車してしまいました。なんてこったい。
しかし2分後の18時9分には、反対向きのみなかみ行きが通ります。それにはまだ間に合うかもしれない。
ホームへ駆け上がると、ちょうどみなかみ行きの電車がホームに入ってくるところでした。何とか滑りこみセーフです。
新幹線には乗り損なってしまったので、この後は鈍行列車を乗り継ぎながら東京への長い長い帰宅の途に着くのでした。越後湯沢で温泉に入りたかったよう。
こうしてなんとか予定通りの行程をこなすことは出来ましたが、時間ギリギリの苦しい山行きでした。この横断ルートは真夏に歩くべき行程ではありません。もっと涼しい時期を狙って歩いたほうが無難でしょう。
しかしこの季節にしか見ることのできない花々があることもまた事実であり、なかなか難しいところです。前泊するなりしてもっと早朝の涼しい時間帯に登るか、もしくはケチらずに登りはロープウェイを使うなどすべきかもしれません。
今回は意図せずに馬蹄形縦走ルートの一部を歩くことになりましたが、想像していた以上にアップダウンが厳しい行程でした。馬蹄形縦走はなかなか一筋縄では行かなそうですが、折を見て挑戦したいと思います。
<コースタイム>
谷川岳ロープウェイ土合駅(9:00)-鉄塔(9:30)-ラクダの背(11:40)-谷川岳トマの耳(13:00~13:20)-谷川岳オキの耳(13:40)-一ノ倉岳(14:40)-茂倉岳(15:00~15:10)-茂倉岳避難小屋(15:25)-矢場ノ頭(16:20)-土樽駅(18:10)
完
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
オオツキ様
また谷川岳に行かれたのですね。以前の脱水症状のトラウマや、平標から縦走しているのでもう谷川岳には登らないと思っていました。
しかし9時間にわたる山行で、たった2分遅れで電車に乗れないなんてさぞかし悔しかったでしょう。自分だったら、自身の不甲斐なさで帰り道の間ずーっと後悔してそうです。
もうもうさま
コメントをありがとうございます。
今回は万全の熱中症対策(4.5Lの水+塩キャラメル)で挑みました。まあ、それでもしっかりとバテはしましたが。土樽駅は途方もなく遠かったです。