山梨県大月市と甲州市の境にある笹子雁ヶ腹摺山(ささごがんがはらすりやま)に登りました。
山梨県の国中地方と郡内地方の境界である、笹子嶺と呼ばれる山域に属しており、中央自動車道笹子トンネルのちょうど真上に位置している山です。山梨県大月市が制定した富士展望に優れた山の称号である、秀麗富嶽十二景にも選ばれている一座です。
思わず舌を噛みそうになるような名をもつこの山、標高1,500メートルにも満たない低山ながら、なかなか登り応えのある奴でした。
2016年12月18日に旅す。
今回は思わず二度聞きしそうになるような長ったるい名を持つ山、笹子雁ヶ腹摺山に登って来ました。御坂山地と奥秩父山塊の境に当たる、笹子嶺と呼ばれる山域にあります。
と言われても、地元山梨の人でもない限りはピンとこないですかね。
簡単に言うと、大月から甲府盆地へと向かう甲州街道上に、まるでとうせんぼするかのような位置に陣取っている山です。
この笹子嶺を超える笹子峠は、かつて甲州街道最大の難所として君臨し、甲斐と江戸の交通の大きな障壁となっていました。
笹子峠より東の一帯は郡内地方と呼ばれ、国中地方(甲府盆地)よりも関東との結びつきが強い地域となっています。言わば、ここは都市圏の境界です。
現在では、この山の下に計4本ものトンネルが掘られおり、苦難の山越えせずとも往来が可能です。ですが今回はあえて、徒歩で笹子嶺の山並みを巡り歩きます。
往年の苦労を偲ぶかのような、笹子嶺越えへと繰り出してみましょう。
ルート
笹子駅より、笹子嶺と呼ばれる一帯を縦走して甲斐大和駅へと下ります。標準コースタイムは7時間25分ほど。そこそこ歩き応えのあるコースです。
1.笹子雁ヶ腹摺山登山 アプローチ編 電車と徒歩で、都市圏境界の山を目指す
早朝の高尾駅
6時40分発の松本行きに乗り込みます。なおこの電車、八王子始発のため、高尾から乗るとほぼ確実に座れません。
京王線ユーザ的には、京王八王子駅があんな嫌がらせのように離れた位置になければ、素直に八王子で乗り換えるんですけどね。
7時34分 笹子駅に到着しました。秀麗富岳十二景の山多くがそうであるように、笹尾雁ヶ腹摺山も電車のみでのアプローチが可能です。駅から少々歩くことにはなりますが。
12月も半ばを迎えたこの季節の早朝時間帯というのは、まさに身を切る様な寒さです。地面が凍ってるし。
笹子駅からはしばらく国道20号を道なりに進みます。前方にはこれから超えようとしている、笹子領と呼ばれる尾根が横たわっています。
オオツキが大月で月を見上げる。特に・・・と言うか、まったく意味はありません。
大月市内でお馴染みの案内板を発見しました。大月市には割と頻繁に訪問しているのですが、いまだにこの紫色の物体が何を表現しているか知りません。
国道20号上から、笹子雁ヶ腹摺山の頭だけが見えました。かなり急峻な山容であることがここからでも伺えます。
この界隈には雁ヶ腹摺山の名を持つ山が全部で3座存在します。あとの2座は、無印の雁ヶ腹摺山と、日本一長い名前の山として知られる牛奥ノ雁ヶ腹摺山です。
雁(がん)というのはカモ科の渡り鳥の名前です。渡りの季節になると、雁の群れがこの付近の山を、腹を摺りそうなくらいの高度で一斉に飛び越え行くのでしょう。
新中橋に到着しました。笹子トンネルと笹子峠方面への分岐点です。ここは左側の道に進みます。
登山道の入り口はお墓の中にあります。行儀良く進入しましょう。
2.笹子雁ヶ腹摺山登山 登頂編 急坂を越えてあまり秀麗ではない富嶽との対面へ
墓場の最上段から登山開始です。里山には割とよくありがちな光景です。
初っ端からすごい急登が始まります。この辺りには紛らわしい踏み跡が無数にありますが、墓場から真上に向かって直登が正解です。
登山道は送電線の保線路を兼ねているようです。この後も幾度となく鉄塔に遭遇しました。
緩むことの無い急登が続きます。あまりにも急すぎて、踵が痛くなりました。
途中で一息つける肩のような場所が1ヵ所だけありまました。笹子雁ヶ腹摺山のご本体がお目見えです。
この後もひたすら急登です。九十九折れすらなく一直線に登り詰めます。
麓からも見えていた電波反射板が目の前に現れました。小難しい理屈は良くわかりませんが、この板に電波を反射させることによって、電力を消費せずに中継装置の代わりを果たすらしい。
電波反射板の脇で振り返ると、富士山が一望できました。とはいっても見えるのは頭だけですがね。秀麗富嶽を名乗るにはいささか力不足なんじゃないかね?
9時50分 笹子雁ヶ腹摺山に登頂しました。さほど広くはない山頂には、標識がやたらとたくさん立っておりました。
標識によると、この山は「山梨百名山」「秀麗富嶽十二景」「大和十二景」という3つのタイトルを保持しています。
大和十二景というの初めて目にしました。ちなみに、大和村は2005年に平成の大合併により消滅し、現在では甲州市の一部になっています。
それが理由かは分りませんが、大和十二景なるものの公式サイトの存在は確認できませんでした。
山頂の様子
ベンチがひとつあるだけの狭い山頂です。樹林に覆われており展望はあまりありません。
山頂からの富士山の展望は、ご覧通りガッカリな感じです。山頂からよりも、途中の反射板の脇からが一番良く見えます。
甲府盆地を挟んだ向かいに、南アルプスの山々が一望できます。こちらについては文句なしの眺めです。秀麗富嶽の名を返上して秀麗南アルプスに改名しては如何だろうか。
3.笹子雁ヶ腹摺山より米沢山、お坊山へと続く険路
次なるピーク米沢山を目指して出発します。この先は大きくアップダウンを繰り返すなかなかの険路となります。道中には鎖場も2ヵ所あります。
写真だと伝わり辛いのですが、笹子雁ヶ腹摺山は北側斜面もえげつない急坂です。どちらから登っても急登に苦しめられる山と言うことですな。
これから登る米沢山とお坊山を一望できました。ご覧の通り笹子嶺の稜線はアップダウンの連続です。
米沢山へ向かう道の途中に絶景スポットがあります。忘れずに抑えておきましょう。
頭だけの富士山が見えました。アングル的に、手前の御坂山地に遮られて裾野の部分は全く見えません。
大月方面の展望です。山座同定を試みるも、特徴の無い山並みで早々と諦めました。
そして先ほどまで居た笹子雁ヶ腹摺山です。こちらから見ると、山頂が平たい山であることがわかります。
山頂部をズームすると、山頂直下にあった電波反射板が良く見えました。この反射板は大変よく目立つので、付近の山から笹子雁ヶ腹摺山を同定するのに非常に役に立ちます。
米沢山に近づくにつれ、段々と道が険しくなってきました。足元が切れ落ちた岩場をトラバース気味に進みます。
クサリ場通過中
ぼっち登山においてこのようなヤラセ写真迫真の登攀シーンを撮影するにためは
①三脚とカメラを設置
②セルフタイマーセット
③10秒以内に登ってるポーズをとる
④三脚とカメラを回収
と言うプロセスを踏む必要があります。非常に面倒くさいので、自撮りはコレで最後にしておきます。
クサリ場が結構長く続きます。登りで使う分には特に問題ありませんが、下りだとわりと高度感があって少し怖いかもしれません。
11時20分 米沢山に登頂しました。ここまで程よくスリリングな、歩いていて楽しい道のりでした。なお、凍結している時だと難易度は急増するかと思います。
山頂の様子
何もありません。腰を下ろせそうな岩とか倒木すらないので、さっさと次へ進みましょう。
これは熊さんの爪とぎ痕ですかね。この界隈は熊の目撃情報が多い場所です。
ヤセ尾根が延々と続きます。どうやらこのあたりはちょうど風の通り道になっているらしく、先ほどから吹きっ晒しで寒くてかないません。
と思ったらまだでした。騙しピークと言う奴です。地図によればここはトクモリと呼ばれる場所のようでが、そのことを示すネームプレートのようなものは見当たりませんでした。
気を取り直して今度こそ、お坊山に向かって最後の登り返しです。
背後を振り返ると富士山が見えました。うむ、少なくとも笹子雁ヶ腹摺山からの富士山よりはこっちのほうがまだ秀麗だな。
12時 お坊山に登頂しました。本日の行程のここが最高地点です。なかなか歩きごたえのある道のりでした。
読みかたはやっぱり「おぼうさん」なのかな・・・
山頂の様子
ここにもベンチ等は一切ありません。ひっそりとした地味な山頂です。
この山頂からは甲府盆地方面の視界が開けています。正面には南アルプスの雄姿が一望できました。
北側をズームしてみましょう。白根三山はすっかり雪を被っていました。
4.笹子領を越えて甲斐大和へ
一通り山の閲兵式を終えて満足しました。先ほどから寒くてしょうがないので、ボチボチ下山を開始しましょう。
正面には小金沢蓮嶺の山々が見えます。左側の鉄塔の奥に見えているのがたぶん大菩薩嶺です。
こちらは小金沢蓮嶺の南端である滝子山。非常に尖がったシルエットをしています。
大鹿峠まではこれまた容赦のない急坂が続きます。この山域は、全方位が鉄壁の急登に守られているようですな。
12時40分 大鹿峠に到着しました。空腹を覚えたので、風の無いここで一本立てました。(※山ヤ用語で休憩を取るの意)
峠の様子。
ベンチが一つだけあります。ベンチの裏は斜面の崩落が進んでおり、安全のためトラロープが張られていました。
峠よりお坊山を振り返る。ふざけた名前の割りになかなか立派な山です。
ここからは緩やかな道でした。枯れ葉をザクザク鳴らしながら気持ちよく下ります。
氷川神社の脇を通過します。奥多摩の氷川集落と何か関係ある神社なのかな?屋根瓦がやたらとテカテカしていたのが妙に印象に残っています。。
道が民家の敷地内を貫通していました。・・・何と言うか、大らかですね。
景徳院の入り口まで下って来ました。武田勝頼の墓がある武田家終焉の地とのことです。
景徳院から甲斐大和駅までは、徒歩でおおよそ30分ほどです。甲州市の市民バスが通ってはいますが、本数はあまり多くありません。
14時5分 甲斐大和駅に到着しました。トンネルを使うことなく、徒歩での笹子領越えの完了です。
古人達の苦労を偲ぶ笹子領越えは、こうしてつつがなく終了しました。普段何気なく通っている国道20号線がいかに便利なものであるのかが、大変身に染みて良くわかった山行きでありました。
ここまでお読み頂けた方にはなんとなく伝わっているかと思いますが、今回歩いたルートは基本的に登りも下りも急坂続きです。アップダウンも非常に多く、決して楽な道ではありません。それなりにガッツリと歩きたい人向けのルートかと思います。
また、標高1,400メートル足らずの低山であるため、暑い時期の訪問は避けたほうが無難でしょう。甲府方面の展望は素晴らしいですが、あまり秀麗でない富嶽に過剰な期待は禁物です。
<コースタイム>
笹子駅(7:34)-新中橋(8:15)-笹子雁ヶ腹摺山(9:50)-米沢山(11:20)-お坊山(12:00)-大鹿峠(12:40)-景徳院(13:40)-甲斐大和駅(14:05)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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