静岡県伊豆市から河津町に至る踊子歩道を歩いて来ました。
作家川端康成の小説「伊豆の踊子」の舞台となった、天城峠を越えの道に沿って整備された遊歩道です。現用の道と重なっている部分もありますが、浄蓮の滝(じょうれんのたき)から野ヶ湯(のがゆ)まで概ね当時の道筋に沿って整備されています。
河津町の河津桜見物と合わせ、春爛漫の伊豆半島で天城越えをして来ました。
2022年3月14日に旅す。
今回は登山ではなく伊豆でお花見散歩をしてきた記録です。伊豆の踊子や天城越えの舞台として名高い、天城峠を越える道を歩いて来ました。
天城越えの歌詞中に登場することで有名な浄蓮の滝から、峠を越えた先にある名勝地の河津七滝へと続く、踊子歩道と呼ばれる遊歩道を辿る道です。
峠を越えた先にある河津七滝(かわづななだる)は、踊子歩道巡りにおけるハイライトです。玄武岩から成るゴルジュ帯を水量豊富な滝が流れ落ちる光景は迫力満点です。
そして河津と言ったら忘れてはいけないのが河津桜です。ソメイヨシノよりも概ね1ヵ月ほど早く、2月下旬から3月の上旬にかけて開花する早咲きの桜です。
今回の訪問は河津桜の最盛期には少々遅く、すでに大部分が葉桜になってしまっていましたが、それでもまだ残ってくれていました。滝巡りと河津桜見物の二本立てで、春の伊豆半島を大いに満喫してきた一日の記録です。
コース
浄蓮の滝バス停からスタートし、途中で太郎杉を見物しつつ天城峠へ。峠を越えてから、名勝地として名高い河津七滝へ立ち寄りつつ、河津桜見物をします。
踊子歩道に沿って天城峠を越える道程です。
1.踊子歩道 アプローチ編 公共交通機関で行く、伊豆半島中央部への遠き道程
6時33分 JR品川駅
今回の目的地であるところの伊豆半島中部は、東京からはそれなに遠く時間のかかる場所です。朝一番のバス便に乗車すべく、贅沢に新幹線を使ってアプローチします。
乗車するのは新幹線界における鈍行列車である、我らがこだま号です。
7時23分 三島駅に到着しました。乗車時間は1時間とかからずの到着です。流石は新幹線です。高いけれど早い。早いけれど高い。
三島駅で伊豆箱根鉄道に乗り換えます。交通系ICカードには対応していないので、一度改札を出てから切符を購入します。過去に何度も来たことがあるので、もはやすっかり慣れっこな行程です。
8時11分 修善寺駅に到着しました。終点から終点まで乗っても30分少々の短い路線です。
修善寺は伊豆半島中部の交通における極めて重要な拠点であり、多方面に向けたバスがここから発着しています。
8時15分発の河津行きのバスに乗車します。この朝一の時間のバス便に乗りたいがために新幹線を奮発した次第です。乗り換え時間はあまりないので、買い出しなどは事前に済ませておきましょう。
8時51分 浄蓮の滝バス停に到着しました。天城峠よりもずっと手前に位置しているバス停です。ここからスタートして徒歩による天城越えを敢行しようと言うのが、本日の主題となります。
こちらのバスは、交通系ICカードに対応していました。これでいよいよ未対応なのは、伊豆箱根鉄道だけになってしまいましたな。
2.舞い上がりゆれ落ちる、浄蓮の滝
この浄蓮の滝が、本日歩こうとしている踊子歩道の起点となっています。伊豆の踊子の主人公(川端康成本人がモデル)と踊子(薫)の銅像が立っていました。
私の中では薫は吉永小百合のイメージが強いのですが、この銅像は誰がモデルなのだろうか。
天城越えの旅に出発する前に、まずは浄蓮の滝を見物して行きましょう。バス停がある国道414号は川よりもずっと高い場所を通っているので、崖の底に向かって大きく下ります。
少しでも気分を盛り上げようと思って、新幹線の車内でずっと天城越えを聴いていたので、すっかり頭にこびりついて先ほどからずっと脳内で無限ループされつづけております。
アナタを殺していいですかだなんて、そんな物騒な質問をしないでください。
登り返しのこと思うと少し憂鬱になるくらい大きく下ったところで、正面に滝が見えて来ました。
こちらが天城越えの歌詞中に登場することで有名な浄蓮の滝です。落差は25メートルほどあります。
滝の周囲の岩盤が、棒状の形をしているのが目につきます。難解な地質学用語で言うところの、柱状節理(ちゅうじょうせつり)と呼ばれているものです。
細かい理屈は良くわかりませんが、玄武岩のマグマが海水などで急激に冷やされると、このような形状に冷え固まるものらしい。
構図を縦にするか横にするかでさんざん迷った挙句、結局は両方撮影しました。
伊豆半島の中央部ではワサビの栽培が盛んです。滝の正面にある土産物屋も、ワサビ関連の商品があふれていました。
そろそろ本題の踊子歩道へ戻りましょう。と言う事で、始めから約束されていた登り返しです。
国道沿いの入り口にある土産物屋でも、やはり前面に押した出されているのはワサビでした。
3.旧道沿いに歩いて、道の駅天城越えを目指す
9時25分 身支度を整えて、いざ天城越に出発します。まだ河津町の領域には入ってもいないと言うのに、沿道には早くも河津桜が出迎えてくれました。
河津桜は花弁のピンク味が強いのが特徴です。ソメイヨシノと比べると比較的長い間咲き続けますが、三月中旬ともなるともう終わりかけです。
この道は恐らく国道414号の旧道なのかな。この区間の踊子歩道は現用の道と完全に重なっており、しばしの間道沿いに歩きます。
正面に見えている山は鉢窪山(はちくぼやま)(674m)です。どこにでもある里山のような姿をしていますが、こう見えて実は火山です。
道の脇に「水」とだけ書かれた謎の標識が立っており、一瞬首をかしげました。足元に用水路があるので、恐らくはそのことを伝えるためのものです。
相変わらず舗装道路が続いていますが、徐々に周囲の光景が山道らしくなって来ました。
道すがらに鉢窪山の登山口がありました。山頂まではおおよそ50分程の道程であると言う事です。本日の主題からは逸脱してしまうので、ここは素通りします。
このまま舗装道路上を歩かされるのかなと思いきや、国道から付かず離れずの距離に、しっかりと歩道が整備されていました。これはありがたい。
10時10分 道の駅天城越えまで歩いて来ました。「天城」ではなく「天城越え」と言う名前なのが面白い。歌の知名度に便乗しまくりですな。
踊子歩道のルートは、この道の駅の中を通っています。ここでも土産物屋はワサビだらけでした。ワサビと言うのはどうやったって引き立て役であり、決して主役にはなりえないものだと思うのですが。。
4.天城の森に佇む樹齢400の巨木、太郎杉
歩道は相変わらず、国道から付かず離れずの距離を維持しながら続いています。いかにも伊豆らしい、しっとり苔生す森です。
分岐地点があらわれました。踊子歩道のルートは、ここを直進してして階段を登るのが正解です。
ですがここから、太郎杉歩道なるサブルートがあるらしいので、少しばかり寄り道をしてゆくことにします。特段、先を急ぐ旅な訳でも無いですからね。
太郎杉へは、滑沢渓谷と呼ばれる沢沿いに遡って行きます。雰囲気や良しです。
その名の通りに滑(ナメ)滝が連続する沢です。滑滝とは読んで字のごとく、岩の表面をなめるように流れる滝の総称です。
沢沿いの道は途中で終わり、砂利舗装の林道に変わりました。もっとサクッと往復できるのかと思いきや、意外と距離がありました。
10時50分 太郎杉まで歩いて来ました。なるほどこれは確かに大きい。樹高およそ48メートルの巨木です。
樹齢はおよそ400年ほどであると推測されています。この巨木はそれだけの長期にわたって、度重なる風雨に耐え続けてきた訳です。
その大きさにただ圧倒されます。分岐からはひと道ありますが、寄り道するだけの価値が十分にある場所だと思います。
5.天城越えの核心部、旧天城トンネルを越える
11時15分 太郎杉歩道との分岐地点まで戻って来ました。寄り道は程々にして、ここからは踊子歩道歩きに集中しましょう。
沿道に咲き始めのミツマタがチラホラとありました。もう少し標高の低い一帯では、既に開花していそうな気配です。
この付近の踊子歩道は、天城街道と呼ばれてた旧天城トンネルが完成するよりもさらに以前の時代の道をほぼ踏襲しています。この所々に残っている石の階段は、江戸時代に整備されたものだと言われています。
踊子歩道は天城ゆうゆうの森と呼ばれるエリアへと入って行きます。バス停もあるので、もう歩くのに飽きたと言う人はここでエスケープすることも可能です。・・・まだ肝心の天城峠を越えてすらいませんがね。
このゆうゆうの森と言うのは、どうやらキャンプ場であるようです。今は営業していないのか、人影もなく閑散としていました。
場内に、木曽森林鉄道で使われていたと言う車両が野外展示されていました。この車両は天城で使用されていたものではなく、一体どういう経緯でここに展示してあるのかの説明もありません。
特に手入れもなされていないらしく、既に錆びてボロボロ状態です。これは根拠のないなんとなくの想像ですが、良くわからない経緯で持ち込まれて、持て余し者状態で放置されたのではなかろうか。
川沿いの道がしばし続きます。歩道用にしてはやけに立派な造りのトラス橋が架かっていたりしますが、付近にワサビ田があるので農道を兼ねているのだと思われます。
天城峠に向かって標高を上げ始めた国道414号の橋脚が、頭上高くにありました。踊子歩道はここで現国道とは袂を分かち、旧天城トンネル方面へと向かう道と合流します。
この道は、昭和45年に新天城トンネルが開通したことに伴い旧道となった道です。現在も自動車の通行は可能で、けっこうな交通量があります。
道すがらに、川端康成のレリーフと伊豆の踊子の冒頭部分が書かれた石碑がありました。
水生地と呼ばれる地点まで歩いて来ました。以前に天城山へ登った際に、確かここへ下山して来たっけか。
水生地を過ぎると道の舗装が無くなり、いよいよ天城峠に向かって標高を上げて行きます。
12時35分 旧天城山トンネルに到着しました。この旧トンネルと言う呼び名は通称であり、正式には天城山隧道と言います。明治38年に開通した石造りのトンネルで、国の重要文化財にも指定されています。
このトンネル入り口の標高は710メートルほどあります。浄蓮の滝バス停の標高はおよそ310メートルであるので、なんだかんだで400メートルほど登ってきたことになります。
ちなみに現国道の新天城山トンネルは、旧トンネルのほぼ真下を標高630メートル付近で貫いています。
それではいよいよ本日のメインイベントであるところの、天城越えを行いましょう。隧道内部にはしっかり照明が灯っているため、ライトは無くても歩けます。
唐突にトンネル内に、見知らぬ誰かの「天城ぃ~ごぉえ~」の美声(?)が轟きわたりました。
・・・なんだって。私も先ほどからずっと、思わず歌い出したくなる衝動を我慢してきたと言うのに。そっちがそのつもりなら、私だって歌ってやるッ!!
トンネルの全長は約445.5メートルほどあり、通り抜けるのに5分から10分程度を要します。
反対側へと抜けました。天城山隧道には過去に何度か訪れたことがありましたが、河津側へ抜けたのは何気に今回が初めてです。こちらから見ると、トンネル自体が少し拝み勾配になっているのがわかります。
可愛らしいタッチの踊子のイラストが描かれていました。何故か妙にほっこりとする絵柄ですね。
6.河津七滝へと続く長い下り
無事に天城越えは達成されました。後は河津に向かって下って行くだけです。と言っても、この下りがまたひたすら長ーいのですがね。
トンネルから20分少々下ったところで、寒天橋までやってきました。天城越えの歌詞中に登場する橋ですが、特にこれと言った特徴はありません。単にずっと昔から、この場所に橋が架かっていたと言うだけの事なのでしょう。
寒天橋にはバス停もありますが、ここまで入ってくるバス便は4~11月の土休日のみの運行となっています。河津桜が咲くシーズンにバスは無いのでご注意ください。
寒天橋から少し下ったところに二階滝があります。河津七滝に数えられていない滝ですが、わざわざ専用の鑑賞台まで整備されていました。
せっかく用意してくれている鑑賞台ですが、周囲の木々が大きく育ってしまっており、あまり良くは見えません。落差およそ20メートルほどの滝です。
天城トンネルのちょうど中央が伊豆市と河津町の境界となっており、現在地はすでに河津町の領域内です。河津町内の踊子歩道の標識は古風な感じです。
ここからひたすらダラダラと長い下り坂が続くのですが、読者の皆様を退屈させるのも忍びないので、道中の様子などはスパッと省略します。
寒天橋から延々と1時間近く下ってきたところで、旧道沿いから右にそれて国道を横断します。
この横断地点には信号はおろか、横断歩道すらありません。山間部であるが故にここを通る車は例外なく飛ばしているので、横断する際には注意を要します。
国道を横断して谷底へ下って行くと、再び沢沿いの歩道が続いていました。
踊子歩道はここで橋を渡って対岸へと移りますが、その前に平滑の滝なる滝があると言うので先に立ち寄って行きます。
さほど大きな寄り道にはならず、橋の架かっている地点のすぐ近くに入り口がありました。
この平滑の滝もやはり河津七滝には含まれていません。落差はさほど大きくありませんが、横に長くなかなか壮観な姿をしています。
さあどんどんまりましょう。落差の大きい沢沿いを行く道ですが、よく整備されており登山靴ではなくスニーカー履きであっても問題なく歩けると思います。
現在は旧天城山トンネル真上にある標高834メートルの地点が天城峠と呼ばれていますが、実は天城山トンネルが出来る以前には天城峠と呼ばれている場所は別にありました。その旧天城峠は、今では二本杉峠と呼ばれています。
本当の天城峠とでも言うべき二本杉峠を越える道はしっかりと存在するのですが、土砂崩れにより長らく通行止め状態が続いています。
この峠を歩かずして真の天城越えをしたとは言い難いので、いつか歩いてみたいと思っているのですが、しかし一向に復旧する気配がありません。
ひょっとしたら、もう既に復旧すること自体をあきらめてしまっているのでしょうか。
二本杉歩道への入り口を見送り進むと、宗太郎園地と呼ばれる領域に入ります。明治10年に植樹された立派な杉並木があります。
標高が少し下がったからなのか、沿道のミツマタの開花状態は、先ほど目にしたものよりも少し進んでいました
14時30分 河津七滝の入り口までやって来ました。この七滝巡りは、旧天城山トンネルと並ぶ踊子歩道のハイライトと言える場所です。大いに期待して行ってみましょう。
7.伊豆の名勝、河津七滝を巡る
まずはゴルジュ帯となっている谷底に向かって大きく下ります。老若男女の訪れる有名観光地と言うだけあってか、かなりしっかりとした造りの木道が整備されていました。
下りきった地点が猿田淵と呼ばれている場所です。もっと沢沿ギリギリの地点を歩けるものだと思っていたのですが、水面からはわりと距離があり、高みの見物しかできない感じです。
なんだか思っていたのとは少し違った光景ですが、なにしろここは幅の狭いゴルジュ帯の只中なので、川が増水した時の安全性を考えるとやむおえないのかもしれません。
猿田淵からまたもや大きく下ります、いかにも落差の大きな滝がありそうな地形に、期待が高まります。
思った通り、目の前に巨大な滝が姿を見えました。つい先ほど高みの見物などと言いましたが、そんなことはありませんでした。目の前でかぶりつきです。
滝が見えてからも、さらに大きく下ります。滝の落差分をきっかりと下るわけですから、当然と言えば当然です。
こちらが河津七滝一つ目の釜滝です。落差は22メートルあります。
川の対岸に滝の全容がもっとよく見える鑑賞スペースがあるのですが、老朽化して撤去したのか、はたまた大雨で流されてしまったのかは不明ですが、対岸へと渡る橋がありません。
まあ実のところ、対岸へ渡る別の手段は一応あるにはあります。浄蓮の滝と同様に、柱状節理の岩盤が非常に目を引きます。
その手段についてですが、別の場所にもう一つ吊り橋が架かっています。ただ一切の手入れがされておらず、荒れるに任されている状況なので、完全なる自己責任の領域となることをあらかじめご承知おきください。
続いて河津七滝二つ目のエビ滝です。滝が形が海老のしっぽのように見えると言う事ですが、んー?エビっぽく見えますかね。
三つ目の蛇滝です。岩の模様が蛇の鱗のように見えるのが名前の由来です。ここでもやはり滝そのものより、柱状節理のほうに思わず目が向いてしまいます。
落差はわずか3メートルほどの小ぶりな滝です。上から飛び込んだら楽しそうですね。
同じようなことを考えて、かつ実行に移す輩が後を絶たないからなのか、救命用の浮き輪が備え付けられていました。念のために言っておきますが、本当に飛び込んではいけませんよ。
再び大きく下ったところで、舗装道路に出ました。。この先はもう、完全なる観光地の領域となります。
四つ目の初景滝です。落差は10メートルほどあります。特筆すべき点のない、ごく普通の滝です。
踊子のご一行も、ここで滝見物と洒落込んでいました。当時の旅人たちは、いったい何日をかけて峠越えをしたのでしょうかね。
続ていて五つ目のカニ滝の入り口が現れましたが、落差が小さくて見るからに期待できなさそうな感じです。
思った通り、無理やり数合わせのために付け加えられたかのような小さな滝でした。しかし先ほどからエビだのカニだのと、この謎の甲殻類プッシュは一体何なのだろうか。
まだ滝巡りの最中ですが、いつしか周囲はごく普通の市街地の只中になっていました。だいぶ葉桜になりつつありますが、河津桜が綺麗ですね。
二つの川の出合の地点に滝があると言う事で出合滝と呼ばれています。ここもカニ滝と同様に、無理やり付け加えた感がぬぐえません。
この出合い滝があるのは、最後の滝である大滝のちょうど真上にあたる場所です。大滝の鑑賞スポットは、この先にしっかりと存在します。
ちなみにこの河津七滝エリアは、標高が高いため河津町内でも河津桜が一番最後に咲き始める場所です。おかげで、こうしてまだ何とか見頃であると言えなくもない程度に残っていました。
いよいよ河津七滝最後の一つである大滝です。大滝の鑑瀑台は天城荘と言う温泉施設の私有地内にあり、立ち入り可能な時間に制限があります。時間を過ぎると入り口が閉門されますのでご注意ください。
天城荘の裏手に付けられた階段で、崖の底へと下りて行きます。ここでもやはり、帰りの登り返しのこと思うと憂鬱になるくらいに大きく下ります。
谷底を流れる川が見えて来たところで、鑑瀑のためのスペースがありました。
ちなみに、この階段を河原まで下りて行ったところに天城荘の露天風呂があります。水着着用必須のエリアとなっていますが、鑑瀑スペースからは丸見えです。
大滝の落差は30メートルあり、七滝中最大です。水量も多くかなりの迫力があります。
なお前述の通り、フレーミングを誤ると端の方に水着姿の人間が写り込んでしまうため、撮影時には注意を要します。
8.満開の盛りは過ぎてしまった河津桜を鑑賞する
踊子歩道最大の見せ場である七滝の見物は、こうしてつつがなく終わりました。踊子歩道はこの先もまだ続いていますが、踏破することそのものに拘らないのであれば、ここからバスに乗って引き上げることも出来ます。
当の私自身も天城越えを達成しただけでもう十分満足で、完全踏破する事にはまったくこだわってはいないのですが、この少し先にあるループ橋が河津桜の名所であると言うことなので、もう少しだけ先へと足を延ばします。
かつての国道414号線は山腹を九十九折れに辿る道筋だったのですが、昭和53年に発生した伊豆大島近海地震の際に発生した崖崩れによって崩落し、その後このループ橋に作り替えられました。
天城峠の一帯は、もともとそれだけ急峻な地形であったと言う事ですね。
肝心の河津桜の方はと言うと、もう完全に葉桜になっておりほぼ終わりかけです。それでもまあ、こうして残ってくれていただけ良しとすべでしょう。
踊子歩道はなおも続きますが、この先には特にこれと言った見所は存在しません。野ヶ湯が終点であると言うことですが、進めるところまでは進んで、バスの時間が近づいた時点で切り上げることにしましょう。
16時10分 と言う事で、この梨本バス停を本日のゴール地点とします。
今から9分後の16時19分に河津行きのバスが通ると言うタイミングです。それを逃してしまうと、次の便までは1時間以上間が開いてしまいます。
バスはきっかりと時刻表通りに現れました。少しは遅れて来るだろうと油断していため、少々慌てました。
こうしてバスと言う偉大な文明の力により、実にあっさりと河津駅に到着しました。例え途中で歩くのが嫌になっても、バスに乗ると言う選択肢自体がそもそも存在しなかった時代の人間の、苦労の程が偲ばれます。
JR線直通の特急伊豆の踊子号が到着する直前と言うタイミングだったのですが、生憎と既に満席でした。乗れなかった伊豆の踊子号を下から撮り鉄しつつ見送ります。
次の普通列車がやってくるまで、まだあと1時間近くも待ち時間があるので、駅の周囲を少し散策して時間をつぶすことにします。それにしても伊豆急行、本数が少なすぎませんか。
河津と言えば川の両岸に河津桜が咲く光景が余りにも有名ですが、すでに終わりかけで少々残念な光景です。1週間前くらいがベストな訪問時期であったようです。
散りかけの桜のアーチを潜りつつ、海へと向かいます。伊豆と言えばやはり海でしょう。海を見ずして、伊豆に来たとは言えません。
ヒャッハー、海だー!と毎度ワンパターンのセリフを叫んでおく。
途中でバスに乗ってズルをしたとは言え、こうして波打ち際までやってきたところで天城越えは無事に終了です。今日もたくさん歩いて大満足です。
伊豆急行の普通列車(急行なのに鈍行とはこれ如何に?)に乗り込み、長い長い帰宅の途につきました。
天城越えに滝見物にお花見と色々詰め込んで欲張った一日は、こうして無事につつがなく終了しました。
踊子歩道には登山と呼べるほどの運動強度こそありませんが、丸一日を費やしてガッツリと歩くことになるロングルートです。ほぼ全行程が現在の国道と並走しているため、いくらなんでも長すぎると思われる方は、バス移動を挟んで途中の行程を省略することも出来ます。
川端康成ファンの人もそうでない人にも、自信をもってオススメできる遊歩道です。往年の峠越えの苦労を偲ぶ道を巡りに、伊豆半島へと繰り出してみてはいかがでしょうか。
<コースタイム>
浄蓮の滝バス停(9:25)-道の駅天城越え(10:10)-太郎杉(10:50)-天城遊々の森バス停(11:35)-天城山隧道(12:25)-寒天橋(13:00)-平滑の滝(13:50)-宗太郎園地(14:10)-河津七滝(14:30~15:45)-梨本バス停(16:10)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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